一日一歌

甘枝の近況および日々の歌を臆面もなく公開。


1/12(月) 「プレイバック入院記 vol.1」

これから書くのは、甘枝が2003年10月に卵巣腫瘍摘出手術のため入院した折の記録である。通常の一日一歌は上から新着順での形態をとるが、今回はレポの内容から時系列順に更新することにする。要は下に伸びていきますからね〜ということで宜しく。

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-- 入院1週間前(10/7頃)--

いつものように布団に入り、さあ寝ようかと思った時のこと。
何とはなしに手を置いたおなかの、右下腹部のあたりにわずかな熱を感じる。
試しに左側にも手を当ててみたが、こちらは特に何もなく、平常通りといった感じ。
もう一度右側、今度は直に触れてみると、やはり少し熱っぽい。
右下といえば盲腸があるけれども、それは中学の時にとってしまった。冬場で傷跡がどうにかなり、熱をもったのだろうか?

気にはなったが、激しく熱いわけでもなく、また他に異常が見られないこともあって、そのまま2.3日過ごす。

-- 入院5日前(10/10)--

寝入る段になってまた異変に気がつく。
今回ははみ出したTシャツをパジャマズボンに入れ直そうとして気がついた。
おなか右下、以前より熱っぽさが増している。しかも、触ってみるとその辺りがうっすら腫れているような。
平らに寝そべった状態で首だけ持ち上げ見てみると、右だけほんの少し膨らんでいるのがわかった。
痛みなどはまったくないが、その腫れぼったさが気になる。

とりあえず、病院に行って診てもらおう。

しかし考えてみると今日はもう週末で、連休に入る。甘枝にはこの連休中に北九州へ行く予定があった。
明日から一泊で、イッセー尾形氏の小倉公演を観に行くのである。

無痛であること、触らなければ自覚もなく、活動に支障がないことを確認して、病院は連休明けに行くことに決める。

-- 入院前日(10/13)--

予想通り何の支障もなく小倉一泊の旅を敢行し、昨日、イッセー効果のもとほくほく顔で戻ってきた。
今日は布団に入るまでずっとほくほく状態で過ごし、寝入りばなになってハタと明日の予定を思い出す。

そうだった。忘れていたけれど明日はおなかの診察を受けに行かねば。
患部を確認する。
熱っぽさ、腫れ具合ともにこの間と同じ状態。引いてはいないが進展もしていない。
なんなんだろな、これは。 まっ、明日わかるか。じゃーおやすみなさーい。

じゃーおやすみなさーい
じゃーおやすみなさーい
じゃーおやすみなさーい ‥‥‥‥‥

呑気な調子で床についたその数時間後に、まさかあんなことになるなんて‥‥
その時の甘枝はちーとも思っていなかったのであった。

1/12(月) 「プレイバック入院記 vol.2」

-- 入院当日(10/14)--

AM5:00 右下腹部の痛みで目が覚める。
初めは鈍くもやもやとしたような痛みだった。鈍いので寝直そうと再び目を瞑ったくらいである。
しかしその痛みは鈍いながらにしつこく、10分後には「こりゃもー寝てられん!」と立ち上がるまでに。
気持ちとしては「どうせ朝になってから病院に行くんだから、それまで何とかならんのかい」、と身体に抑留を求める気満々。
一方身体としては「そないなこと言いますけどな、知らんでアカンでー ソラどんぶらこっこー」、と波状砲撃留まることなし。

ついにたまらなくなって、灯りをつけタウンページで夜間救急センターの番号を調べる。
(救急車を呼ぶことも考えたが、鈍痛で身体はまだ充分動かせるため自力で行くことにした)
調べた番号に電話をかけ、今から行くことを伝える。続けてタクシー会社にも連絡。
それからタクシーが来るまでの間に着替えを済ませ、万一のことを考えてノーチの器に餌を多めに入れておく。
ノーチは既に起き出しており、この騒動を何事かという目で眺めていた。不安を感じたのか、足元にすりすりと寄ってくる。
「ちょ、ちょ、ちょっと行ってくるねーー」 構ってあげたいのはやまやまだったが、一瞬サッと抱きしめる余裕しかなかった。

家を出て、到着していたタクシーに乗り込み、病院の名前を告げる。
「さー行け- どんと行け- 急ぎ行け-」 叫びそうになるのを堪えていると、運転手がひとこと。
「すいません、私この仕事始めたばっかりで、道がよくわからなくて‥‥ どこの病院ですか?」

あああ、運転手さん。多分今ので痛みが2倍増しました。(当社比)

さいわい病院住所のメモ書きを持っていたので、それを頼りに(途中で病院に確認telしたりつつ)なんとかかんとか行く。
15分後、病院に着いた頃には鈍痛が激痛に変わり、立って歩くのがやっとになっていた。

AM5:45 病院待ち合い室。
こちらは非常に切迫しているのだが、準備があるのか待ち合い室でしばし待たされ、その間に体温を測るよう言われる。
ロビーのソファに腰かけてみるものの、とても座っていられず、体温計を脇にはさんだまま寝転がって悶えていた。

ようやく(といっても5分経ったぐらいだろうけど)診察室に呼ばれ、まずは状態を聞かれる。次に当直の先生による触診。
この先生、多分内科の医師だったのだろう。触っただけで「子宮外妊娠の可能性も‥‥ありえる」と言って甘枝を卒倒さす。
超音波機械を患部にあててみてその疑いはすぐ晴れたが、あれで甘枝の痛みは1000万ドン相当に上昇した(ベトナム貨幣換算)

結局、婦人科の先生を呼んだ方がいいということになったようで、医師が来るまで看護婦にあれこれ訊問される。
住所氏名に始まり、いつ頃から痛いのか、最後に食べたものは何か、お酒は飲むか煙草は吸うか‥エトセトラ。
看護婦も入れ替わり立ち替わりバタバタしていて、別の人からまた同じ質問をされるなど現場は混乱を極めた。
そうこうする間に医師到着。再びエコー検査をして「卵巣に腫瘍がみられますね」との判断を。
そして、多くのケースは痛みがないのだが、あるということは根元がねじれているなどが考えられ、即刻手術に入りたいとも。

甘枝の状態はその時極限に達していたので、一も二もなく「手術で!手術で!」と承諾。
これですぐ始まるかと思いきや、ところが手術には親の承諾も必要なのだと言う。
急ぎ実家に連絡を取ってもらった。
ところが、ところがところが。 父はいたものの母が出ていて今いない、とな。
我が母君は最近ハマっているウォーキングに出かけており、また今日に限って携帯を所持していないとのこと。
なんという絶妙さ。 これで甘枝の痛みはついに太陽圏へと突入した(NASA調べ)

ここで父が「お願いします」と言えばそれで済んだ話なのかもしれない。
だが父も突然娘が緊急手術と言われ(しかも明け方、眠り込んでいたところに)動転してしまったようだ。
「とりあえず家内を迎えに行ってまた連絡します」と言い残し、そのまま連絡途絶ゆ‥‥
ここまで来ると、甘枝の行くところはもう天上界しか残されていない状況である。
実際、目を開けると世界がだんだん白く輝き出して、俗に言う走馬灯のような思い出集大成が浮かんでは消えた。

「もはやこれまでか‥‥‥ イヤいやッ!甘枝にはまだやることがたくさんあって‥‥ 先生手術まだですか!?」

まだですかまだですかと、まるでラーメンの出前状況を確認するように連呼しつつ、待つこと15分ぐらい。
さすがに先生も業を煮やしたと見え、親は事後承諾で手術を始めることに。

AM6:40頃 オペ開始。
始めに麻酔を打つ。下半身麻酔だ。
背中に注射を打たれ、これでひとまず痛みから解放されると安堵するものの、既にある激痛が強烈でなかなか効いた気がしない。
足の感覚がなくなるのを待っていざ開腹となるも、盲腸の時もそうだったけれど中を探られている感触はありありである。
腹部内のナニカを引っ張られたり、切られている感じがしたり。
最初はやはり少し痛い。そして何とも気持ちが悪い。呻いてはなだめられるのを繰り返した。

その後徐々に麻酔が効いてきて、途中から記憶がなくなる。

AM7:30頃 オペ終了。
看護婦さんから声をかけられて目が覚める。
先生が「とったものを見ますか?」と聞いてきたが、とにかくぐったりしていたのでパスする。
再びうつらうつらしている間に病室へ運ばれたようだ。気がつけば個室のベッドにいた。
 

1/15(木) 「プレイバック入院記 vol.3」

-- 術後1日目(10/14)--

個室に運ばれて目覚めると、いつのまにか両親が来ていた。
見れば祖母の姿もある。親がともに仕事をもっているため、付添いに名乗り出てくれたようだ。
だが看護婦さんの説明でここが完全看護体制を採っていることがわかり、泊まらなくて良いことになった。

家族と二言三言会話を交わすうちに、職場でタッグを組んでいるパートナーが参上。
親と連絡が取れなくなった時点で第二連絡網をまわしたため、急ぎ駆けつけてくれたらしい。感謝。
その後続けて宮崎市内に住む叔母も到着。朝もまだ早いのに。申し訳ない限り。
皆が皆ベッドを取り囲み心配そうな顔でのぞきこむので、「これくらい大丈夫だよ」と首を持ち上げたら、途端に嘔吐。
こんなに胃液があっていいのかというくらい吐いた。大丈夫では、ないらしい。

担当のT先生が病室を訪れ、甘枝と両親に手術の内容と今後の治療について軽く説明。

・右卵巣に良性の腫瘍があった
・直径8センチほどの塊で、周りに隙がなくなって子宮の上に押し出されていた(腫れて見えたのはこのため)
・腫瘍の根元が二重にねじれていた(茎捻転というらしい)
・通常は腫瘍だけを切除して正常な部分を残すが、茎捻転が起こっていたので今回はやむなく卵巣ごと摘出した
・入院は10日ほどになるだろう

説明が終わったところで一同退室。
その際職場の相棒を引き留め、甘枝代理として事の次第をBBSにて報告してくれるようお願いする。
ついでにノーチのためのペットシッターの手配も依頼。

皆が引き上げた後で、看護婦さんが入院のしおりを持ってくる。
今日は絶食、明日は水分のみ摂取可で、明後日の朝から少しずつ食事開始なんだそうだ。
ベッド脇にテレビ台と電話台があり、テレビはカードで、電話はそのまま使用して良いとのこと。電話もあるとは便利な個室。
熱を計り、点滴を打たれる。熱、39度。点滴は明日まで何本も打たれる予定。

夕方までに何度か嘔吐。すでに胃液も出し尽くして何も出ないのだけれど、嘔吐感だけ続く。
熱もあるし、なんだか身体が一丸となってこの非常事態を拒んでいるようだ。

午後6時頃になって、再び両親来る。
ふと朝の一件を思い出し、母に携帯電話の存在意義とその必要性について説く。
すると母は母だけに、「ハハッ」とな。 
もしも甘枝が円楽師匠だったら座布団全部取り去ってなお何か剥ぎ取りたいほどの回答だ。隣の歌さんの心底呆れた顔がありありと浮かんだ。
しばらく話をし、帰りにノーチの様子を見に行ってもらうよう頼んで今日はお開き(まだ大喜利感覚)

両親が帰ると入れ違いで甘枝代理人登場。BBSへの報告、ペットシッターの手配、ともに済みとのこと。
退院に10日ほどかかる旨を話し、その間の業務について打ち合わせ。代理人には負担をかけてしまうことになる。平謝り。

PM11:00
9時で面会時間が終わり、10時には消灯となり、完全に静まりかえった病棟。
だが甘枝の部屋には検温や点滴の入れ替えで看護婦さんが出入りし、さすがは術後間もないといった感じ。
夜が更けるにつれて傷口の痛みが増してきたため、点滴に痛み止めを混ぜてもらう。
それでようやく、眠りの奈落へ。

-- 術後2日目(10/15)--

AM5:30
検温のため起こされる。
今朝の看護婦さんは手術前の診察室で見た人だった。質問を受けたり、家族の連絡先を聞かれた覚えがある。
「大変でしたねえ」とまずはひとこと。「いえいえ、こちらこそ酷く騒いでしまって。。」と返すと、
「とんでもない。茎捻転は婦人系の病気の中でも最高に痛い方ですからね。しかも今回二重に捻れてたでしょう。ねえ....」

ああああ、そうなんだ。最高だし2倍だし、だったんだ。 聞いて改めてゾッとした。

熱は38度。採血、注射器1本分。新しい点滴2本。

AM11:00
婦人科病棟に回診のアナウンスが流れ、担当のT先生が医師2名、看護婦1名を伴って来室。
患部の消毒等。甘枝も傷口を見たかったが、首を上げられないため見えず。縦に7センチほどの縫い跡があるらしいのだが。

PM2:00
叔母来る。母との間で話があったようで、昼間時々着替えの交換に来てくれるとのこと。
差し入れで雑誌とペットボトルの水。スポーツ飲料なら飲んでもいいと聞いていたので、ついでにポカリも買ってきてもらう。
昨日手術した身でいうのもナンだが、実は早くも身体は空腹を訴えていた。懸念が消え余裕が生まれたのだろう。
そういうわけで、今は水分しか摂れないにしても、飲めるならせめて味のついたものが欲しかった。さもしいがそうなのだ。

叔母が帰り、ポカリのボトルを後生大事に抱えつつ差し入れの雑誌を読む。
OL向けのファッション誌。叔母も28の姪向けに考えて選んでくれたのだろう。
実をいうと当の姪はこの手のものを読まないのだけれど、何よりその気遣いが嬉しかった。
それにしても、この1冊における洋服・メイク関連の情報量といったら。月刊のようだが甘枝にはこれでワンシーズン持ちそう。
モデル2人の一週間着回しテクを読み、アイシャドウの効果的な重ねづけ法を読んだところで、どちらの技も習得できないままに落眠。

夕方、両親来る。
この頃には空腹が結構なものになっていて、思わず母に「飴持ってない?飴でいいから、せめて飴だけでも‥!」とすがりつく。
入院が朝だったから、考えたら13日の夕食以降何も食べてない。液体はもういい。何か、何か甘枝に固形の感触のあるものを!
飢えゆく娘に対し、母はさも気の毒そうに「いつものど飴を持ってるんだけど、今日に限って持っていない」、と。
‥‥またか。 携帯に続き、また。今日に限って。 

そんな母には、甘枝から「今日に限ってオブ・ザ・イヤー」の栄冠を副賞のカメリアダイヤモンド付きで進呈したいと思う。
だから今日に限らず明日も頑張ってくれ。

ノーチのことも聞いた。ノーチは元気。ただシッターさんや自分等が出入りするので不審そうにはしているとのこと。
ノーチは入院のことを理解していないはずだから、甘枝の帰りをまだかまだかと待ってるんだろうな。 そう思うと胸が痛む。

夜、昨日代理人が気を利かせて買っておいてくれたテレビカードを使う。1枚1000円で12時間観られる仕組み。
テレビをつけたら『トリビアの泉』をやっていた。笑うと傷口が痛い。慎重に笑った。

深夜、傷が疼いて眠れず。痛み止め1本。

1/18(日) 「プレイバック入院記 vol.4」

-- 術後3日目(10/16)--

AM6:00
検温。37.5度。
今日は待ちに待った食事開始の日。ビバ固形物! ウエルカムトゥマイマウッス!(どれだけ飢えてたんだ)
看護婦さんに言うと「元気ですねえ」と笑われた。普通2,3日は食欲が戻らないらしい。軽くヤァと手を挙げまでした自分が恥ずかしくなった。

AM8:00
術後1食目: 重湯、玉子を溶いただけのみそ汁、牛乳、ぶどうジュース。

念願の。念願の。頬がゆるむのを抑えられず。まずは重湯をば。おお、お米の香り! 続いておみそ汁。これまた‥‥味噌ッ!
もはや山岡士郎か海原雄山かっつーほどのリアクションに、どうしてもなってしまう。(一番妥当なのは多分富井副部長)

きれいに平らげるのも時間の問題かと思いきや、これがどうしてどうして、半分も食べられなかった。一応は病人らしい。
でも満足。

AM11:30
回診のあと、看護婦さんが来て「突然ですがこれから病室を移ってもらいます」
容態が安定してきたことだしそろそろ個室から大部屋に、ということらしい。あっという間にベッドごと運ばれて引っ越し完了。
新しい病室は6人部屋。だが現在は1人入っているのみ。その人(女子大生のよう)もあさってには退院で空くとのこと。
お向かいになったので、新入りらしく丁重に挨拶。すると先方はいかにも今時のガキ、いや今時の若者らしく、「はァ?」と。
それならそれで、こちらも変に気を遣わなくて済む。住み分けの上での共存。

正午。術後2食目:五分粥、大根と人参の味噌煮、ほうれん草入りマッシュポテト、黄桃、ジョアみたいな乳酸飲料。

朝に比べるとゴハン感が増していて嬉しい。半分ほど食す。

PM2:00
叔母と代理人、それぞれに来る。
叔母は母から昨日の「飴をくれ」発言を聞いたようで、不憫に思ったのか飴をどっさり持ってきてくれた。
しかもその飴というのが、昔よくデパートの地下食品売り場でグルグル回っていた、円形のケースに入っているアレで、笑った。
子供の頃大好きだったレモンミルクやイチゴミルクに、オレンジの輪切りをかたどったもの、コーラキャンディ、バターボールなど懐かしさ大爆発。
中には銀チョコといったチョコ類もあり、とても嬉しい。(少しでも食いでのあるものを喜ぶあたり、とても悲しい気もする)

代理人の方も差し入れ持参で、トリビア系の本とクイズ本、木製ブロックの立体方パズルをもらった。
今日から少し歩いても良いと言われていたので、フロアの途中まで出て見送る。
その後夕食まで読書とパズル。

PM6:30 
術後3食目:全粥、天ぷら(椎茸、茄子、海老、シソ、人参、芋、白身魚)、酢の物、梨とバナナ
揚げ物、それも天ぷらという大盤振る舞いに心がうち震えた。
初日の晩からこんな調子で良いのか。これならしまいにはうな重も‥‥ありえる(ないない) 天ぷらはたいらげ、果物残す。

夕食後、ロビーまで出て公衆電話から実家へ電話。久々にテレホンカードを買った。
部屋に戻ると、向かいの女の子が堂々と携帯電話で話している。ベランダに出てやれば携帯でも良いかもなと見ていて思った。

深夜。昨日まであった痛みが今日はないことに気づく。ゆうべの座薬が効いたのか。
看護婦さんの見回りが済んだあと、そっと飴の袋を出し、中から銀チョコのみ3つほど出す。こっそり食べるとこれがまた旨い。
銀チョコはいきなり噛む人と最初に粒の外側が白くなるまで溶かす人といると思うが、甘枝は後者である。どうでもいい話だが。
本を読むうちに寝て、夜中3時にトイレに起き、また眠る。

1/19(月) 「プレイバック入院記 vol.5」

術後4日目(10/17)

AM6:00
検温。36.5度。今日は尿検査があるということで、そのままトイレへ。普通に歩くとまだ痛いので、アイススケート初体験の人みたいに進む。

AM8:00
朝食:ごはん、じゃがいもの味噌汁、野菜のソテー、海苔佃煮、みかん

いよいよ白御飯。NHKの朝ドラを見つつ食べる。このドラマの始まり頃にちょうど配膳となることを発見。 みかんのみ残す。

朝食後、代理人来る。仕事の確認事項のため。
ずいぶん落ち着いてきたと話していたら、ふと思いついて、ノートとペンを買ってきてもらう。
せっかく時間があるのだから、この機会に歌でも考えようかと思ったのだ。
すると代理人が「ここはパソコン使っちゃダメなんかね」と漏らした。どうでしょう。でも使えるならその方がもっと良い。

看護婦さんが包帯を取り替えに来た際、早速だめもとで打診してみる。OKをもらった。ラッキィ!
ベランダに出て代理人に携帯メールを打つ。しばらくして返事。職場で使っていないノートを持ってくるとのこと。

昼食:ごはん、にゅうめん、魚のホイル焼き、南瓜と人参の炒め煮、牛乳

そろそろ麺類の恋しい頃だったので、にゅうめんはヒットだった。代わりに牛乳は半分でアウト。

午後、社用で出たついでに代理人がノートを持ってきてくれる。わーい。仕事が速いねえ。
あいにくカードに空きがなかったため通信はできないとのことだが、ワープロ仕様でも書ければ問題ない。
ついでのついでに、代理人が自分用のノートを広げ、皆さんから寄せられたお見舞いメールを見せてくれた。あと甘枝掲示板も。
代理人が帰った後で今一度各文面を頭に浮かべ、ちょっと泣いた。

感傷的になったせいか、その後PCに向かって打ち込む言葉のどれもが甘ぬるくなる。だめだ。こんな歌使えない。
気分転換にゲームをやることに。フリーセル。初めてやる。面白くて時を忘れるほど夢中になる。(だめだ。わたしは使えない)

PM7:00
夕食:ごはん、野菜スープ、チンジャオロース、シュウマイ

入院してから初めてのお肉。 細切れでもいい、たくましく育ってほしい。(嬉しさに頭も思わずハイリハイリフレハイリホ−)

夕食後、母と祖母来る。ベリーのタルトとアップルパイ持参。
タルトをひとくちだけ食べようとつかみあげたら、たちまち崩れてシーツの上で5分割。
特にベリー部分の下は、まるで喀血か何かしたような染みになってしまい、以降、看護婦さんが来るたびに大の字に広がってひた隠すはめに。

PM8:50
前々から観たいと思っていたドラマ『フジコ・ヘミングの軌跡』が今夜なので、忘れないよう夕食前からテレビをつけていた。
そしたらそれが仇になり。テレビカードに度数というものがあることをすっかり忘れていた甘枝は、放送開始10分前になって愕然とした。
放送10分前にして、カードの残り度数が11しかなかったのである。
さらに悪いことは続いた。慌ててバッグから財布を出す。と、そこにあるのはなんと悲しいかな900円ぽっきり。ぽっきり。
昼間代理人が来た時、「ヨーグルト買ってきてぇ」と甘えたフリして100円渡したのが失敗だった。
もしも、もしもヨーグルトの値段が100円でなく100万円だったなら、けして買うようなことはなかった。買う気すらおきなかったろう。なのにヨーグルトよ、お前は何故にそこまで良心価格なのか。安心・丁寧・ヘルシーなのか。

ともかくそういうわけで、新しいカードを買うこともできず、我がテレビはドラマ冒頭のワンシーンを映した瞬間、ピーと鳴って本日の営業を終了した。
かろうじて、放映前の短い予告のみ観ることができたが、甘枝にわかったのは、フジコ・ヘミングをピアニストと断定してよさそうだということだけだった。
さすがの甘枝も、まさか彼女が宇宙飛行士や特命捜査官でないことくらいは知っていたので、つまり結局、慎重すぎるほどの確認をしただけだった。

静かな夜。 本を読むにはうってつけ。しかしもらった雑学本はとうに読んでしまっている。
そろそろお話が、小説が、読みたい。そんな入院4日目の夜。

2/18(水) 「プレイバック入院記 vol.6」

術後5日目(10/18)

AM8:00
朝食:ごはん、油揚げの味噌汁、焼きたらこ、温泉玉子、鯛味噌、かぶの漬け物、牛乳

昨日いらんことに気づいてしまった(朝食の配膳がNHK朝ドラの時間に行われる)せいで、今朝は起床から8時15分までの時間が長くて仕方なかった。
配膳の30分くらい前にまずお茶の配給があるのだが、それが済むといよいよカウントダウン式に時計を見ては逆算した。

ところで、鯛味噌。食べるの初めて。細長いパック入りで、ひねり出して御飯にのせる。
小学生の頃給食で出た、大豆原料のチョコクリームもどき(なんとかビーンズって名前だった)を思い出した。
パックの切り口をできる限り細くして、よくコッペパンの上に絵を書いたものである。あれ、好きだったなあ。
懐かしくなったので鯛味噌でもやってみた。慎重に絞り出したつもりが、切り口が小さすぎたのだろう。ものすご細かいウェーブが一気に出た。
仕方がないので、それを髪に見立てて顔を描く。目を大きめの二重にしたら、デーブ・スペクタ−そっくりになった。
しかしそれをデーブと認めるのはいやなので、新たにジョンと命名。(特別命名しなくても良かったように今は思う)

PM11:00
回診。もう歩けるので、先生が来ても「調子はどうですか?」と聞かれるくらい。
その代わり、後から自分で治療室まで赴いて患部を診てもらうことになっている。
消毒の時、初めて傷口を目にした。大型のホッチキス針みたいなのが縦にバチバチバチッと留められている。
うーわー。こりゃまた、几帳面に留めてくれましたな! もうちょっとおおまかでも良かったですのにぃ。(よくないよくない)
こうなるとどうしても取り外す際の諸々を思い危ぶんでしまうのだが、気になる抜糸は明後日とのこと。
診察室からの帰り、「わたしのおなかの金属よ、明後日までに溶けてなくなれぇ」と呪文を唱えてみたが、どうだか。(どうもならないならない)

部屋に戻ると、向かいの女の子が帰り支度を始めていた。そうか、今日で退院なんだな。
この人とは結局何の交流もなかったが、ただひとつ、甘枝の方で勝手に親近感の湧く出来事があった。
それは昨日の夕方のこと。TVを観ていたら、V6が進行を務めるグルメバラエティ(?)をやっていた。
ゲストの好きな料理をテーマに、それが目玉の店をランキング式に紹介していく番組らしい。
この日のテーマは釜飯。老舗の定番ものから高級食材をふんだんに使ったもの、変わり種まで、出てくる出てくる旨そうな逸品!
こちとら好きなものを自由に食せない身であるから、どうしたって垂涎。最低でも垂涎、となる。
「わあぁぁぁ食べたーーーい!」 心で叫んだその時だった。
間仕切りカーテンの向こうから、同時に同じ口調で声が挙がった。 観ている!向こうも!
その後も甘枝が「これよりさっきの方がいい」と思えば同じ声が聴こえ(向こうは友達と観ている様子)そのたび肩が震えた。

これから病院を出て、彼女はお昼に何を食べるのだろうか。できればそれが釜飯であってほしいと願いつつ、アデュウ。

昼食:ごはん、玉子スープ、麻婆豆腐、もやしのおひたし、パイン、みかん、チェリー

釜飯のことを思い出した後だからか、内容に物足りなさを感じてしまう。比べ出すと、いけないねえ。

昼食後、本を求めて1階の売店へ。文庫を数冊発見するも、興味を惹かれるものなし。雑誌の週刊文春を買って戻る。
まずは御贔屓・土屋賢二のエッセイを読み、それから巻頭に戻る。
公務員の怠慢を暴くルポ、面白い。地元紙の宮崎経済新聞にこの手のネタがあったが、地域は別でも内容に差はない様子。

あっという間に読了。うーん、これはこれで面白かったけど、やっぱり小説が読みたい。時間はあるのだし、シリーズ物とか。
親や代理人におつかいを頼もうかとも考えたが、甘枝の好みを考慮しつつ選んでもらう手間を思うとなぁ。

夕方、叔父・叔母来る。叔母にはこのところお世話になっているが、叔父に会うのは久しぶり。
この人は『酔拳』に出ていた頃のジャッキ−・チェンに似ており、幼い甘枝は叔父を本物と信じて疑わなかったものである。

‥‥いや。正確に言うと、幼な心にも疑いは少しあった気がする。
「ジャッキー」のはずなのに日本名で呼ばれているところとか、映画俳優のはずなのに宮崎の会社に勤めているところとか。
これで甘枝が物怖じしない性格の子供だったら、叔父に堂々と問いただしていただろう。
だが当時甘枝は臆病で、何より幼かったので、面と向かって「おじちゃんってジャッキ−・チェン?」とはとても聞けなかった。

いやあ、まったくねえ、あの時聞かなくてほんとーーーうに良かったです!

夕食:ごはん、とろろこぶのお吸い物、鮭の南蛮漬け、里芋といんげん、舞茸の煮物

お向かいさんが退院して一人になり、気が楽。最後までこのままだと良いな。

3/17(水) 「プレイバック入院記 vol.7」

術後6日目(10/19)

朝食:ごはん、わかめの味噌汁、鶏肉と切干大根の煮物、のりたまふりかけ

入院当初は毎朝看護婦さんに起こされていたのが、この頃は巡回の前に自然に目が覚めるようになった。
検温と問診を済ませた後、朝食までのひとときをベランダで過ごすのがちょっとした楽しみになっている。
家での暮らしより早起きで、しかも時間はたっぷりあるときて、毎日日の出の模様をゆったり眺めている。

ロケーションがまた良いのだ。病院が郊外の海寄りに建っているため、周辺は農地、前方は海岸線と視界を遮るものがない。
海岸は防波林で守られていて、海そのものは拝めないが、近くに宮崎港があり、停泊中のフェリーの上部が病室からでも見える。
これが夜になると灯りがともり、時折「ボォ−ー」と船笛が鳴る。またここは飛行機の航路下にもあるようで、その光の軌跡を追う楽しみもある。
そんなわけで夜も良く、結局朝な夕なに外へ出る。10分から20分、学校の休み時間みたいにして過ごす。

ところでその休み時間中、ベランダから外を眺めていて気になることがある。
朝方、それも日の出の間際に多いのだが、どこからかふいに獣の喚き声が聴こえるのである。
甘枝の知る動物の中では犬の声に近く、しかし犬にしては鳴き方が変だ。「グワ−オ、キャンキャンキャングワ−」と鳴く。それが複数の声で聴こえる。
妙な騒ぎ方をするものだが、気になるのは辺りをようく見回しても、どこにも声の主が見当たらない。声は近いのに、姿がない。

声のするベランダ前方下には道路をはさんで右に家が一軒、左に一軒、そしてその脇に栽培用らしきビニールハウスがあるのみ。
あとは田んぼと農地だから、何かいるとすればその二軒のどちらかのはず。
二軒がそれぞれ別個に飼っていることも考えられるが、毎回複数がいっせいに声を挙げるためそれはないと思う。
ベランダからは各家の裏手側しか見えないので、もしかしたら反対側にいるのかも。或いは室内飼いか(だが屋内で多頭飼い?)
いずれにしても、もし犬ならいつか家人が散歩に連れ出すはずだ。今のところそれらしき光景は目にしていない(よそからの散歩者はよく見る)

姿なき遠吠えの怪。まさかこの農地ばかりの一帯に狼は出ないだろうし、カラスやハトの仕業とも考えにくい。第一声が違う。
非常に、気になっている。

AM11:00
回診のあと例によって治療室へ。抜糸の話が出る。いよいよ明日。
わたしの記憶が確かなら昨日おなかに魔法をかけたはずだが、どうも傷口の留め金が溶けている様子はない。
その代わりにというか「おや、回復力いいねえ。皮と針がピッタリくっついてる。こりゃ外す時ちょっと痛いかもね〜」などと言われてしまった。

おいおいおい! 魔法のかけ方間違ってるかもですぞ!! 
確かに溶けよとは言ったが、すっかり身体の一部に溶け込んでどうする!? あんたそれ深読みしすぎーー(身体にダメ出し) 

昼食:ごはん、うずらのお澄まし、煮魚、高野豆腐の煮物、かぶの漬け物、梨、みかん

午後、職場の同じフロア内にオフィスを構えるIさんがお見舞いに来てくれる。
Iさんは風水学の専門家で、経営されている会社の移転でうちのフロアにやってきて以来のお付き合い。
風水というと町の占い師みたいに1人でやっているイメージがあったので、会社体系であることを初めは不思議に思っていた。
だが事業内容を知るうちに、それがある側面で土地家屋調査士の仕事に似ていることがわかって納得がいった。
風水の世界では Dr.○○ が有名だけど、甘枝の印象ではあんなに単純明快な職務ではないようである。それぞれ目指すところが違うんだろう。

さてそのIさんであるが、職業柄中国古来の鑑定学に精通しており、土地や家のみならず人も「みる」ことができる。
その昔、戦や天災の動向を知る目的で発達した占学にのっとって、一般に知られる四柱推命をより根源に近づけたような鑑定法。
個人固有のデータをもとに、その人の生まれ持った才能・能力と、その人の人生における運気の流れをみることができる。

こう書くと「占いか」と思われるだろうが、少なくともメディアで見られるような多数向けの簡略的・大別的な占いとは違う。
あくまで個別的だし、何より特筆すべきは最低1年から最大一生分の運気の流れを算出できること。それもグラフ化して。これはすごい。
占いが好きな人ならまっさきに気になるのが「当たる/当たらない」だろう。運命は自分で変えられると思っていても、生来のそれは気になるものだ。
だが、師いわく「そうではなくて、もともとの運気の流れを知ることで今がどういう状態にあるのか、どうすれば事がうまく運べるか推し量る指標に使ってほしい」とのこと。
だからそのグラフはもらうことができる。あとあとまで使えて実用に活かせる占いって、そうないんじゃなかろうか。

かくいう甘枝も、以前同フロアのよしみでみてもらったことがある。特別サービスで一生分。もちろんグラフも頂いた。
いろいろ自分なりに将来設計を立てているので、良い参考材料になっている。傾向と対策、ちゅうやつやね。

ところで、その鑑定の件で見舞いに来てくれたIさんにどうしても言いたいことがあった。
長々と書いてしまったのはその前フリと思ってもらえば良い。
しかしそれにしても長くなり過ぎたので、この続きは次回に。 今日はなぞなぞばかりで申し訳ない。

夕食:ごはん、人参と玉ねぎのスープ、豚肉のピカタ温野菜添え、フルーツサラダ、牛乳


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