阿 蘇 と そ の 周 辺 の 山 々
玉岡城址 (大津町) 東山 (大津町)
城山(亀ヶ城址) (旭志村) 揺ヶ池公園から見晴し台 (西原村)
揺ヶ池公園から俵山 (西原村) 十文字峠から地蔵峠 (西原村・矢部町)
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玉 岡 城 址
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大津町玉岡の小丘は,玉岡城と呼ばれた中世の城跡である。別名若宮城ともよばれた。16世紀後半,合志氏が益城・阿蘇方面の押さえとして家臣の稲葉安芸守に守らせていたという。南側は白川の断崖に面して容易に攻め寄せることもできないような要害に見えるが,北側の田園地帯からは,比高10数メートル程度の小丘に過ぎない。登路は北東≪南西方向の主軸両末端にある。玉岡の集落から若宮神社の境内を経て登ることも可能である。私は城址南西端から登り,北東端にぬけた。
城址南西端は,玉岡集落入口に当たる。集落は城址南裾部に広がっている。まずは,堀切の中の道である。この堀切が最もはっきりとした城址の遺構であった。
堀切の東側の高台が城址の中心部。北側に幾段もの段状平坦地を連ねているが,土累などの遺構は観察されない。本丸では柱穴跡が確認され,礎石と見られる多数の石も発見されたというが,今は全面畑地と変わり,ここが去城址であるという予備知識がなければ,最上部まで畑地化された小丘陵だと思うのみである。本丸跡から北東方向へも,階段状地形が幾段も連なり,防衛面の配慮が充分に払われていたことをうかがわせた。
[タイム] 玉岡集落(5分)→玉岡城址
[踏 査] 2000年5月28日
[地 図] 立野 [標 高] 約110 m
[所在地] 大津町
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東 山
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玉岡城址の東にある小丘は東山とよばれており,玉岡城の出城が置かれていたと伝えられる。玉岡城址と同様,南側は白川に向けて切り立った断崖となっているが,北側は田園地帯とはわずかの段差があるに過ぎない。現在山頂部の大部分が墓地
として使われており,一部は社会福祉施設の敷地,そして他の部分は畑地となっている。玉岡城の出城の跡と伝えられているが,遺構だとはっきり確認できるようなものはない。玉岡集落から歩いても10分ほどの距離であった。
[タイム] 玉岡集落(10分)→東山
[踏 査] 2000年5月28日
[地 図] 立野 [標 高]約110 m
[所在地] 大津町
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城山(亀ヶ城址)
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城山とよばれる湯舟集落南東の小山は,亀ヶ城という山城の跡である。鎮西八郎為朝の居城跡と伝えられる。ところでこの亀ヶ城址を,私は探しあぐねた。それというのも「日本城郭体系」(新人物往来社発行。亀ヶ城址は湯舟集落の北東と記している)に記された位置と説明がまったく現地の状況と一致しないのである。探訪をあきらめていたが,「旭志村誌」に湯舟集落の南東と記されているのを見,また現地に亀ヶ城址の標柱を確認して,ようやく訪れることができた。
城山とは谷間を隔てた湯舟の集落から歩き始める。この付近,似たような感じの尾根と谷間が交錯していて,目標地点を見定めていないと,とんでもない場所へと行ってしまう。谷間を越えるとすぐに亀ヶ城址への登路が分岐する。道路が尾根を断ち切っている地点である。はっきりした踏跡で,すぐ尾根上に出る。このあたり尾根筋はほぼ平坦となっている。亀ヶ城の一部として,削平されたのかもしれない。まもなく堀切に出る。あまり深いものではないが,主郭部を東に続く尾根筋から切り離す役割を果たしている。
堀切を超えると亀ヶ城の中心部。ヒノキや竹林,一部梅林となった平坦地が広がる。土塁等の顕著な遺構は観察されない。
中心部の西側尾根筋にも,城の遺構は広がっている。小さな堀切,幾段かの平坦面などである。次第に高度を下げながら,城山北面の田園地帯に達していた。
[タイム] 湯舟集落(10分)→城山
[踏 査] 2000年5月28日
[地 図] 鞍岳 [標 高] 約180 m
[所在地] 旭志村
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揺ヶ池公園から見晴し台
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5月中旬の阿蘇外輪山は,萌え出た若草が目にまぶしい。俵山登山の登山口の一つである揺ヶ池公園の駐車場に車を置かせてもらって出発。
早朝のすがすがしい空気を胸一杯吸いながら,左手の小尾根めざして若草が萌えだしたばかりの斜面を登る。かなりの急登である。10分ほどで尾根に出る。振り返れば,大切畑ダム湖を抱え込んだ大峯がすぐ足下である。熊本平野は,霧がまだ晴れ切っていないため,ぼんやりと見えているだけだが,気持ちよい眺めである。
尾根ぞいの踏跡は,急登と緩傾斜が交互に続く。登るほどに,一ノ峯,二ノ峯,高畑山との標高差ががんぐん小さくなってくる。やがて,右手の鉄塔のある小尾根から登ってくる踏跡を合わせる。登り詰めたその先の最初の小ピークが,見晴し台とよばれるピークであった。
見晴し台は露岩の多い広場となっている。その名にふさわしい360度の展望が得られ,右手に立野山,左手に一ノ峯,二ノ峯,高畑山の諸ピーク,足下に大峯と大切畑ダム湖。そしてその向こうには,熊本平野が広がっていた。
[タイム] 揺ヶ池公園(40分)→見晴し台
[踏 査] 2000年5月21日
[地 図] 立野 [標 高] 613m
[所在地] 西原村
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揺ヶ池公園から俵山
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「肥後の山 675座 駆け歩き」では,護王峠→俵山→俵山峠のコースを紹介した(174-175頁参照)。ここでは,揺ヶ池公園からのコースを紹介
する。
大切畑ダム湖から望む俵山 見晴し台(ここまでのルートは前項を
参照)でひと休みし,草原の中のなだらかな登りである。俵山のピークは
見晴し台の少し手前で,前衛のピークの背後にわずかに顔をのぞかせていただけ。5分ほど登ると,草原の最上端近くで古い林道に出る。ここで左折。樹林帯の中を終点まで進み,尾根に登る。ここからは,防火帯をたどる。周囲はヒノキ林で,防火帯ははっきりしている。急登を過ぎて尾根に出る。ここでようやく俵山のピークがはっきり望めるようになった。
やがて926mのピーク。露岩の多い小ピークで,鞍岳や北外輪山,阿蘇谷,中央火口丘などが一望できる。ここまでくると,もう俵山山頂は近い。アセビなどの灌木が生え始めている防火帯を登り,前面の小ピークを右手から回り込むと,急に視界が開けて灌木混じりの草原に出る。俵山山頂は,草原の中を登り切った地点であった。
俵山で阿蘇の雄大な景色を楽しんだ後,出発点とした揺ヶ池公園に向けて,西南西にのびる尾根筋の踏跡に入る。一息に10分ほど下ると林道に出る。ここからは林道が樹林帯から抜け出て右手に大きくカーブしてゆく地点まで,ゆっくり林道を下る。林道をそのまま下っても差し支えはないのだが大回りになるので,カーブ地点からは防火帯の中の踏跡に入る。
踏跡が防火帯を離れてまだ若い造林地の中を進むようになると前方に大きな石碑が見えてくる。良質の製氷法を教えたという山伏清三の記念碑である。
製氷記念碑から少し下ると,送電線の鉄塔の立つ平坦地に出る。鉄塔のすぐそばを林道が通過しており,この先は林道に出ては送電線の巡視路に入るという繰り返しで,揺ヶ池公園まで下りついた。
[タイム] 揺ヶ池公園(40分)→見晴し台(60分)→926mピーク(40分)→俵山(30分)→製氷の碑(70分)
→揺ヶ池公園
[踏 査] 2000年5月21日 [地 図] 立野・大矢野原 [標
高] 1094.9m [所在地] 西原村
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十文字峠から地蔵峠
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阿蘇の外輪山を越える道の多くは,あるいは荒廃し,あるいは車道に取って代わられて,古道の面影を残している道はほとんどなくなった。そんな中で十文字峠から地蔵峠に至る道は,古道の面影をよく残していることに加え,全体がきわめてなだらかなため,近年ハイカーの人気を集めるところとなっている。出発点の十文字峠は標高約810m。ゴールの地蔵峠は標高1086m。標高差280m弱を約5kmかけて登るルート。数字からみても,ごく緩い登りルートとなっている。登山口の十文字峠は,数年前まではめったに車も人も入ることのない静かな場所であったが,グリーンロード南阿蘇の開通で,隠れたドライブコース(そのうちに人気が出てくると思う)の通過点となってしまった。十文字峠の名は,矢部から山西を経て大津に至る道と,南郷谷と御船を結ぶ道がここで交差したことに由来する。いにしえの交通の要衝である。
十文字峠を後にすると,道は樹林帯の中に入ってゆく。段差もなく,ごく緩い勾配で登り続ける道。暗い樹林帯の中なので,展望は期待できない。20分余り歩くと,木のベンチを並べた休憩所があり,その手前に2本の松の木が並んでいて,夫婦松の札が下がっていた。巨木ではなく,気をつけていないと見逃してしまいそうな木である。ひと休みして先に進む。
部分的に下りの道が出てきて少し明るくなるが,それもしばらくの間。再び暗い樹林帯に入ると,まもなく小松姫塚。1185年,壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門が地蔵峠を越えて逃げる途中,小松中将重盛の姫が疲れてこの地で亡くなり,それを哀れんだ地元の人達が,石塔を建てて菩提を弔ったものという。苔むした石塔を見守るように,猿田彦と山の神の石塔が寄り添って建てられていた。
小松姫塚から少し登ると,突然視界が開ける。地蔵峠までのルート中唯一視界が開ける場所で,外輪山の展望を楽しむ。送電線の下をくぐると再び樹林帯に入る。この先地蔵峠までは,視界が開ける場所はない。しばらく林道を歩いた後,地蔵峠にむけていよいよ最後の登り。このルート中一番きつい登りだが,今までよりごくわずかきつくなったに過ぎない。すぐに地蔵峠に飛び出した。
地蔵峠は阿蘇南外輪山
を越える峠の中で,最も展望に恵まれた峠である。正面に阿蘇の中央火口丘を見据え,南郷谷を俯瞰する。ここからは南外輪山の縦走路が分岐し,冠ヶ岳(肥後の山181-182頁参照)や俵山へ,あるいは大矢野岳(肥後の山186-187頁参照)から高千穂野(肥後の山191-192頁参照)へと自在にルートをとることができる。しかし私の今日の目的はここまで。峠に祀られた4体の地蔵様にお参りして帰途についた。
[タイム] 十文字峠(25分)→夫婦松(20分)→小松姫塚(30分)→地蔵峠
[踏 査] 2000年7月20日 [地 図] 大矢野原 [所在地] 西原村・矢部町
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