九 州 山 地 北 部 の 山 々


下ン城跡 (田浦町)              上ン城跡 (田浦町)
上ン山
 (田浦町)               猪山城址 (田浦町)
大尼田城址 (芦北町)            芦北マリンパーク (芦北町・田浦町)
鍋山 (深田村)                布水の滝遊歩道 (須恵村)
城ガ尾山(須恵村)              今村城址 (須恵村)
雨宮丘(相良村)             




 ──────────────田浦城址概念図
 下ン城跡(田浦城址)
 ─────────────

 田浦中学校から北東方向を望むと,迫を挟んで独立丘陵のように見える小山と,背後のさらに大きな山からのびてきた尾根筋末端にできた小さな小山が見える。二つの小山には南北朝〜戦国時代に田浦城とよばれた山城が築かれていて,右手の独立丘陵のように見える小山には上ン城,左手の小山には下ン城が置かれ,二つの城を併せて田浦城とよばれていたという。名和氏が芦北地域を治めていた時には,家臣の進実春に守らせていたという。下ン城は,また亀ノ城ともよばれていたという。ミカン園として開発されてしまった今日では,城の遺構かどうかはっきりしないというものの,山頂を中心に平坦面と段状地形が残っている。
 田浦中学校から,下ン城と上ン城の間の迫めざして進む。広域農道のガードに出たところで,農道の上に上がる。広域農道は下ン城が置かれていた小山を断ち切るようにして建設されたので、この時に城の遺構のいくつかも壊されてしまっていると思う。広域農道から下ン城跡に拓かれたミカン園に至る作業道を登ると,すぐに高台に出た。ミカン園の開設で原地形が大幅な変更を受けているというが,北側のミカン園とははっきりした段差が田浦城址遠望あり,ここが下ン城の主郭と判断した。田浦川ぞいの狭い低地に広がる田浦の町並みを眼下に見下ろし,上ン山や猪山城址がその背後に壁のように立ちふさがる。田浦漁港が見え,不知火海にうかぶ殿島が望めた。

[タイム] 田浦中学校(10分)→下ン城跡
[踏 査] 2000年7月8日
[地 図] 田浦    [標 高] 約40m
[所在地] 田浦町

                                    頁先頭へ

                            トップページヘ



        ────────────────
       上ン城跡(田浦城址)
        ────────────────

 上ン城は,迫を挟んだ向かいの小山にあった下ン城とペアで,田浦城という一つの城郭を構成していたという。下ン城が亀ノ城ともよばれたのに対比して
,上ン城は鶴ノ城とよばれていたという。ミカン園が開設されて見るべきものはないと「日本城郭体系」に書かれていたが,名前のわかったピークは全て登ってみることにしている私である。とにかく登ってみることとした。

 田浦中学校からグランドわきの道路を進む。国道方面からの道をあわせた後すぐに変則十字路。ここで左折する。突き当たったところから天満宮の参道となる。階段を登りつめると,三段の平坦面があり,その最上段に天満宮が建っている。天満宮の背後には少し下がった平坦面があり,その奥には天満宮の建つ平坦面よりも一段高くなった平坦面がある。ここが主郭跡であろう。ミカン園の開設で原地形がかなり変形されているとはいえ,城の名残をとどめた地域と思える。山頂からの眺めは上々で,目の前に上ン山がそびえ,その懐に抱かれるようにして田浦の町並みが広がっていた。

[タイム] 田浦中学校(15分)→上ン城跡
[踏 査] 2000年7月8日    [地 図] 田浦     
[標 高] 48m        [所在地] 田浦町

                                    頁先頭へ

                            トップページヘ



 ──────────上ン山遠望
   
上 ン 山
 ──────────

 田浦の町並みの南にそびえた上ン山北斜面に,山頂まで達するミカン園が拓かれているのを確認した時,今日は楽勝だと確信したものである。ところが実際にこのミカン園に足を踏み入れると,這い登るという表現がピッタリくるような急斜面と,半ば放棄されてめいっぱい枝を伸ばしたミカン樹に邪魔されて,意外な苦労の連続となった。
 田浦の町を縦貫する田浦川には,二つの眼鏡橋が架かっている。上流側が門口眼鏡橋,下流側が橋本眼鏡橋である。二つとも幕末期に種山石工の手により掛けられたもので,ともに10mほどの長さ,4m弱の幅である。現在も現役(門上ン山概念図口眼鏡橋は車の通行も可)である二つの橋を見学してから上ン山に向かう。
 橋本眼鏡橋を渡り,観音堂に突き当たって左折。あとは上ン山北斜面のミカン園へ直行である。車道終点を過ぎ,農具舎が2棟並んで建つ地点まで来て少し考える。小沢ぞいに直進するか,右手の斜面に入るかの判断である。斜面上部まで続く電光形の踏跡に引かれて右手斜面に入るが,直進した方が楽だったようである。なぜなら,直進した斜面のミカン園の方がよく手入れされていたから。
 右手斜面は,放棄されたミカン園である。ミカンの樹は全て切り倒され,伐採直後の斜面と同じである。その中を踏跡がのびているのであるが,所々不明瞭になっている。そんな時は歩きやすい場所を選ぶようにして,急斜面を這い上がる。尾根に出るまで20分ほどかかった。あとは尾根ぞいに歩いて上ン山の頂上へ。
 4等三角点のある山頂からは,北側の視界が開け,田浦の町を一望することができた。大休止した後,真下の小沢めざしてミカン園の中の歩きやすい部分を選んで下る。

[タイム] 橋本眼鏡橋(45分)→上ン山(30分)→橋本眼鏡橋
[踏 査] 2000年7月1日      [地 図] 田浦
[標 高] 184.1m         [所在地] 田浦町

                                    頁先頭へ

                            トップページヘ



    ──────────猪山城址遠望
    猪 山 城 址
   ──────────

 田浦川ぞいの低地の奥に立ちふさがるような感じの小山が,猪山城址である。田浦町内では最も古い山城の跡ということである。田浦氏の居城であったという。南北に主軸をもち,両端の小ピーク(南側のピークの方が高い)を中心に縄張りされていたと考えられるが,山頂部一帯はミカン園として開拓されていて,原地形がそのまま残っているとも思えない。しかし,二つの小ピーク上の平坦地を中心に幾段かの削平地が連なる様は,山城の雰囲気そのままである。
 登路をどこに求めるか考えながら麓から眺めていたら,北側の小ピークに送電線の鉄塔が建っていて,そこに向かって踏跡が登っていっているのが見えた猪山城址概念図。送電線の巡視路に違いないと早合点して踏み込んだところ,踏跡は途中ではっきりしなくなってしまった。それでもミカン園の中の歩きやすい場所をたどって,たいした苦労もなく送電線の建つ北側のピークへと出た。
 北側のピークの付近は全体がミカン園であるが,南側のピークは樹林帯の中である。間の平坦地あたりは放棄されたミカン園で,歩きにくい。むしろ尾根から東側に少し下がった樹林帯の中を歩いた方が楽である。放棄されたミカン園を過ぎ樹林帯に入ると歩きやすくなり,小さな岩場を越えた先が南側のピークだった。ここも明らかに人工的に整地された平坦地。それに南側にも何段かの削平地を伴なっている。猪山城の中心郭がここで,北側のピークにかけての尾根筋が主要部だったのだろう。樹林帯の中で展望には恵まれない。
 帰路は西側の用水池めざして樹林帯の中を下る。ミカン園に出たところで踏跡を発見。これが本当の送電線の巡視路で,用水池のほとりから北側ピークめざして登っていっていた。

[タイム] 城址北麓農具舎(15分)→北側ピーク(10分)→南側ピーク
[踏 査] 2000年7月8日      [地 図] 田浦
[標 高] 約110m         [所在地] 田浦町

                    頁先頭へ

                            トップページヘ



       ──────────大尼田城址概念図
     大尼田城址
       ──────────

 大尼田集落北西側背後の山は,相良氏の家臣大尼田玄蕃が山城を構えた場所という。城の遺構と確認できるものはないという話であったが,とにかく登ってみることにした。登路として目をつけたのは,大尼田小学校横の道路をまっすぐ進み,山頂直下から南東に下る沢筋に入り込んでゆく林道(作業道)である。簡易水道の水源あたりまでは車も通る道であるが,その先はもう車の通行は無理。それでもまだ充分に歩ける道である。作業道はやがて,沢筋から離れて右手の小尾根末端部へ。そしてそこで行き止まり。尾根の左側はまだ新しい伐採地で,右側は少し上がった地点から樹林帯となる。引き返してルートを探し直すのも大変と,そのまま尾根筋をつめ上げることとした。
 伐採地の中は雑木や雑草が茂り始めている。歩くにはそれほど苦労はないが,樹林帯の中の方がより歩きやすい。やや急な尾根筋を登り,伐採地が終わって樹林帯の中の登りとなってまもなく,地面は一面石灰岩の露岩に覆われるようになった。雨水による浸食が進み,岩は複雑な割れ方をしている上に,様々な模様が刻み込まれている。ノミであけたような穴があるかと思えば,水路にもなりそうな溝がある。観察し出したらやめられない自然の作り出した造形の妙が,山頂までずっと続いていた。
 やがて山頂から東に延びた尾根筋に出た。この尾根筋も石灰岩の露頭に覆われている。やせ尾根なので,北側は所々断崖のようになっている。そこに一大尼田城址遠望筋の踏跡があり,山頂まで続いていた。
 山頂は数個の巨岩が一列に並んだ所。1個の巨岩の上に4等三角点が埋め込まれていた。眼下に大尼田の集落を見下ろし,その先に塩汲岳の姿を見る。右手に目をやると,不知火海が光っていた。
 帰路は東に延びた尾根筋の踏跡をたどる。200mほど歩くと尾根が南に曲がり,急下降に移る。急下降は,石灰岩の露頭がなくなるまで続いた。やがて尾根筋が平坦になる。人工的な削平地のようにも見えるが.この山では焼畑が行われていたこともあるというから,山城の遺構とは限らず,焼畑の名残かもしれない。踏跡はその後も尾根筋にのび,大尼田の集落まで続いていた。

[タイム] 大尼田小(20分)→作業道終点(45分)→454mピーク(50分)→大尼田小
[踏 査] 2000年7月8日      [地 図] 佐敷
[標 高] 454m          [所在地] 芦北町



        ───────────
       芦北マリンパーク
        ───────────

 芦北町と田浦町の境界,井手の鼻とよばれる海岸線一帯は,夏ともなると海水浴客で大にぎわいである。井手の鼻の北側入江には萩の越海水浴場,南側の入江にはマリンパーク白砂ビーチがあり,小半島をはさんだ北側の海浦海水浴場,同じく小半島をはさんだ南側の鶴ヶ浜海水浴場とあわ芦北マリンパーク概念図せて,大勢の海水浴客が訪れる。しかし,井手の鼻の小半島にもあけられた遊歩道や,海浦海水浴場を除く南側三つの海水浴場を結ぶ海岸線に沿って設けられた遊歩道を訪れる人は多くない。
 私がここの遊歩道を歩いて回ったのは,10月の初旬であった。すでに海水浴客の姿はなく,静かな半島のたたずまいにかえっていた。温泉を備えた国民保養センター「ブルーマリンあしきた」北側の大きな駐車場に愛車をパーク。井手の鼻を含む小半島の最高所に設けられた展望台(テン。フォーチュン展望台)へは,コンクリートの階段の続く遊歩道を登る。照葉樹林の中の登りで,クスやヤマモモの木がよく目立つ。昨年のケガの後遺症で体力が落ちてしまっていて,一気に駆け上がろうとしたら息切れしてしまった。
 階段が終わるとなだらかな尾根筋の道となってテンフォーチュンの展望台へ。名前の通りいくつもの尖塔を組み合わせた展望台で,上に登ると不知火海や天草の島々がよく見えた。展望台でルートは二分する。左の風車のある岬に通ずる道に入る。右は海岸沿いの遊歩道に下る道である。5分も下ると風車のある岬先端の高台に出る。1991年に建設された風車は,「風の岬」ともよばれる井手の鼻のシンボルである。ここも展望がよい。
 井手の鼻の先端部は磯釣の名所でもある。この日も5人の釣人が竿を出しており,びくの中には30cmほどのクロメジナが泳いでいた。海岸沿いの遊歩道は井手の鼻の先端部で少しの間途切れているが,潮が引いている今は,岩場伝いに楽に回ってゆけた。
 井手の鼻からは海岸沿いの遊歩道を歩いて,白浜ビーチに出る。

[タイム] 駐車場(10分)→展望台(5分)→井手の鼻(10分)→白浜ビーチ(5分)
[踏 査] 2000年10月7日      [地 図] 計石
[所在地] 田浦町・芦北町



                                    頁先頭へ

                            トップページヘ



鍋山       ──────────
           鍋    山
       ──────────

 農免道路と林道柳ノ内線の分岐点付近に愛車を置いて柳ノ内線を歩く。50分ほど歩いたと鍋山概念図ころで,林道は鍋山から西に延びた尾根上に上がる。そこから尾根の北側を少し進むと右手に埋め立て地を思わすような,広い土砂の集積地がある。ちょうど2.5万図(昭和59年発行版)で林道が終点となるあたりである。登山口はこのすぐそばである。実際の林道は,ここから鍋山の北側山腹をぬうように進み,南に下る尾根にそってさらに奥へとのびている。
 林道から離れると,樹林帯の中の割合と急な登りとなる。10分とかからないで鍋山山頂。3等三角点があるが,樹林帯の中で展望には恵まれない。


[タイム] 林道柳ノ内線入口(60分)→鍋山
[踏 査] 2001年6月2日      [地 図] 多良木
[標 高] 484.3m         [所在地] 深田村



                                    頁先頭へ

                            トップページヘ



布水の滝       ──────────
        布水の滝遊歩道
       ──────────
布水の滝遊歩道
 須恵村の山奥にあまり人に知られぬ名瀑がある。そんな噂を聞きつけて訪れた布水の滝である。阿蘇川にそった道を進み,山地にかかってしばらくのところが布水の滝遊歩道の入口になる。路肩がやや広くなっていて,数台の車の駐車スペースがある。遊歩道は人1人が楽に通れる程度の幅であるが,ほとんどの部分が舗装されている。遊歩道の舗装部分が終わるあたりで阿蘇川は二俣に分かれる。左俣に少し入った地点にかかる滝が布水の滝である。2段の滝で,上段は10mくらい,下段はその半分程度の落差である。農地のはずれから少しだけ上流に進んだ地点にあるのに,あたりは本当に深山幽谷の雰囲気。スケールが大きいとは感じられなかったが,滝を取り巻く雰囲気の良さは,抜群であった。

[タイム] 遊歩道入口(5分)→布水の滝
[踏 査] 2001年6月2日      [地 図] 多良木
[所在地] 須恵村



                                    頁先頭へ

                            トップページヘ



       ──────────
     城 ガ 尾 山
       ──────────

 阿蘇川をはさんで須恵中学校と向かい合う高台は,古い城塞の跡といわれている。城ガ尾山(じょうがおやま)の名も,そんなところに由来するものであろう。5分程度で登れる小山にすぎないのだが,北側を除く3方は急傾斜となり,なかなかの要害の地である。特に阿蘇川方面には急崖が連なり,岩肌が至る所に露出している。
 登るのは,極めて簡単である。南麓の民家のわきから急斜面を登り詰める細い踏跡(城ガ尾山山頂付近に広がる果樹園に登る踏跡)をたどればよい。たどり着いた山頂部はやや広い平坦地が連なっているが,はっきりした山城の遺構とみられるものは確認できなかった。3等三角点は,竹藪の中にひっそりとたたずんでいた。

[タイム] 阿蘇川橋(5分)→城ガ尾山
[踏 査] 2002年2月3日      [地 図] 多良木
[標 高] 181.9m          [所在地] 須恵村



                                    頁先頭へ

                            トップページヘ



       ──────────今村城址概念図
           今 村 城 址
       ──────────
 今村集落から南にのびた丘陵地に,今村城という中世の山城があったというので,訪れてみた。県道33号線から丘陵上にひらけた今村集落南端を区切る道路に歩を進める。丘陵上に上がったところで右手に折れる。竹林の中に踏跡がのびている。やがてこの踏跡は二分する。右手は畑地に出て行き止まり。左手は小さな墓地を経てさらに奥へのび,コミュニティセンターへと通じている。ただし,墓地から先は荒れていて,少し通りにくい。コミュニティーセンターに出る少し手前の竹林の中に足を踏み入れたら,空堀や土塁などがあった。今村城の遺構であろう。全面竹林の中で.歩き回るのにそれほどの不自由はないが,全貌を見渡すことは不可能であった。

[タイム] 県道(5分)→今村城址
[踏 査] 2001年6月2日      [地 図] 多良木
[標 高] 約120m         [所在地] 須恵村



                                    頁先頭へ

                            トップページヘ



       ──────────雨宮丘概念図
     雨  宮  丘
       ──────────

 相良村永江地区にある雨宮丘(あめみやおか)は,河辺川が削り残した残丘である。周囲470m,比高35mの小丘は,全山シイやタブ,カシなどの照葉樹林に覆われている。山頂には雨宮神社が鎮座している。昔人吉城主であった相良為続がここで雨乞いを行ったところ,その帰途に大雨が降ったという伝説があり,雨乞い祈願に訪れる人が多い。
 登路は南側にある。山頂まで一直線に続く石段の道。112段の石段。人吉藩足軽の広助の寄進。広助の前項に報いるため相良公は士分に取り立てようとしたが,広助はこれを断ったという。石段を登りつめた山頂部は広い平坦地となっている。木立に囲まれているため,展望は得られない。
 山頂から北側に少し下った地点に,三産(しゃんしゃん)くぐりとよばれる場所がある。巨岩が重なり合った場所で,相良11代長寛公が,ここの岩場をくぐって祈願をしたところ,嫡男に恵まれたという話が残っている。ここからは河辺川の流域がよく見渡せた。


[タイム] 永江集落(5分)→雨宮丘
[踏 査] 2002年2月3日      [地 図]
[標 高]               [所在地] 須恵村

                                    頁先頭へ

                            トップページヘ