九 州 山 地 南 部 の 山 々
佐敷城址 (芦北町) 清正公岩(芦北町)
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発掘と保全の進む佐敷城址
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1615年の一国一城令によって廃城となった佐敷城跡では発掘調査が進み,発見された大規模な石垣の保全工事が行われた結果,城山の山頂部は面目を一新した。また南側鞍部には佐敷城跡駐車場が建設され,南西側中腹には城山スカイドームやテニスコートなどの体育施設が設けられ,それぞれから城山山頂までの登路が整備された。「肥後の山」では城山東側の社会教育センターからの登路を紹介した(432頁)が,今回は新しく整備された西側山麓からの登路に挑んでみた。
城山スカイドーム横の駐車場に愛車をパークする。城山の頂には,発見された大規模な石垣がそそり立っているのが,麓からでもよく見えている。登路の入口はテニスコートの裏手にあった。出だしは階段状の急登。登り切ってゆるやかな道となると,佐敷城跡駐車場への道を分ける。あとはゆっくりと登って本丸西門跡近くに出る。
山頂部は,様相が一変していた。発見された石垣の上にさらに石垣を積み足し,往時の偉容を彷彿させるかのように,本丸と二の丸を囲んで高い石垣がそそり立っている。三の丸方面はまだ手がつけられていないようであるが,名城の縄張りを,充分に味わうことができた。
帰路は佐敷城跡駐車場経由で城山スカイドームへと下る。この道も,よく整備されていた。
[タイム] 城山スカイドーム(20分)→佐敷城址(15
分)→城山スカイドーム
[踏 査] 2000年7月1日 [地 図] 佐敷
[標 高] m88m [所在地] 芦北町
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清 正 公 岩 
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球磨川と告川の合流点に清正公岩とよばれる岩峰がそそりたつ。加藤清正が相良勢を攻めたとき,この岩峰の上に登って先を眺め,山また山の連なりをみて,これ以上の追撃を断念して軍を返したという話が伝わっている。このあたり球磨川が石灰岩地帯に深い峡谷を刻み,すぐ南側にある姑落しの断崖など,いくつもの切り立つ岩場を形成している。このあたりの石灰岩の層は「槍倒し層石灰岩」とよばれているが,ここの地層から中生代三畳紀後期(約2億年前)に生息していたメガロドンといわれる大型二枚貝の化石が発見されている。
清正公岩への登路入口は,清正公岩トンネルの北側出口近くにある。この踏跡を利用して,清正公岩北側鞍部へと登れる。また,告橋と告集落の中間付近から清正公岩の北田を鞍部へと登ってきている林道も利用可能である。
鞍部から清正公岩の山頂まで,しっかりした踏跡が続く。踏跡は,石灰岩の岩場を縫うようにして続く。10分とかからないで清正公岩の山頂。清正公を祀る小さな祠がある。展望は上々で,眼下を球磨川が流れ,その上流部は山また山の連なりである。この景色を見たら,加藤清正ならずとも,この奥に人吉盆地という大穀倉地帯が広がっているとは,想像もつかなかったであろう。そんな感慨に浸りながら,清正公岩を後にした。
[タイム] 清正公岩トンネル北出口(20分)→清正公岩
[踏 査] 2002年2月3日 [地 図] 佐敷
[標 高] 約140m [所在地] 芦北町
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