天 草 地 方 の 山 々

大矢野城址(大矢野町)            
男山(有明町)                  小島子城址(有明町)
金比羅山(本渡市)               円尾山(本渡市) 
高尾山(本渡市)                 惣陣山(本渡市) 
姿を消した高尾山 (本渡市・五和町)    発掘と復元が進む富岡城址 (苓北町)
鳥越丘 (苓北町)             円通寺山 (苓北町)
金比羅山 (苓北町)




大矢野城址    ────────────────
   大 矢 野 城 址
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 天草大矢野島を支配した大矢野は,筑前原田氏の出といわれる。元寇の際の活躍ぶりが「蒙古襲来絵詞」に描かれているそうである。その大矢野氏の居城といわれているのが,大矢野中学校裏手の高台である。中学校の建設にともなって山体の一部が大幅に削り取られてしまっている。現在城址を示す碑の建っている高台にしても,大矢野城大矢野城址概念図の中心郭であったかどうかについて異論もあるようで,グランドとなっているあたりにあった高台こそ大矢野城の中心郭であったとの説もあるそうである。
 大矢野町の中心部ともいえる寺尾バス停から中学校へ登る道をたどると5分ほどで大矢野城址。最高所は,段状地形に取り巻かれた,細長い方形の地形となっている。大矢野の町を俯瞰するなかなかの展望台とい
える。

[タイム] 寺尾バス停(5分)→大矢野城址
[踏 査] 2002年2月2日
[地 図] 天草松島
[標 高] 約20m   [所在地] 大矢野町

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     男山(上津浦城址)
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 中世の山城である上津浦城は,上津浦谷間集落の背後の2つの小山に存在していた。主郭である西側の小山(城山あるいは女山とよばれている=写真右の小山)は,「肥後の山」に紹介した(520頁)。今日の目標は男山(写真左の男山概念図小山)とよばれている東側の小山である。
 若宮神社の前から出発。男山北東端からとりつくが,少し上がった先の果樹園で登路は消えてしまった。あとは強引につめるしかない。それでも5分ほどの登りで,山頂に到達した。
 男山の山頂は,樹林に囲まれた小さな平坦地である。石の祠があり防災用のマイクが設置されているが,展望には恵まれない。山頂を取り巻くようにして段状の平坦地があり,かつては果樹園や畑地として利用されていたみたいだが,今はそれも荒地と化している。北側斜面を下る踏跡があったみたいだが,今はそれとて消える寸前である。


[タイム] 若宮神社(5分)→男山
[踏 査] 2002年2月2日
[地 図] 大島子
[標 高] 約40m   [所在地] 有明町

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     小 島 子 城 址
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 「有明町史」によると,小島子城は山稜末端にあり,標高74.8m,城山神社を祀るとされている。この情報を元に探してみても,いっこうにその所在地はわからない。ただ中村集落の東側にある標高74.9mのピークからのびた山稜末端部のやや扁平となった高台に城山神社が祀られている。標高74.9mのピークにも,城山神社を祀る高台にも,斜面部に数段の平坦面を備えているので,一応ここが小島子城址であるとして紹介しておく。もっとも山腹部に設けられた段状の平坦面は,ミカン園開設にあたって造成されたもの小島子城址かもしれない。
 福井田バス停少し東側に進んだ地点で左折して,国道を離れる。するとすぐ左手に防火水槽があり,ここから農道が奥へとのびている。「これが登路だ」と直感。すぐに歩を進める。農道は迫部のどんづまりまで大きくカーブして,小尾根上に上がる。上がった地点は尾根末端が一時平坦になった地点で,ここで右に折れると城山神社がある。小さな社が森に囲まれて静かにたたずんでいる。展望には恵まれない。城山神社のある高台の西および北面には,段状の平坦面が付属している。畑地や果樹園として利用されているが,山城の遺構とも見えないことはない。
 農道に戻り終点までつめる。あとはミカン園の中をぬって山頂へ。3等三角点のある山頂部は南北に細長い平坦地が続いている。東側山腹は急斜面となって切れ落ち,西側山腹にはミカン園として利用されている数段の平坦面がある。ここも,山城の跡と考えてもおかしくない構造である。

[タイム] 福井田バス停(15分)→小島子城址
[踏 査] 2002年2月2日
[地 図] 大島子
[標 高] 74.9m   [所在地] 有明町

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   金 比 羅 山
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 天草切支丹館の展示物を見ていたら,本渡城址について説明している絵図があり,そこに本渡城址に点在する小ピークの名前が記されていた。城址にかかわる説明は,これまで私が目にした資料(たとえば日本城郭体系など)の資料とは大きく食い違っているが,そうした点の解明は専門家に譲るとして,ここでは山の名前だけを採用して紹介する。なお,登路の詳細は「肥後の山」525-526頁を採用されたい。
 金比羅山は,現在千人塚(写真)の建てられている小山である。標高26m。公園化されている。

[タイム] 睦橋(5分)→金比羅山
[踏 査] 2002年2月2日
[地 図] 本渡
[標 高] 26m   [所在地] 本渡市

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   円  尾  山
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 切支丹館の展示物では本渡城の本丸跡と説明されている小山である。「肥後の山」では二の丸跡として紹介した。現在切支丹館が建ち,その背後に木山弾正社が祀られている。

[タイム] 睦橋(5分)→金比羅山(5分)→円尾山
[踏 査] 2002年2月2日
[地 図] 本渡
[標 高] 46m   [所在地] 本渡市

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   高  尾  山
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 切支丹館の展示物では本渡城の二の丸跡と説明されている小山である。「肥後の山」では一の丸跡として紹介した。現在天草種元の記念碑,六角堂,木山弾正供養碑(写真)などが建つ。

[タイム] 睦橋(5分)→金比羅山(5分)→円尾山(10分)→高尾山
[踏 査] 2002年2月2日
[地 図] 本渡
[標 高] 62m   [所在地] 本渡市

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   惣  陣  山
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 切支丹館の展示物では本渡城を攻めた加藤清正の軍勢の先陣が陣をおいた所と説明されている。「肥後の山」では本丸跡として紹介した。現在山頂西側の果樹園に通ずる道があるが,山頂部へは短いがヤブこぎとなる。小さな祠が祀られている。

[タイム] 睦橋(5分)→金比羅山
[踏 査] 2002年2月2日
[地 図] 本渡
[標 高] 76m   [所在地] 本渡市

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                   姿を消した高尾山
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 「肥後の山」で紹介した高尾山(526-527頁)が消えた。天草空港の建設で削り取られてしまったのである。山頂のあったあ
たりは,今は滑走路の下で,山体の一部がわずかの高みとなって残っているだけである。4等三角点があったはずであるが,どこへいってしまったのだろうか。
 高尾山残骸の高みと滑走路をは高尾山は天草空港の建設でその一部が残るのみとなった。さんだ位置にある展望所に,工事中に現れた高尾山断層の写真が飾られていた。今はもう見ることも
できない。

[
踏 査] 2000年5月20日
[地 図] 本渡
[所在地] 本渡市・五和町

  高尾山のあったあたりは,削り取られて滑走路となっている

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             発掘と復元が進む富岡城址
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復元が進む富岡城址二の丸跡
 寺沢氏とそれに続く山崎氏や戸田氏による天草支配の拠点であった富岡城址は,発掘と復元工事が進み,本丸跡と二の丸跡付近の様相が一変した。本丸跡に復元された高い石垣は,袋池の対岸からもはっきりと確認できる。天草島原の乱で,切支丹一揆勢の攻撃に耐え抜き,乱後は海外もにらんだ拠点城として整備された富岡城。戸田氏による破却後取り壊されたままになっていた本丸と二の丸の高い石垣が姿を現すと,いかにも要害堅固な印象を受ける。ただし,新しい石垣が周囲の景観になじまず,照葉樹林の上に浮き上がっているように感じられる。なじむにはしばらくの時が必要であろう(「肥後の山」529頁参照)。                                復元の進む富岡城址二の丸

[踏 査] 2000年5月20日     [地 図] 天草富岡     [所在地] 苓北町

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鳥越丘概念図            ────────────
          鳥 越 丘
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 三会川と志岐川に挟まれた山稜末端は,鳥越丘とよばれている。全体が公園化されており,山頂には鱗泉の湯とよばれる温泉とアスレチック施設を備えた芝生広場,中腹には武道館,そして山麓にはコミュニティセンターや体育館,グランドが設けられ,苓北町の,いわば体育と憩いの公園である。登路は,グランドの両脇からのびている2本の道路が利用できる。また,武道館裏手の階段を利用してもよい。
 山頂からの眺めは上々で,富岡城址のある富岡半島を挟んで右手に有明海,左手に東シナ海の青い海原が広がる。
鳥越丘遠望
[タイム] コミセン前バス停(10分)→鳥越丘
[踏 査] 2000年5月20日
[地 図] 天草富岡・天草下田
[標 高] 約40m   [所在地] 苓北町


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円通寺山遠望       ─────────── 
     円通寺山
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 砂州上に発達した富岡の町から南側海岸にそって低い丘陵が続いている。白木尾台地である。この台地には2つの目立つピークがある。中央に円通寺山,南端に金比羅山である。白木尾台地全体がほぼ同標高の台地であるだけに,標高は40-50mにすぎなくともよく目立っている。
 円通寺山の名前は,山腹に存在した円通寺という寺に由来するものだろう。廃寺となっていたが,山門や塀が再建され,阿弥陀如来の石像が建てられている。円通寺の創建は1643年。天草初代代官鈴木重成の手によるという。本尊の阿弥陀如来像と25菩薩像は,重成の兄正三和尚が,隠田の罪で処刑された人々の冥福を祈って刻み,愛知県足助町の十王堂に納められていたものという。重成の天草赴任に際し,天草島原の円通寺山概念図乱で荒廃した天草の人々の信仰のより所となるようにと,足助の町から移したものという。苓北町指定の文化財であるが,現在は本寺の国照寺に安置されている。
 円通寺山への登路入口は,三会川にかかる円通寺橋。「円通寺」と刻まれた2本の石柱の間を抜け,白木尾台地に登ると円通寺跡地。寺は再建されていないが,山門や塀,阿弥陀如来の石像などが建てられている。円通寺跡地の広場の西端に,山頂への登路入口がある。円通寺歴代住職の墓地を左手に見ながら進むと,わずかの登りで山頂に出る。
 円通寺の山頂は,小さな広場となっており,鈴木神社が鎮座している。天草初代代官鈴木重成を祀るものであろう。3等三角点があるが,深い樹林に囲まれていて,展望には恵まれない。

[タイム] 円通寺端(5分)→円通寺山
[踏 査] 2000年5月20日     [地 図] 天草富岡
[標 高] 42.7m          [所在地] 苓北町

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      ────────────  金比羅山
      金 比 羅
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 金比羅山は,白木尾台地南端のピークである。山頂に2基の祠を祀るが,南面は生コン会社の敷地として,北面は無線中継所の敷地として,大きく削り取られてしまった。
 登路は,東側金比羅山概念図山麓,内田集落の共同墓地最上部から拓かれている。樹林帯をひと登りで山頂広場。2基の祠のほか,石灯籠もある。展望は上々で,東シナ海の青い海はあくまで穏やかで,海底の岩場も透けて見える。苓北火力発電所も,すぐ足下に広がっていた。
 山頂に設置された石灯籠の向きから考えると,元々の登路は北面につけられていたのではないだろうか。そういえば,南面の登路最上部はまだ新しい踏跡のような感じもする。無線中継所の敷地を造成した時に,付け替えられたもののようだ。

[タイム] 内田集落(10分)→金比羅山
[踏 査] 2000年5月20日    [地 図] 天草下田
[標 高] 56.1m        [所在地] 苓北町

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