2000年9月27日(水)
東海道新幹線

8月末から愛知出張で新幹線を使っているのですが、広島に帰ってくるのは主に金曜日になりまる。帰る時間は決まっていないので、事前に指定席を買っておくわけにもいかず、名古屋駅に着いてから新幹線に乗る前に買います。帰る時間が決まっていないとはいえ、おおむね名古屋駅発が午後6〜7時台の新幹線になります。

最初の頃は何も思わなかったのですが、名古屋駅の新幹線下りホームで自分の乗る新幹線を待っているうちに気が付いたことがあります。

他の時間帯は今のところ興味がないので調べていませんが、その午後6時〜7時台の新幹線の本数にはビックリしました。本数自体は時刻表を見れば分かるので驚くようなことではないのですが、実際にホームに立っていると、次から次へと新幹線が到着しては発車していきます。

特に名古屋駅は下りと上りのホームがひとつづつしか無いので、そのホームの左右どちらかに新幹線が到着します。最初の頃は、「えぇっ!今発車したのに、また来たの!?」とビックリしました。マジで、前の新幹線が発車して10分も経過してないのに、同じホームに新幹線が到着するんです! いやぁ〜田舎モンには理解できんですぜ…

1本の線路の上を微妙なバランスで追突しないように、同時に新幹線が走っているのだということをあらためて知った。新幹線の駅と駅の間を同時に走ってるんですよねぇ〜 みんな知ってた事なんでしょうけど…

ちなみに、名古屋駅着新幹線の時刻表は6時台だけでこれだけあります…
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18:01 ひかり広島行き
18:04 こだま大阪行き(3分差)
18:15 ひかり大阪行き(11分差)
18:21 ひかり大阪行き(6分差)
18:24 こだま名古屋着(3分差)
18:28 ひかり博多行き(4分差)
18:32 のぞみ博多行き(4分差)
18:36 のぞみ大阪行き(4分差)
18:51 ひかり岡山行き(5分差)
18:55 ひかり大阪行き(4分差)
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信じられん… 広島電鉄のチンチン電車なみじゃないかい…
それ以上かもしれん…


2000年9月15日(金)
東海豪雨に遭遇!

8月末から愛知県日進市の米野木(名古屋から名電豊田線で40分)という所に出張しています。行きっぱなしではなく、月曜日に広島を出発して金曜日に帰ってくるという、ホテル住まいの生活です。
それは9月11日(月)の出来事でした。

【11:37】新幹線のぞみに乗り込む。広島を発ったときには小降りの雨。途中で新幹線の窓を伝う雨量が多くなる地域もあったが、驚くような降りかたではなかった。
【13:46】名古屋駅到着。そのまま14;00発の東海道下り線で、清洲にまで行く。名古屋→枇杷島→清洲の2区間。その枇杷島を災害が襲うとは…
【14:35】清洲駅から春日までの交通手段が無く、タクシーを呼んで乗り込む。
【14:45】T社の春日物流センターに到着。とたんに雨が大降りになる。センターの受付で名前を書いていると、バケツをひっくり返した以上の大雨になる。いや、ドラム缶をひっくり返したような…
【14:50】受付で雨脚が弱まるのを待つが、一向に弱まる気配なし。意を決してセンター内の打ち合わせ場所に向かう。折り畳み傘をさしても役にたたず、かろうじて頭のみ濡れずに済むが、たった1分歩いただけで全身びしょ濡れになる。
【13:00〜】打ち合わせ中も雨脚は弱まる気配無く、雷を伴う大雨が続く。さすがに皆心配になり、帰りの気遣いをするが、この雨では帰るのもままならないであろうから、雨脚が弱まるまで居る方が良いと判断する。途中、何時かを失念したが、JR線が名古屋と清洲の間で不通になっているという情報が入る。帰り、JRでの移動が不可能となった。
【17:00頃】雨脚が弱まった。T社では早めに帰宅するよう指示が出たらしく、予定していた打ち合わせの完了を待たず、皆帰宅の準備にはいる。
【18:00頃】車で来ている人がいるので便乗して日進市まで行くことになり、来客用駐車場まで歩く。歩道から駐車場の間が池のようになっており一同驚くも、車の持ち主がフェンスを乗り越えて車にたどり着く。同乗する者は濡れないところで待って乗車。
【18:45頃】昼食を摂っていない人がいるので、モスバーガーに寄る。私はそれほどお腹が減っていなかったので、ハンバーガー1個のみ食べる。再び車に乗り込むときには、雨脚が少し強くなる。
【19:30頃】名古屋方面に向かうも、車の列は遅々として進まず。同僚達は携帯電話で色々と連絡をとるも、電話がかかり難い状況となっている。
【20:30頃】車が橋を渡るときに川の水位が非常に高いことが分かった。橋を渡ってから数十メートル進んだ所で運転手が気が付く「あの車は水に浸かってるのですかね?」。前方左手を見ると、数台の車の回りに水が見える。ビックリしてよくよく確認すると、確かに水に浸かっている。進んでいる道路は少し高い所にあり、左手の土地は低いところにあるようだ。しかし、まだ私はたいした危機感を持ってなく、局地的なものだと感じていた。
水に浸かった所に宅配便のトラックが走っている。「あれはトラックだから動いているんでしょうか?」「あそこだけ水がないのでしょうか?」。確かに車が浸かっている近くでトラックが走っている。トラックは視界から居なくなったが、突然私たちの車のそばまでやってきた。私はそれに気がつかず、先にトラックが走る事によって波がたち、その波が車のそばまで“ザザザザ!”と迫ってきたのが見えた。トラックが見えなかったため波だけが襲ってきたように思い「終った!」と感じた。堤防が決壊して、水が襲ってきて、このまま私たちの車も動けなくなると思った。結果的にトラックがたてた波だと気が付き、ホッとした。
【21:30頃】車は遅々として進まず、豊田市のホテルを予約していたが、このままではチェックインが遅くなると判断し、キャンセルして名古屋方面のホテルに泊ることを決意する。同僚がホテルにキャンセルの電話を入れる。その際に、豊田市に行くための名鉄豊田線が動いていないことを聞いた。このころは、まだ私たちは楽観的であった。名古屋近辺でホテルがとれると思っていた。情報が無いということは、人に危機感を与えないのであろうか。
【22:00頃】名古屋に近づく。運転している人は地元の人なので聞いてみた。「そろそろ名古屋駅に近いのですか?」。運転手は、「何も無ければ5分程度で到着するところまで来ているのですよ」と答えてくれる。対向車線に水が溢れ、まるで川のようになっている。少し不安になる。案の定、名古屋駅に近づいてくると、こちらの車線にも水が溢れてきている。ここに至っても、私たちはホテルがとれることに、何の疑いも持っていなかった。
【22:30頃】やっと名古屋駅近くまできた。回りの状況を見てきて、まずホテルを確保する事が先決であろうと思い、近くのホテルを数件尋ねた。名古屋駅周辺では、歩道が波打ち際の様を呈している。道路からホテルに行くには、水の中を歩かなければならない。同僚が水に浸かりながらホテルの予約をとろうとしたが、空いているホテルは無かった。
ここに来て、少し不安になってきた。このあたりでホテルはとれない。運転手が「金山まで行ってみましょう。駅前にホテルとカプセルとサウナがあるので、どこか空いているでしょう」。金山までの途中でもビジネスホテルがあったので、空き室があるかどうか尋ねたが、案の定空いていなかった。
【23:00頃】金山に着くも、駅前のホテルは空いていなかった。運転手の人も、自宅まで帰るのに1時間以上かかるとの事だった。申し訳ないので、ここで私と、広島から来た同僚は車を降りることにした。カプセルとサウナにも行ってみたが、どちらも表に“空きロッカー無し”と張り紙がしてあった。金山から地下鉄で少し行ったところの駅前にもホテルがあると聞いていたので、地下鉄駅まで行くことにした。
地下鉄の駅に行ってみると、かなりの人が途方にくれている。ここに来て、私たちは今晩の宿を諦めざるをえない事を感じた。
【00:00頃】もはや、どうにもならない。やっと開き直ることにした。駅のあちこちに座り込んでいる人を見て「我々も座りましょうか」。開き直って座ってみたが、本当にここで一晩明かさなければならないことが、まだ現実として感じられていない。座っていても眠れそうになかったからだ。しかし、周りには既に横になって寝ている人もいる。
【01:00頃】近くに座っていた高校生が、どこからかチラシをたくさん持ってきて、それを広げてから横になるのを眺めていた。とても気持ちよさそうに横になる。同僚と「あれ、いいですねぇ、うらやましいな」と話をする。同僚がチラシを探しに行くも、人が多くて取れる状況に無いという。しかし、このまま壁を背に座っていても寝られそうに無い。ふと壁を見ると、掲示板にポスターが数枚貼ってある。
【02:00頃】なかなか手が出なかったが、ついにポスターを外して床にひくことを決意し、掲示板から失敬する。みんな見ているし、なかなか決意できなかったが、背に腹は変えられない。ポスターをひいて着替えを入れているリュックを枕にすると、とても心地よい。これで寝られると思った。それから30分くらいして、眠りにつけた。ほんの数時間であったが、寝られたことは大きい。
【翌日】金山駅近くにマクドナルドがあったことを、同僚が確認していた。朝7時からだから、それまで待ってから行ってみた。すると、既に店は開店していた。当然のごとく、列ができていた。後で思った事であるが、おそらくマクドナルドの従業員は前日帰ることができなかったのであろう。そのまま店に泊り、朝は人が列をなしているので、早めに開店したものと思われる。私たちもマクドナルドで朝食を摂り、そこでやっと気持ちが安らぎホッとした。

その日は、それから名古屋市内の別の仕事場に行って仕事をしたが、眠くて効率が上がらなかった。大変な目にあったが、家や車が水に浸かった人のことを思えばマシだ。
しかし、日本中で「ここにだけは行くな」という所に、わざわざ行ってしまった私たちは、「とんで火に入る夏の虫」だったのだと、しみじみ感じた。


2000年9月10日(日)
カヌー初体験

今日は、家族みんなでカヌーに乗ってきました。私の昔からの知り合いで、現在カヌー教室をしている人がいるのですが、以前から何度も誘われていました。なかなか行く機会がなかったのですが、今日初めて行く事ができました。

教室を開催されている方は「藤本」さんというのですが、私が知り合った頃はエレクトーンの先生をされていました。ですから私は、いまだに「藤本先生」と呼んでいます。そういうと、私がエレクトーンを教わっていたように聞こえますが、別に教わっていたわけではありません。たまに、楽譜の見方なんかを雑談の中で聞いたりしたことはありますが。また、エレクトーンの先生というと女性のようですが、男性です。年齢も私より、かなり上の方です。

藤本先生はエレクトーンの先生をしているときから、ダイビングをやったり船舶免許をとりにいったりと、かなりのアウトドア派だったという経緯があり、ある日「カヌー教室をやっている」と聞いたときも、ビックリするほどのことではありませんでした。船舶免許は、今でさえジェットスキー等が流行りはじめて、船舶免許を取得することがポピュラーになりましたが、それよりずっと前に取得されました。ある意味でマニアでしょう♪

先生の話は、私たち家族がカヌーに乗りに行ったことの布石として書きましたが、ここからがカヌー初体験の話です…(^^;

カヌーに乗った場所は、広島の太田川上流にある高瀬堰あたりです。海と違って川は当然のことながら波もなく、初心者の練習にはもってこいの場所です。今日は昼から雨になると天気予報も言っていましたが、藤本先生は晴男(はれおとこ)らしく、とても良い天気に恵まれたため、気持ちよく練習できました。初心者用のカヌーに乗って川で練習したということもあり、とてもリラックスして乗れました。

最初は上手に漕げるかどうかドキドキして心配でしたが、実際に乗ってみると何とかなるものですね。。当然、波も無い川で尚且つ乗りやすい初心者用のカヌーなのですから、自分が上手などとは思っていません。それに、今更カヌーで生きていく気があるわけでもなく、楽しめれば良いのです。

今日の人数は、ウチの家族を(チビも)含めて18人でした。川岸には日よけのテントも張って昼食はラーメンを作って食べました。たまたまウチは弁当を作って持っていきましたから、みなさんにおむすびをお裾分けしました。梨も持っていってたので、デザートもお裾分け! そうこうしているうちに、みなさんとも打ち解けていきました。

昼からもカヌーに乗っていたら、いつのまにか日焼けしていました。カヌーに乗っていると楽しいし、川でプカプカ浮いているだけで、とても心が和みます。日焼けしているのに、全く気がつきませんでした。中には半ズボンの跡がクッキリと出るくらいに、足が真っ赤になった人もおられました。

だいたい月に一回のペースでカヌー教室を開くらしいので、また機会があれば参加したいと思っています。ツーリング等も企画していて、宮島一周とか、岩国の錦川でのツーリングとかを実施されているようなので、いつかはツーリングにも参加したいと思います。

しかし、カヌーは手で漕がなければいけないので、体力も必要です。最近は体力も落ちているから、少し心配だなぁ〜 女性は力も弱いので、ベテランが引っ張ってくれるそうですが、さすがに男は引っ張ってくれないだろうなぁ〜 その前に、引っ張ってもらうのはちょっと恥ずかしい。体力をつけねば!