広島YWCA ヒロシマの今から過去を見て回る会
国際平和記念都市「ヒロシマ」の、原爆遺跡・碑のみならず、今に残る「軍都広島」の陰の姿(もう一つのヒロシマ)まで、実践的フィールドワークを通じて紹介します。
「あるがままのヒロシマ」を見ていただき、平和運動の発展と、「ヒロシマ」の継承をめざします。誰でも「ヒロシマ案内人」になれることを目的に、1992年12月発足した動く学習会です。
あなたは、 人目の訪問者です。
最終更新2009年9月9日。
秋葉広島市長 平和宣言を読み上げる(2009年8月6日)
2009年8月6日現在、原爆犠牲者名簿26万3945人(「氏名不詳者多数と記された名簿も含む95冊の名簿)。
中国新聞の「2009ヒロシマ」の項に2009年の7月4日からのヒロシマの動きが詳しく報道されています。
2008年10月31日、被爆建物・宇品旧中国配電南部変電所がイタリアンレストランに改装。2007年秋、鶴見橋の被爆ヤナギ本体枯れ死 、 カルビー倉庫解体される 本川小に被爆庭石追加。
2007年8月、「語りつぐ会」より、シュモーさんの功績を称える『シュモーさんの「ヒロシマの家」』が出版されました。 入手はп浮eax082−233−1671今田洋子さんまで。( 7.追加作製補完ページ 7−10.シュモーの庭、10−23シュモー会館 参照)
2007年2月6日、平和記念公園が国名勝に指定される、2007年初春、被爆建物・日本郵政公社中国支社倉庫(陸軍幼年学校炊事室)が解体される。袋町小学校平和資料館、入館者10万人に(2006年11月9日中国新聞) 2007年3月13日、国立原爆追悼祈念館 入館者数が100万人に達しました。 (国立広島原爆死没者追悼祈念館ホームページ)
2006年4月21日、「原爆資料館(平和記念資料館西館)」及び「世界平和記念聖堂」が国の重要文化財に指定されることが決まり、7月5日官報で告示されました。
旧軍港宇品ゆかりの歌碑作者の近藤芳美さん死去(2006年6月21日)、被爆電車(2−22広島電鉄)のうち2両が2006年春、現役引退、引退した1両は交通博物館で常設屋外展示と報道(2006年7月22日中国新聞)、残った現役2両は励ましのメッセージ受け走行(8月2日中国新聞)。
2007年以前の「平和宣言」は、広島市のホームページ内に過去の平和宣言という項があります。
(2000年3月9日、下記概要の1、2を公開。広島市のホームページに飛んで「アオギリのうた」が聴けます。)
(※新聞記事ホームページへのリンクは、一定期間が過ぎれば閉鎖されてしまいますので、その旨承知してください。)
(比治山陸軍墓地)
(スタディ・クルージング 宮島・似島・金輪島 ・ 長郷地下壕 ・ 冠崎回天地下壕 亀が首試射場 江南地下タンク 大浦崎特殊潜航艇基地 袋の内タンク)
7.追加作製補完ページ (上記に収まらない膨大な碑、遺跡等を載せています。ようやく体裁を整えてきましたので、ここにあげました。多すぎて見るのは大変でしょうが、資料的価値はあると思います。時間があれば覗いてみて下さい。まだまだいくらでも増えていきます。)

(関連リンク集及びこのホームページの詳しい趣旨と方針、緊急表明「テロと報復戦争」に対する製作者の意見)
2009年8月5、6日、恒例のとおり、「原爆遺跡・軍都広島フィールドワーク 2009」を「8・6ヒロシマ平和へのつどい2009」と連携しながら、行いました。(1)平和公園・碑めぐり (2)広島城周辺徒歩コース (3)宇品・比治山自動車コース (4)原民喜の「夏の花」を歩く (5)米軍岩国基地/錦帯橋バスツァーで、いずれも盛況でした。ご協力ありがとうございました。
昨年の8・6フィールドワーク一端は(1)平和公園碑めぐり (2)(3)広島城周辺徒歩・宇品比治山自動車コース (6)スタディ クルージング を覗いて下さい。
一昨年の8・6フィールドワークの一端は(1)平和公園碑めぐり (7)宇品・比治山自動車コース (8)広島湾スタディクルージング (大和ミュージアム) (てつのくじら館) を覗いて下さい。
2006年の8・6フィールドワークの様子の一端は、(1)平和公園・碑めぐり (4)広島城周辺徒歩コース (5)宇品・比治山自動車コース (6)広島湾スタディクルージング で覗いて見て下さい。(2005年の様子の一端は(2) (3) (4) (6)を、2004年の模様の一端は(2) (3) (4) (6) を、2003年の模様は(2) (3) (4) (6) (灯籠) をクリックして下さい。)
「ヒロシマ」については、色々な取り組みがありますが、その一助に、「原爆ドーム」や「原爆の子の像」等、主なものには「サンプル写真」を挿入ししています。お役にたてば幸いです。
代 表 難波郁江(広島YWCA)
世話人 戸村良人
電話番号&FAX 番号
※写真の利用は自由ですが、使用された場合、一報くだされば幸いです。なお、新聞記事へのリンクについては、一定期間が過ぎれば新聞社の方で閉鎖されてしまいますが、追いきれていない場合が多々ありますので、ご了解願います。
※被爆時の広島城内の大本営跡や中国軍管区司令部等図面を当時の関係者からの聞き取り等によりワードにて作成しました。ホームページでは形が崩れ発表しかねますので、 simoiti1329@do.enjoy.ne.jpまで入用の方は申し込んで下さい。添付ファイルつきメールにて送信します。地図2枚、兵舎内2枚、あわせて200KBぐらいの容量です。
2010年02月20日