6.江波皿山・射的場跡と広島第一陸軍病院江波分院跡(中区江波西一丁目・江波皿山公園北及び江波二本松二丁目4番)


戦前の地図を見ると、「射的場」と細長く2本の筋が記されています。その跡を尋ねて歩いてみました。江波山気象館の方、及び江波西一丁目の町内会役員の方から証言を貰うことができたので紹介します。場所は今の江波下水処理場のすぐ南の山肌。、現在の民家との間の道路は無く、もっと山肌は広かったということです。この山肌に向って、現在の江波中学校から、盛んに砲弾が打ち込まれたといいます。そのことから、当時このあたりは、江波的場町とも言われていました。

1996年ごろまでは、そのままの地肌に草が生えていましたが、危険ということで防災工事が施されたといいいます。

 

 

 

また、第一陸軍病院の19の分院の一つとして江波に設立され爆心から2300メートルだっため被害が比較的少なく、多くの被爆者の教護所となり、最後の場所となったという、広島第一陸軍病院江波分院の跡地について、遺跡らしきものが無いため場所が判らなくなっていましたが、このたび元軍医部勤務のSさん及び地元の方より示された場所ここです。2007年春、現在大部分が(民家も含む)更地になっている江波二本松二丁目4番街区(5番街区の一部も含む)です。

(本分院設置の時期を、1945年と今まで書いていましたが、1943年には既に設置されていたようです。詳しくは工藤惠康さんの「軍医少尉の資料館」というホームページにありますのでそちらを参照。「原爆体験記」広島陸軍病院江波分院での写真」も出ています。)

(右の写真、2007年3月7日撮影、江波分院についての情報更に求めます。)