7.野砲兵第五聯隊跡碑と部隊記念樹碑 (中区基町20番等)
広島城天守閣から基町高層アパート方面を見ると、バスセンターからのバスがひっきりなしに通りますが、このあたりは、「野砲兵第五聯隊」があったところ。輜重兵部隊はその奥、第二陸軍病院近くにありました。良く見ると「野砲兵第五聯隊跡」と書いてある碑が見えます。読んでみましょう。
(表)野砲兵第五聯隊跡
(裏)野砲兵第五聯隊
野砲兵第五聯隊は、明治十一年四月、広島に創設された。
日清戦争から太平洋戦争に至るまで幾多の戦争に国家民族の興隆発展を祈念しつつ出動し、一身を犠牲にした。昭和二十年八月、終戦とともに数々の想い出を残し、六十九年の歴史の幕を閉じた。ここに聯隊跡碑を建立し、亡き戦友と戦禍に弊れた多くの人々の御霊を慰める。
昭和59年12月建立 平成六年八月改刻 元野砲兵第五聯隊生存者一同
(右)山吹会名誉会長正五位、勲三等、功四級 森川時夫 謹書
平成六年八月改刻 とは、アジア大会向けに歩兵第十一聯隊碑文書き替え騒ぎがあった時。残念ながらこちらは余り話題にならず、気が付くのが遅かったため、元の碑文はどうであったのか判りません。多分、歩兵十一聯隊碑文と同様の「英霊を祭る」調子の、アジアの人に読ませられない差しさわりのある文章だったのではないかとも推測されます。
また、その広島城北側天守閣北側の公園には「部隊跡記念樹」と書かれた碑があります。裏にはノモン
ハン事件(1939年8月「満州国」建設にともなうソ連との国境紛争で日本軍は戦死8440名という潰滅的打撃を受けた)参加部隊、歩兵七十一連隊、野砲兵第十三連隊、輜重兵第二十三連隊と記され、当時の部隊配置図もあります。昭和52年5月22日建之。