講演会「被害者遺族の語る死刑制度」を開催!


 「被害者の遺族の気持ちを考えると死刑は当然だ」、「死刑に反対する人たちは被害者の遺族の前でそんなことがいえるのか?」という声がよくあります。もっともな意見だろうと思います。

 しかし、犯罪被害者遺族の方達の気持ちは決して死刑賛成ということで一致しているわけではありません。遺族の方の気持ちを一括して「こうに違いない」と決めてしまっていいのでしょうか。
 
 この度、他団体との共催で、アムネスティ広島グループは下記のイベントを開催しました。
大教室に約100人もの参加者が集う大きな集まりになり、主催者一同大変嬉しく思っています。

講演者の原田さん、エリザベト音楽大学キャンパスミニストリーの皆様、カトリック正義と平和広島協議会の関係者の皆様、その他ご協力くださった方々にお礼申し上げます。

講演の要録を併せて掲載いたします。




講演会「被害者遺族の語る死刑制度」

講演者:原田正治氏
殺人事件被害者の兄。
現在、犯人である死刑確定囚と拘置所で会う権利の獲得を目指して活躍中。
5月7日のニュース・ステーションにも出演。

日時:2001年6月8日(金)午後7時〜8時30分
場所:エリザベト音楽大学506号教室(幟町教会となり)
参加者:約100名
主催:
・エリザベト音楽大学キャンパスミニストリー
・カトリック正義と平和広島協議会
・アムネスティ・インターナショナル日本ひろしまグループ


講演要録

 愛知県知多郡東浦町から来た原田です。多くの人の前で緊張していますが、今まで体験したことをお話させていただきます。
 
 5月7日のニュース・ステーションに出た内容をもう少し詳しくお話します。

 私の弟はトラックの運転手をしており、大阪方面に仕事に出かけるとのことで京都府木津町を通っていました。木津川堤防で事故に遭い亡くなったとのことでした。3人の犯人の一人が運送会社の社長、長谷川敏彦で死刑確定囚です。1993年に刑は確定しました。弟は保険金目当てに殺されたのです。他の犯人は、一人は死刑の判決を受けてすでに執行され、もう一人は有期刑で、こちらは刑期を終えて釈放されています。

 彼と最初に会ったのは弟の通夜の日でした。葬式にも参列し、その後も何度か家に来ました。最初は善意で来ているものと思っていました。現場に連れて行くとの誘いで一緒に行ったりしましたし、その後もちょくちょく彼に会いました。やがて彼は弟に金を貸してあると言い、それを返してくれと言いました。また、会社の運営資金も無心に来るようにもなりました。それを貸してくれとのことで、180万円、弟が借りたという60万の返済を含めて、240万円を渡しました。後で弟が借金などはしていなかったことが判りました。

 初公判以来、ずっと彼を見つづけてきました。ずっと彼を殺してやりたいと思いました。今まで生きてきた人生の3分の1が彼と一緒なのです。彼に望むことは極刑と思っていましたし、法廷でもそう言いました。ただ、一審と二審での心境は少し違っていました。彼からは手紙が来ていましたが、ずっと捨てていました。名前を見ただけでです。二審の中頃から手紙を読もうという気になぜかなりました。返事を書いてから、彼との手紙の交流が始まりました。

 やがて彼の親戚からお墓参りをさせてほしい、という話がありました。時期を同じくして、メディアでも取り上げられるようになりましたが、事実と違うものも多くありました。私も報道に違う点があると彼に言いました。それで彼とますます近しくなっていきました。やがて初めての面会がやってきます。1993年8月のことです。この7月に会うことを決意しました。ただ土、日、祝祭日は無理ということで8月の中旬に行きました。最初はとても怖かったです。

 拘置所の面会票に名前を書く時も手が震えました。会って何を言おうかと思い、どきどきしました。彼は体一杯に喜びを表していました。ここでは私は事件のことについて文句を言うのをやめようと思いました。これが死刑制度に対する考え方の変化の第一歩でした。

 もし、彼らがこんな事件を起こしていなかったら、私は普通の人生を歩んでいたでしょう。18年前から私の人生は変わってしまいました。それは間違いありません。こういうことがあったから、死刑を考えるようになったのです。

 彼を許そうと思ったことはありません。彼が、私が許したと思っているのならとんでもないことです。

 今回のことで嫌だなぁと思ったことは、憎しみ、悲しみを繰り返してきたことです。被害者がどういうものか。彼は国選弁護人がついています。彼はもう私の手の届かないところにいます。彼には弁護人、死刑廃止論者たちがついています。私は、死刑廃止論者は加害者の人権を擁護する連中だと思っていました。そんなのはとんでもないと思っていました。被害者の遺族の問題を考えることなくして、死刑廃止運動はできないと思います。彼を許したわけではないし、実は執行されてもかまわない。ただ、彼には罪を償う責任があります。
死刑執行は罪を償ったことにはなりません。それで事件は終わりになってしまいます。しかし、私にとっては終わりません。

 長谷川君の家族も被害者だと思うし、彼らもつらいとつくづく思います。死んじゃえば終わり、というのは、私には我慢できません。あの狭い空間で償うのは難しいですが、生きていればこそ償いはできます。

 被害者の遺族には精神的ケア、経済的ケアが必要です。犯罪被害者給付制度の最高額は900万円です。(約10年前)1億円の保険金の時代にです。非のうちどころのない人だけが満額もらえるのです。
死刑確定囚になると身内以外は接見できません。被害者と加害者が会うことは重要だと思います。話しあう機会はあってもいいじゃないかと思います。悪く言えば、各拘置所長の腹一つで会えたり、会えなかったりします。民事の場合は会える場所があるのですが、刑事の場合は会えないのです。接見という問題は非常に大きいと思います。

 この4月18日に高村法務大臣に会って、接見する権利を要求いたしました。

 死刑囚との接見と被害者の救援策を、死刑廃止運動に是非盛り込んでほしい。自分としてもできることはこれぐらいしかないかなぁと思っています。





(質疑応答)

Q:ある人は殺されることが償いになると言いますが、貴方とどこがどう違うのか。

A:そのような思いがあっても当然だと思います。すべての事件を一括りにはできません。
ですから、事件によって状況が違うので比較はできませんし、コメントはできにくいです。そんな人たちと話し合うことが重要だと存じます。そんな人とはお会いしてお話したいです。


Q:マスコミで報道された後の影響を教えて下さい。

A:ニュース・ステーションのほか、名古屋のテレビでも約1時間、私について番組があり、朝のワイドショーでも15分ほど放映されました。意地悪な被害を予想していました。わざと放映の時は外に出ていました。自宅の電話も使えないようにしました。本当に不便です。手紙は来ます。東京駅でも知らない人から声をかけられました。いろんな人と話ができることは良いことです。悪い情報はテレ朝に来ています。メールの内容はきついものです。しばらく電話は使えないでしょう。こういうことで長谷川さんの家族がどうなのか。彼の子供さんは自殺しています。蒸し返すことはいやでした。娘さんは本当にいい子なんです。私の娘と同じぐらいの歳です。彼らに申し訳ないとは思います。


Q:受刑者の人にどんな話をすれば喜ぶでしょうか? 教誨師の立場からの発言です。

A:(被害者の遺族に)手紙を書き続けなさいと、私は言います。面会できない以上他にできることはないのですから。
また(受刑者は)親族が守ってくれていない場合が多いのです。こういうことを言うのは同情からではありません。


Q:償いの内容として具体的にどんなことを考えておられるのでしょう?


A:謝って済む問題でないのは確かです。話していけば何かが出てくると思います。話し合う場があってこそ、償いの内容の答えが見つけられると思っています。こっちがやるから被害者はだまっていろ、というのがお上です。それを変えたいのです。


Q:「いのちの絵画展」にある死刑囚の絵を見て、どう思いますか?

A:絵を描く動作も償いでしょう。素晴らしいなぁとは思いました。長谷川君から送られてくる絵も宗教画が多いです。これも1つの償いと思っています。


Q:いつ心境の変化を持つようになったのか、もう少し詳しくお聞かせください。

A:説明の難しい所です。1993年は大きな転機でした。誤報、御参り、確定、手紙の交換などなどが一気に起きた時期でした。自然に前に出てしまいました。18年前と暮らしが180度変わってしまいました。船が出た以上、引き返せません。


Q:接見して長谷川氏に変化がありましたか?

A:ありました。会ったことで彼は許してもらえたという自惚れがあるようです。模範囚だと自認しているようです。それには腹が立ちました。お前だけの執行停止を求めているわけではないのだということを判ってほしいです。被害者は事件を絶対に忘れることはできません。人生の3分の1、一緒に彼といた以上、話し合って方向性を決めていきたいです。許したと思われるのは心外です。100通の手紙より1分の面会です。表情、顔から伝わってきます。





死刑囚たちが描いた絵を展示した「いのちの絵画展」を
同大学のロビーで
6月8日から22日の午前9時から午後7時まで開催いたしました。
大勢の皆様のご来場、ありがとうございました。。


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