運営担当の独り言

<短信>

 4月21日のバヌヌ氏の釈放予定日を控え、ここで少しずつ日本での動きをお伝えしていこうと思います。3月7日に東京で開催されたバヌヌ氏に関するイベントでは、定員160名の教室がほぼ一杯になる程の盛況でした。お招きくださった森沢典子さんたちに改めて感謝する次第です。当日は東京大学名誉教授の板垣雄三氏やジャーナリストの広河隆一氏も参加されていました。また、3月15日に広島で開催されたイベントでも、定員60名の研修室がほぼ一杯になる盛況でした。講師を務めてくださった姫路獨協大学学長の木村修三先生を始め、御協力くださった皆様に感謝いたします。また、3月4日には東京新聞がバヌヌ氏について紙面で大きく取り上げてくれました。
 また、板垣先生から寄せていただいたこれらのイベントへの御賛同のメッセージを御紹介しておきます。


 「イスラエルのうち続く占領・入植、「壁」建設、パレスチナ人抑圧は、国際社会の深く憂慮するところですが、イスラエルの核武装は「公然の秘密」とされながら、それを直接問題にすることはタブー視されてきました。インド・パキスタンの核保有や北朝鮮・イラン・リビアの核開発がこれだけ問題にされ、「大量破壊兵器隠匿疑惑」でイラクの政権転覆まで強行されたというのに、です。これからの世界にとって、イスラエルの核は避けて通れない問題です。良心の囚人モルデハイ・ヴァヌヌに思いを寄せることは、ヒロシマ・ナガサキ・第五福竜丸の体験をもち、いま劣化ウランの影響が心配されるイラクに自衛隊を派遣した日本にとって、また朝鮮半島の非核化をめぐり六者協議が行われている東アジアにとって、いよいよ大事なことになってきました」

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イスラエルにとっての厄介者


 モルデハイ・バヌヌ氏の釈放までもう2桁の日数となりました。4桁の数字が長く続いた時期を振り返ると感無量です。彼からの手紙によると今年4月21日の予定日に釈放されたら、米国に移住するつもりだとのこと。しかし果たしてそういくのかどうかいろいろな情報、憶測が飛び交っており、予断を許しません。たとえ釈放されても国外には出られないとか、特定の場所で監視下に置かれるとか、はたまた行政拘禁におかれるとか…。いずれにせよ、檻が大きくなるだけのことで、動物園のライオンをサファリパークに移すのと大差ないと言える話でしょう。

 このような話は既に3年ほど前からあり、驚くことではないのですが、その情報に対してイスラエル国内の支援者であるジャーナリスト、ヤエル・ロタン氏が「その時になって弁護士が適切な法的措置を講じるだけのことで、私たちはそれを支援すること」という冷静なコメントを支援者のメーリングリストに書いていたのを思い出しました。

 核兵器保有について曖昧な立場を取り続けているイスラエルにとって、バヌヌ氏は厄介者以外の何者でもありません。彼に自由な発言を認めるということは、そのような立場を危うくすることだからです。イスラエルが核兵器を保有しているということを公に認めること自体、米国との関係悪化、及び他の中東諸国に与える悪影響が大きいからというのが、多くの政治学者たちによる分析のようです。つまり、米国との関係に関して言えば、現在、米国はイスラエルに対して年間約30億ドルの援助を行なっていますが、イスラエルが核保有国であることが公になれば、米国自らが定めた核開発国に対する援助制限の規則に抵触することになり、議会で問題となることは確実だということ。また、中東諸国にとっては「なぜイスラエルはOKで、我々は保有できないのだ」という反論が可能になり、それらに対する核開発に口実を与えるということです。

 しかしながら、現実に今の世界を眺めてみた場合、どこまでそのような話にリアリティがあるのかは分かりません。先日、リビアが大量破壊兵器の廃棄を宣言しましたが、これは同時にイスラエルに対する核査察を要求するカードでもあったことは、余り日本では報じられていません。むしろ流れとしてはより透明性を確保し、米国の二重基準を正すための圧力が高まっているようにも見えます。イラク、イラン、朝鮮民主主義共和国の核開発についてはあれだけうるさく言ってきたのに、どうしてイスラエルの核開発に見て見ぬふりをするのだ、という憤懣(特にアラブの人々の)は私たちの想像以上のものであると感じます。

 ただ、二重基準は何も米国に限ったものではありません。イスラエルの核兵器について今までどれだけの報道がなされたことでしょう。特に日本において…。以前、バヌヌ氏についてある集会で私が話をした時に、広島のある平和運動家に「核実験の証拠もないのに、どうして核兵器を持っていると言えるんだ」と食ってかかられたことがありますが、無理からぬことではあります。現在のイスラエル・パレスチナの状況に関する日本のマスコミの報道についても、「テロ」攻撃のニュースばかりが目立ち、パレスチナ人家屋破壊などのイスラエルの占領政策、入植地の拡大、パレスチナの人々を分断し彼らの生活を破壊する分離壁・フェンスの建設については余り触れたがらないようです。

 イスラエル建国自体、第二次大戦中にユダヤ人に対するホロコーストを止めることができなかった欧米諸国の贖罪的な意味も含まれていました。しかし、広島でも講演された板垣雄三氏も言われていましたが、それは欧米諸国自身が贖うべきことであり、決してパレスチナの人々に押し付ける筋合いのものではなかったはずです。日本で、そして広島で現在のイスラエルの行動が非難されることが少ないのも、おそらくホロコーストの経験を持つ民族に対する共感が強いからでしょう。映画の値打ちを測るものとしては評価の高い『キネマ旬報』誌の2003年ベストテンが先日、発表されましたが、洋画部門の1位は『戦場のピアニスト』でした。監督はバリバリのシオニストであるロマン・ポランスキーです。あの映画の中でナチがユダヤ人に対して行なったことが、似たような形で被占領地のパレスチナにおいて行なわれていることを映画評論家たちはどれだけ知っているのでしょうか?

 反ユダヤ主義を許すことはできません。反対すべきは今のイスラエル国家の政策であり、ユダヤ人一般と混同すべきではありません。ユダヤ人の中にも少数ですが、バヌヌ氏の釈放を訴えたり、今のイスラエルの政策に異を唱えている人々もいます。彼らにとっては今のイスラエル国家の在り方こそ、反ユダヤ主義を助長するものなのでしょう。アムネスティの2003年の年次報告書によると、フランスでは2002年の3月と4月だけで395件の反ユダヤ的事件が起きています。この期間中、リヨン、モンペリエ、ストラスブールなどのユダヤ礼拝堂(シナゴーグ)が破壊されました。マルセイユのシナゴーグは全焼し、パリ近郊のユダヤ人学校では火事がありました。テポドン発射や拉致事件が報じられる度に、朝鮮人学校の生徒たちに嫌がらせが起きてきた日本の状況を想起させます。国家と民衆を一緒くたにして考えてしまう人が如何に多いことか…。そして、彼らの矛先は大概、社会的に弱い立場の人々に向けられるのです。

 イスラエルにとって核兵器を持つということは民族絶滅を防ぐための絶対手段であるとも言われています。ホロコーストを経験した民族だからこその切実な考えかもしれません。ただ民族絶滅の危機にあるという文脈で行けば、チェチェン人もロシアに対抗するために核兵器を保有できるという論理も成り立ってしまいます。(チェチェンの状況については2004年2月号の『世界』にあるザーラ・イマーエワさんの講演録を御覧いただければ)

 バヌヌ氏釈放後の展開は予測がつきません。別の形で幽閉されつづけるのであれば勿論のこと、たとえ自由に発言できるようになってもマスメディアと一般の人々の無関心が続くのであれば、釈放の影響は極めて限定されたものにしかならないでしょう。そして、それこそがイスラエルにとって望む所であり、安心して今の占領政策を続けていける基盤なのでしょうし、イスラエルとの関係を壊したくない米国にとってもそれが有難いことでしょう。

 広島で市民活動に参加していると「ヒロシマからの声を世界に!」とか「ヒロシマからの平和発信を!」という声をよく聞かされます。ただ時にそのメッセージの中に独善的な響きを感じてしまうことがあります。言わば世界各地で起きている現実に対する知識・認識不足、そしてそれらの現実に対する想像力の欠如です。ヒロシマからの声が世界から真摯に受け止めてもらえるようになるには、まずこちらが相手の状況をよく知る必要があると思うのですが…。

 1997年に平和記念資料館を訪問したシモン・ペレス元首相は「私たちの心はヒロシマの犠牲者とともにあります」とメッセージを残しました。一方、彼はイスラエルの核開発の責任者の1人であり、バヌヌ氏の誘拐を指示した張本人だったのです。






ここで述べられたことはアムネスティの方針や目標を必ずしも反映したものではありません



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