バヌヌを自由にする時だ
ヨッシ・メルマン
ハーレツ紙(2008年4月16日)


 来週、内務大臣はモルデハイ・バヌヌのイスラエルからの渡航禁止命令の5回目の更新をする。英国委任統治有事規程に部分的に依拠し、バヌヌが外国の大使館に接近したり、外国人と話すことを禁じるという民間防衛軍によって出された数々の制限措置の筆頭にこの渡航禁止措置がある。彼はエルサレムに閉じ込められており、市外へ移動する際は報告しなければならない。彼が既に代償を払った罪に対して、これらの制限措置は効果的に彼を懲らしめ続けている。

 イスラエル政府によるバヌヌへの嫌がらせは前例のないものであり、容認されるあらゆる法的規範を歪曲した最たるものである。1970年代と1980年代にディモナ原子炉で下級技術者として働いていたバヌヌは、1986年、サンデー・タイムズにイスラエルの核機密を教えた。その結果、彼はイタリアでモサドの諜報員によって拉致され、薬を打たれ、イスラエルに連れ戻され、裁判でスパイ活動と反逆の罪で有罪となり、18年の投獄と言う刑を受けた。獄中でのある期間は独房に入れられ、ほとんど正気を失いそうにもなった。

 2004年4月に釈放された後、家族を持ち、新生活を始めるために、バヌヌは出国することを求めた。最近、ノルウェーが彼を受け入れ、労働ビザを彼に与えようとしていることが報じられた。しかしイスラエル政府は独断と非論理的な破壊主義によってそれを許可することを拒んでいる。バヌヌが刑期を終えた後、法務、防衛、内務の大臣からなる特別の内閣委員会は、彼に苛酷な制限措置を科すことを決定した。バヌヌは制限措置の受け入れを拒否し、それらのいくつかに違反した。特に外国人との会話禁止がそうだ。彼は外国メディアとの多くのインタビューに応じ、そのために裁判にかけられた。エルサレムの下級裁判所は彼に6ヶ月の投獄という判決を下したが、それは来月、地裁で彼の請願が聴聞される時まで猶予されている。バヌヌは気難しく複雑な人物である。彼は自らの原則に対して頑固なまで立派に、そして断固として忠実である。そして喜んで代償を払っている。彼は東エルサレムのアパートとホステルの間をうろついており、自らの居場所の賃借や職探しに困っている。東エルサレムのパレスチナ人は彼と交わることを恐れているし、イスラエルのユダヤ人社会は彼を拒否している。そして、彼もユダヤ人社会にへつらったりしない。

 イスラエルで最も痛罵された者たちの一人であるバヌヌを擁護することは評判がよくない。内閣の大臣たちやクネセット(訳注:イスラエルの国会)のほとんどの議員たちや司法長官などの高官たちは沈黙したままである。バヌヌが釈放されて以来、4名の法務大臣がいた。ヨセフ・ラピッド、ツィピ・リヴニ、ハイム・レイモン、そして今はダニエル・フリードマンである。苦痛を与えるこの一連の出来事において、どこまで国家が非人道性、不当な仕打ち、そして愚かさを示すことができるかということに今まで誰も疑問を呈さなかった。

 バヌヌをイスラエルに閉じ込めるという運動を指導したのは国防大臣の保安長官で、ディモナ原子炉の情報漏えい防止が担当である。数年間、この地位はイヤヒル・ホレフが勤め、彼の振る舞いは多くの分野で物議をかもすものだった。数ヶ月前にホレフは退任したが、彼のバヌヌに対する方針はそのまま残っている。

 大臣や高官たちが額面どおりに了承した保安長官の主張は、バヌヌが国家の治安にとって脅威でありつづけているということであった。つまり、彼はもし出国が許可されたら公表しうる機密情報を明らかに持っているということである。この仮定は疑わしい。諜報ビジネスでは、バヌヌが知っていることすべてをタイムズに話したと考える最悪のケースのシナリオを仮定しなければならない。国家の論理によるとバヌヌは永久に治安上のリスクでありつづけ、制限措置は決して解除されないことになる。

 司法制度での不当な仕打ちを正し、少なくとも国防族たちの行為に疑問を投げかけるように、フリードマンに期待することもできた。この件についての立場についてハーレツからの質問依頼に彼は答えなかった。新しい国防省保安長官のアミール・カインはどれぐらい長くバヌヌは罰せられ続けるのかと問われて回答することを拒んだ。

 一方で、バヌヌを国家の囚人とする制限措置は半年ごとに自動的に更新される。建国60周年を祝い誇っている国においては、開化した世界の司法と道徳の規範を遵守することを意味しているはずだ。イスラエル政府が勇気を出してモルデハイ・バヌヌをきっぱりと自由にするのを期待してもよかった。

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