上海編 日程:2007年2月12日〜14日
中国最大の経済都市 上海75,000歩の旅
春の広島を立出るは、東区曙辺に住みたるN弥次郎兵衛といふのふらくもの、悪友のM喜多八もろとも汚きシューズの足もと軽く、・・
花の上海へと、心ざして出行くほどに・・・・ 十返舎一九「東海道中膝栗毛」から借用
注:栗毛とは馬=交通手段、膝が交通手段であるから徒歩旅行のこと。
はじめに
昨年10月・台湾、12月・バンコクと二ヶ月おきに、海外旅行を敢行。1月、中国・シャンハイヘ行こうと悪友(Mさん)の誘い、ホテル付きと聞き、てっきりツアー旅行と勘違い。
旅行記の表題を「ラクチン、ツアー上海の旅」にしようと考えていたが、出発間近になってよく聞くと、なんと、やっぱり3K旅行である。飛行機とホテル二泊のチケットのみで出発。
前二回の旅で、足がガクガクになるまで歩いたが、どれだけの距離だったか表す事ができなかった反省から、今回は「万歩計」を携えての旅となった。
1.広島空港から出発 [1日目 2/12] 曇り 14℃(上海)
午前9時フライト。7時ロビー集合。6時広島駅新幹線口のバス停。そうすると、朝5時半には家を出なければならない。家から駅までテクテク、今日は歩数が伸びそうだ!9:00広島空港離陸。1時間50分で上海浦東空港着陸。時差1時間のため9時50分に時計を戻す。早速両替・・・
2万円→1213.5元という事は1元→16.5円となる。
11:06浦東空港発、11:54銀波大酒店着。705号室に入る。ここで部屋の品定め。
下の表で判るように「銀波」は一つ星クラスである。広島から合流した中の二人の若い女性は「銀 波」では日本語が通じな事が不安で、突如「銀波」をキャンセルし、ヒルトンに移っていった。因みにヒルトンはツインで23,000円、銀波大酒店のフロントに掲示されていた値段はツインで6,900円であった。
ランク |
ホ テ ル 名 |
SL |
グランドハイアット、フォーシーズン |
L |
シャングリラ、ヒルトン |
A |
ホリディイン |
B |
イーストアジア、海港賓館 |
C |
銀波大酒店 |
ただ、タイ・バンコクの白蘭大酒店はツインで4,000円、冷蔵庫があったのに、「銀波」には冷蔵庫がなかった。要するに、上海はバンコクよりホテル代(物価)が高いのである。

宿泊した銀波(リンポー)大酒店正面
2.豫園商場を散策
12:20ホテル出発。市街東側を、歩いていく、英国租界地で古いが立派洋館が立ち並んでいる。
12:55豫園商場着。
春節のためか、人出が多いように感じるが、もともと人口(戸籍1,300万人・流入人口400万人)が多いのである。

豫園商場の一角
池の周りにある有名な「南翔饅頭店」の店頭売り「小龍包」は行列。私たちは、店の中に入る。喜多さんが料金所の上にあるメニューを指さして注文。一笊(蒸篭一個)20元。スープ10元。
小蒸篭で十個載っている。「どうやって食べるんじゃろう?」回りを見ると、お客 がハシ・レンゲ・小皿を取ってきているのでそれに習う。しかし、金持ち日本人の大人
二人が点心・スープ一人前をチマチマつついている。回りの中国人は何人前も食べているのに。この弥次・喜多は本当にケチだなー。(笑)

池の周りの商店・看板は関羽と息子
15:00人民広場近くのデパートにはいる。ユニクロも入っている。甘味処に入って足休め。周りを見ると女子中・高生と若い女性ばかり、広島では絶対入らないだろうなー。
3.地下鉄・バスに乗る
15:40人民広場駅(地下鉄1号線)に乗る。16:00衝山駅
上海の乗り物
リニアモーターカー
上海浦東空港→7分→地下鉄龍陽路駅、最高時速432q・片道50元
地下鉄(5路線あり)
地下鉄の乗り方
1.モニターで乗る路線番号を押す
2.着駅名を押す(料金が表示される)3元から5元まで

地下鉄の出入り口
3.コインを投入(紙幣可)
4.カードが出る。
5.入り口ではカードを読み取り機に当てる。
6.出口では差込口に挿入。(カードが回収される)
バス
1.普通バス・・・1元 ただし便数が少ない。
2.空調バス・・・2元
3.トロリーバス・0.5元 乗り心地悪い。
※全て乗り切り、どこまで行っても最初の料金。

整地された地下鉄駅裏
タクシー 初乗り13元、あと時間・2q毎2元
中国は車優先社会である
日本と違い、中国は右側通行である。横断する時はまず左を見て、次に右を見る。横断歩道でない所を渡る時は非常に注意し、キョロキョロして渡る。横断歩道で信号が青になったからといって油断は禁物。右折車やバイク・自転車が人の切れ目をめがけて突っ込んでくる。
日本では横断歩道が青で人が渡っていれば、一人でも車ばジッと止まっているのが常識(歩行者優先)であるが、中国ではそれは通用しないので、ご注意・ご注意。
タイ・バンコクでも横断歩道外で横断したが、それほど危険は感じなかったが、上海ではヒャーッとした事が何度かあった。それに、やたらクラクションを鳴らすのでうるさい。
春節について
中国だけでなく台湾・ベトナム・韓国・北朝鮮でも旧正月を祝う。普段は、グレゴリオ暦を使っているが、正月と墓参り(お盆)の日は太陰暦で決める。今年の旧正月(春節)は2月18日。私たちの旅行の数日後である。
中国では、前日の夜(大晦日)盛大に爆竹を鳴らして春節到来を告げる。
デパートや町中の商店でも春節用の商品を大売出し。今年は、亥の年だが中国では「亥」ではなく「豚」の年(猪と豚は親戚であり、多産である事にあやかる)

下町の商店で春節のお飾りを売る デパートではかわいい子豚の人形さん
17:15腹が減ってきたので食堂をさがす。地下一階で永和豆ショウ店(ショウは将の下に水)にはいる。
青島ビール・・2本、炒飯、トンカツ定食、野菜炒め一皿で夕食。
喜多さんの食べたトンカツは薄くて切れめはあるが繋がっている。
野菜はチンゲン菜でまあまあのお味。 合計56元
さらに歩いて、「南京西路」のバス停でバスを待つ。18:302元のバスに乗る。
中国人のバスの乗り方
皆、停留所あたりに立っている。バスが来ると、乗り口に向かって突進。
この時間は丁度帰宅時でありスシ詰め状態、弥次・喜多はあきらめるが、中国人はなおかつ乗ろうとし、それでもダメな場合は、出口にまわり「開けろ!開けろ」と叫び、無理やり乗ってしまう。私たちは2台ほどやり過ごし、やっと乗った。中はそれなりに一杯だが、次に乗る人のために後方へ詰めてやろうという気持ちは全くない。乗ってしまえば、それでお仕舞い。後の人のことなど無関心である。
ついでに、地下鉄では、一応降りる人が中央で、乗る人は両端となっているが、まだ人が降りているのに、無理やり乗り込もうとして混雑を引き起こしている。中国人は押し合いへし合いが好きなのかと思ってしまう。
ただ、東京よりも多い人口で地下鉄が4.8路線(一部未完成部分)しかない事など公共交通機関が貧弱であるという原因を勘案しなくては・・。
マナーについて・横ですが
インターネットのYOMIURI・ONRAINに「発言小町」という投書欄がある。そこに「電車の中でサンドイッチやおむすびを食べたり、化粧をしている人を見ますがみなさんどう思われます?」というトピが立った。すると「マナー違反だ」「親の躾がなってない」「世も末だ」というレスが大量に帰ってきた。「妊娠中で腹がへって」とか「糖尿病で」とか言っても「自己管理!」など、ほとんどパッシング状態であった。かなり意見が出尽くしたところで素晴らしい意見がでたのでご紹介。
日本人の良いところ
@
車の中でものを食べるのは恥ずかしいという美意識
A
ひとの迷惑になることはやらないという思いやりの心
日本人の嫌いなところ
@
自分と同じ美意識を持たない人を認めないところ
A
「人に迷惑をかけない」を鉄則にして柔軟性に欠けるところ
中国人の乗車マナーについて辛口な事を書いたが、まあ目くじらを立てるほどではないのかもしれない。
19:10ホテル着 ホテル隣りのコンビニで缶ビールを買い、ベットにへたって、今日一日の感想や驚き・疑問を弥次、喜多で論議する。これがまた、旅の楽しみである。
出口・入り口論について
出口・入り口論と言えば交渉・協議の技術の事である。
「入り口が難しく、出口は容易」というのは、「協議に入るのが難しく、テーブルに着けば結論は直ぐにでる」ことを言う。逆は「総論賛成、各論反対」に似ている。これからの話は、そんな堅い話でない。
冒頭、「銀波大酒店」が☆一つクラスのホテルである事は述べた。そして、トイレットペーパーが硬いのである。相棒の喜多さんは、家のトイレではウォシュレットを使用し、外では、ウエットティシュでないと辛いので旅行中はボラギノール軟膏を必携している。そこで、悪友・弥次がからかう。「喜多さんは、どんな国のどんな食べ物を食べても、“これは食えん”とか“それは不味い”とか言った事がない。『あんたー入り口は頑強じゃが、出口は軟弱じゃのー』」尾ろうな話で申し訳ない。(大笑い)
21:00就寝。今日一日 25,000歩。
4.二日目(2/13)天候:曇り夜から雨
上海の空気は悪い。排気ガスでかすんでいる。

一般庶民の住む家、築百年以上は経っている ホテル7階より見た、近くの古い住宅
古い家並みを見ながら歩いていると、2010上海万国博という国家的イベントのため、昔ながらの家はどんどん取り壊されて行くんだろうなーと思ってしまう。まして、社会主義中国では土地は国家所有であり、庶民は使用権のみ、わずかな保障金を渡して出ていけと言われてお終い。
パワーショベルの爪の一撃で、糸も簡単に整地されるのであろう。上海の過去と未来が上の右側の写真に投影されている。
歩く途中でトロリーバスを見た。市中心部から離れた路線で走っている。

途中で見たトロリーバス、0.5元
9:40周家シ路(シは口偏に此の下に角)の喫茶店「来春源茶坊」で一休み。
喜多さんはお茶、私はレモンティー(20元)を注文する。ここで喜多さんと上海の経済発展について論議。
中国の経済発展
1980年代「白猫・黒猫論」で有名なケ小平は、北京の保守派(中国では左派)の牽制を嫌い、広州、上海などを訪問し南巡講話を発し「改革・解放」に向け発破をかけたそれまで日和見をきめていた江沢民はコロリと豹変、自由化へと舵を切る。それ以降、「姓社姓資」批判=(この制度・政策が社会主義か資本主義かいちいち問うな)とか「先富論」=(能力の有る者が先に金を儲けて富んでよい)など、それまでの思想的規制を取っ払ってしまう。
そして、私営企業の拡大・外国資本の導入・対外輸出の増大など急激な経済発展を遂げる。

浦東地区の東方明珠タワーの夜景
しかし、都市と地方、金持ちと貧乏人の格差も一気に拡大している。マンションや邸宅を販売している店頭には、日本と同じ様に、ガラス面に物件を貼り付けている。その価格や!日本円にして五千万円から一億円まで表示してある。「んーーーー」中国・上海はここまで来ているのか。
10:30喫茶店を出る。今日は喜多さんの知り合いで上海で働いている韓国人・P嬢(28歳の独身女性)と3時にホテルで待ち合わせているので、早めに、デパートに行き、買い物をするため地下鉄駅を捜すが、中々見つからない。メモ帳に「地下鉄大連駅?」と書いて、通りすがりのお姉さんにみせると手で方向を示してくれた。<これを筆談という。>
10:55地下鉄大連路駅→11:10世紀大道駅(浦東地区)
11:30上海小吃店で昼食ビール・・1本(10元)小龍包・・1セイロ(10元)炒飯・小海老唐揚などで58元。12:00出。
12:40スターバックスでコーヒー、13:15出。スターバックスは台北やバンコクにもあり、品質と安心価格なので、喜多さん御用達店。私はコーヒーL(17元)ツナサンド(18元)13:25上海第一八百伴(デパート)ヤオハンはテレビの「おしん」の息子が大いに儲け、海外にも出店したが、その後、経営破綻。経営者は変わったが八百伴の名前は残った中々の高級店である。エスカレーターが片側4レ―ンある。私は龍井茶(228元)と蜂蜜を購入。

八百伴デパートのフロアー
14:10地下鉄世紀大道→14:30南京東路15:00ホテル着。P嬢と合流15:30ホテル発。
前出、浦東明珠タワーの見える黄浦江河畔は観光スポットで、記念写真屋が沢山いる。軽食を売る店で、焼き串を買って食べたが期待していたほど美味しくはなかった。
腹がへってきたので南京東路の火鍋屋に入る。(これは私が強く要望して)
18:10愛●火鍋店(●は糸の小の字がないのを横に二つ、下に一)鍋は中央にS字の仕切り(太極型という)片側は白い鶏ガラスープ、片側は赤い唐辛子スープ。牛肉・豚肉・野菜・春雨・ジャガイモなどを入れる。
P嬢が赤いスープで食べると「カラ――」韓国人が辛いと言うから相当に辛い。しかし、やはり、赤いスープにつけたほうが美味しい。
ビールをジャンジャン飲みながら食べまくった。三人で193元。アー食った食った。弥次さんはこの上海旅行でどーしても、この火鍋(ホーゴ)が食べたかったので、本望です。(写真がないのが申し訳ない)19:30出。途中でPさんと別れる。
20:10ホテル着。本日は30,000歩。夜半から雨。
ツケのあとまわし
喜多さんは、不動産関係の仕事で、現在建てられている高層ビルの未来について語る。このようなビルの老朽化に伴う補修・メンテナンスの技術は確立されていないという。まあ、100年先、自分どころか子どもですら生きていない未来の事は後回し。資本主義は本質的に「ツケの後回し」体質なのであろう。地震がない事に自信がある国だから、ミスター「あねは」が大活躍しているのかな?
5.三日目(2/14)天候は曇り。
夜半の雨は上がっている。本来なら雨ではなく、雪が降るものと思うが上海も暖冬である。今日は恒例の単独行動の日である。喜多さんは市場探索。私は、上海博物館へと向かう。8:00ホテル出発。歩いて、歩いて9:15博物館に到着。入場料20元。いくら中国第二の都市はいえ、12万点の美術品や歴史資料を収蔵しているとは・・。1F古代青銅器時代から見ていくが、時計をみればこのフロアーだけで30分もかかっている。あまり、ゆっくり観ると後のスケジュールが苦しくなるので、少しスピードを上げて回る。3F絵画・印璽・書法では墨絵の特別展。あまりに中が広くて全てを見る事ができなかった。
11:15博物館出る。人民広場を横切って、11:40上海市第一食品商場。春節前で大混雑。ホタテ貝干物・・103元、紹興酒・・78元購入。
ファッションについて
市民の服装を観察すると、野暮ったく、似たりよったり変わり映えしない。日本の30年前の感じがする。広島に帰って、そのカラフルさを思った。
庶民の服装が変化・進歩するには、多種多様な商品を生産、販売し、持続的な購買力がないとできない。一部の若い女性はいいセンスの服を着ているが、日本との差はまだある。しかし、日本が30年かけて変化してきた事を中国は5年程で追いつこうとしているようだ。
簡体字・繁体字について
中国共産党が政権をとり、建国後の教育・文化政策では、非識字者(文字を知らない人)をなくすため、漢字を簡略化する。
字の一部をとり除く、又は、ある部分の草書体であらわしていたりする。字は単独で書かれる事はなく、前後関係で推測できる。例えば、「 店」は本があるので「書店」と判る。「営 中」とあれば「 」は「業」と推理できる。ただこれまで、前後を見ても判らない字の一つに「 」があった。たまたま上海博物館でこの字を見つけ、その下に英語で「DORAGON」と表示されていたので、「オーーーッ」「龍」の簡体字だ。俺って偉いなーと悦に入っていたが、日本に帰って「漢和辞典」の「現代中国簡体字一覧」を見れば、一目瞭然である。「ガックリ」漢字圏では、おおよそ理解できるのは助かる。
12:10味千ラーメンで昼食。日本で味千ラーメンはそんなに流行っていないが、上海では大いに流行っている。入り口で番号札をとり、エレベーターで7階につくと大勢が並んでいる。席は2〜6人席とカウンター列があり客を捌いている。席に着くと「お茶」が出てびっくり。上海では初めての事。これまでの食堂では、水も出てこない。メニューを見ると「九州・熊本で生まれた世界の味千ラーメン」。私は17元の野菜ラーメン。マアマアの味です。隣のサラリーマンは「石焼きうなぎ丼」30元を美味そうに食べている。12:45出る。13:35ホテル着。14:00ホテルロビー集合なので少し時間がある。そこで、1Fにある喫茶店にはいる。
やられたーーー
アジアの観光地で、日本語で話しかけてくる人間の99.9%は「ボッタクリ屋」である。彼らからすると日本人観光客は正に「カモがネギをしょって」いる様なものである。「観光案内しましょうか」とか「安くて美味しい店行きましょう」などと優しげな顔で近づき、オゴラセ、タカリ、ボッタクル。だから私たちはこれらの人間は無視。買い物も値札の付いた物しか買わない。この時はホテルの1Fにある店であるから信用していた。私は25元のコーヒーを指さして頼み、支払いを50元紙幣で(これがまずかった)出すと、つりを8元しかくれない。(なにー42元!)文句を言うと、中国語で何か言い、ここに書いてある。とばかりに判らん文章を指差す。アーーー!ヤラレター!!!!!!旅の最終段階でヒッカカッテしまった。悔しーーい。頭にくるーー。でも楽しかったなー。3日目は20,000歩。
さいごに
久しぶりに中国を訪問した。20数年前、北京の近郊で馬車を見た時とは大変わり、現在の上海の発展ぶりは大変なものである。
兵馬傭の西安、敦煌に代表される三大石窟、新疆ウイグル自治区のフホホト、都市では南京・大連など、まだまだ行きたい所がたくさんある。
ケチケチ旅行では、今年の目標として大連をあげたい。健脚があるかぎり膝栗毛珍道中はまだまだ続く。(了)