広島のMr.ビーン
3K(危険、ケチケチ、言葉が通じない)アジア道中記

*普通の人は真似しないでください。責任とれません。
 



  バンコック編  日程:2006.12.9〜13

 はじめに
 今回、私と友人(以後Mさん)の同行二人の自由旅行で、飛行機チケットのみを握って出発。現地時間17時バンコック空港に到着。入国審査の後、出口を通ると、もうそこは理解できないタイ語の世界。ツアーでないから誰のお世話もない。自己判断・自己責任で突入。

[12/9 1日目]

1.宿泊ホテルに向かう
 空港ロビーの宿泊案内所で、事前に調べていた「ホワイト・オーキッド・ホテル」の予約を頼む(英語で)とOK。1部屋ツインで
1,200バーツ。(1BT=3.31円)
 シャトルバス(無料)でバスターミナルへ。バスターミナルの案内所で市内中心部の路線を尋ねるがあまり通じない。552番がどうもそうらしいと判断して(事前のガイドブックとも合致)乗り込む。早速、車掌(女性)が料金(35BT一律)を取りにくる。降りたい場所を喋るが全く通じない。しかし、お金を払うと「アリガトウ」。二人顔を合わせて「日本人とわかるんか」。

 大勢の人(タイ人)が降りるバス停で下車。周りを見回すとBTR(広島のアストラムライン)がある。これに乗り、地下鉄に乗り換え(乗車方法は後述)ホアランポウ駅に着く。ガイド地図を片手にホテルのあると思われる方向へ歩き出す。ウロウロして、20分で到着(
20:15)。
 隣りと向かい側にセブン・イレブン(しめしめ、あそこで缶ビール<15BT程・タイ製>を買って部屋の中でグビグビ飲むぞ)※外国製の酒はタイの国内業者保護のため、高い税金がかけられていてメッチャ高額(ウイスキーや日本の酒があるが買う気にならない)

2.チャイナタウンを散策
 ホワイト・オーキッド・ホテルは「白蘭大酒店」ともいい、華僑経営で中国人や東南アジアの華僑が利用するホテルである。部屋の広さと料金の安さで(2,000円/一人)まあよしとしよう。


 白蘭大酒店1104室から見た、周辺

 土曜日の夜でもあり、外は人・車がウジャウジャ。屋台も満員。1時間ほど周辺を探索する。途中道端で「物乞い」に遭遇。良い・悪いはあるが(後「物乞い考」で述べる)ポケットから1バーツコイン5〜6個をあげると、またも「アリガトウ」といわれてショック。日本人はその顔つき・服装で判るらしい。いたる所で「コンニチハ」、「ヤスイヨ」と声をかけられた。

 ポイント

 
タイ語について
 中国語のように、四声発音である。短期で習熟は難しい。私たちは日式英語で喋り、タイ系英語を聞きながら意思疎通を図る。難しい事は言わないので、概ねこういう事だろうと判断して行動した。
○地下鉄・BTR(高架鉄道)の乗り方
 液晶掲示板で降りる駅あるいは区間をタッチすると料金が表示される。次にコインを投入(おつりは出ないようである)するとカードあるいは黒丸プラスチック片(地下鉄の場合)がでてくるので、それを使用する。(乗る区間により料金が変わる)
 掲示板にはタイ文字とアルファベット文字が併記されている。ちなみに、BTRの駅名(ALSOK・ガイド本でアーソク)は社内放送では私の耳に「アーソッ」と聞こえた。

[12/10 2日目]

3.まずは観光地へ(12/10AM9:15)天候:晴れ夕方曇り
 ホテルから3Kmほど歩いて、タイ王宮へと向かう。タクシーやトゥクトゥク(後述・三輪バイクのタクシー)が「日本人乗るだろう」と眺めるが、無視して歩く。途中サランロン公園で足休め。10:25王宮着(写真1)入場料無料、王族は住んでいない。欧米人・華僑・日本人それにタイ人が観光に来ている。
 観光客が慌しく撮影しているデジカメ。後ろに回ったりして確認すると、これらは全て「キャノン」「ニコン」「ソニー」の日本製である。
11:00王宮を出た途端に土産物(扇子・地図帳・日傘)売りがまとわりつく。手を振ってNOを連発するがしつこい。市場の中を通ってチャオプラヤ川の水上バス停横のレストランで昼食。トムヤンクンとカーウパット(チャーハン)一人前とシンハビール2本頼む。現地のトムヤンクンは非常に「酸ッパカラ―」いが、美味い!(二人で400BT)

 
      王宮の中で         レストランで昼食。トムヤンクンを食べる。


 川・運河を走る水上バス。庶民の足

  水上バス(写真2)の停留所では、一日フリーパス(100BT)を買え買えと、これまたしつこい、NO。乗ると車掌が切符を売りにきた。ひとり18BT。 ホテル近くで下船。
14:00にホテルに到着。休憩・昼寝。
16:15 出陣。帰りはバスに乗ろうとバスの路線番号をチェック。
17:18超高級オリエンタルホテルのカフェテラスで一服。川に面し、夕日が絶景。まわりの高層ビルも景色を際立たせている。バドワイザー1本270BTで高いが、まあしかたがない。ここを出て、ミニ・バスに乗り、ホテルに帰る。夕食はホテル周辺のレストラン。

 
    
市街を散策するMさん           ホワランポウ中央駅

  交通手段

a.地下鉄・・・半環状型で初駅と終駅がつながっていない。1路線
b.高架電車・・これも1路線で地下鉄と交差して、乗り継ぐことも可能。
         a.bともに快適だが割高。
c.バス・・・・高速・リムジンなどもあるが市内バスを紹介すると。
 @高級バスは窓が閉まっており、エアコンがきいている。 38BT
 A普通バスは窓が開いており、エアコンはなし。乗っていないので料金は不明。
 Bミニバスは20席で、窓は勿論、前後入口扉が開けっぱなし。
  (あぶなー)6.5BT  ※バスには全て車掌がいる。
d.トゥクトゥク・三輪バイクの乗り物。料金は行き先を言って、交渉する。
  ボラレそうなので乗らず。
e.タクシー・・・初乗り2Kmまで35BT、それ以降200m毎2BT加算。
  また、2分毎に2BT加算。(バイクもそうだが全て日本製・トヨタが多い)

 物 価

 レートは1BT=3,31円(12/9空港で)だが、両替所やその日その日で変する、一応3.3円と考える。屋台で「チャーシュウ麺」を食べると30BTであったが、小ぶりだったので日本で食べると300円位と思う。即ち、現地の物価を考えると1BT=10円の価値がある。
 100BTを331円で両替すると、日本で千円に対応するサービスが受けられる。タイは物価が安いのである。

 3K(のうち危険)について

  道路の横断
 大きな交差点・横断歩道には、信号機がついているが、ほとんどの横断歩道には地面に歩道のマークが描いてあるのみ、信号機がない。タイ人は横断歩道でない所でも、車間が少しでもあると突入する。
 日本人のように車が止まってくれないと渡れないようでは、車が切れるのをじっと待つしかない。私達も一日二日目までは、タイ人について渡っていたが、そのうち、なれて渡るようになったが、アブナー。
  香菜(パクチー・英名コリアンダー)
 中国南方・台湾・香港・東南アジアの人たちは、この薬味が大好きである。日本におけるミツバ・ネギにあたる。また、ミツバに似た形である。しかし、一口かむとその強烈な味と匂いが襲いかかってくる。パクチーを食べた日本人の二人に一人は、逃げ出すという。(?)
 観光の楽しみの一つである食事がこれでは大変。日本人ツアーでは、ちゃんとパクチーを除いた食事を用意していると思う。ただ私達二人は平気である事を告白しておく。(この位でないと、とても自由旅行はできない)
 

4.中心部へ(12/11 3日目)天候:曇り 最高35度、最低24度

 
8:30ホテル出発 今日は、タイ・バンコックの中心部へ進出。
 サイアム・スクエアは巨大デパート、ホテルが立ち並ぶ商業の中心区である。安宿にあきて、少し高級な所に泊まろうと、
9:50ホリディインにチェックイン。1部屋5,000BT。(1,200BTから一挙に5,000BTへ、ちょっと調子に乗りすぎかも。まあいいか、これも旅の楽しみ)
 
10:40ホテルを出て、周辺を探索。日系そごう・伊勢丹を含め多くのデパートが林立。早速ショッピング体制に入る。Mさんは各国の旅行先でシャツや小物を買うのが大好き。私は、妻や娘の土産を考えるが値段や物価の違いや色々見たいと思い悩み、なかなか決断がつかず買えなかった。


  ホリディ・インの玄関先で

11:15デパートの食堂で昼食。E−カードを購入(私は50BTのもの)それぞれ並んだ店で食べ物を注文する。私は「トムヤンクン風ラーメン」・・うまカラー・・残金は払い戻し。12:00いったんホテルに戻って休憩。
13:00散策。近くのスターバックスでコーヒータイム(レギュラーコーヒーは55BT)14:20ホテルに帰って昼寝。              
16:15
再度ショッピングに挑戦。今度は土産物を購入。Mさんも袋一杯買い込む。

5.ゲイ・ショーを見物

20:00タイのガイドブックには必ず紹介されているというゲイ・ショー。市内に2〜3ヶ所あり、バンコック以外の各地(パタヤ・ブーケット島など)でも流行っている。私達はアジアホテルの地階にある「カリプソ」という劇場に行った。
 入場料1,000BT(高いー)500人位入るイス席。アジア人(とりわけ日本人)欧米人で満員である。子どももいるし、後ろの席に韓国の女子大生が座り、Mさんが話しかけていた。(彼は韓国に留学していたので韓国語はペラペラ)
 いよいよ、ショーの始まり。ステージ上では女装男性と男装男性(?)がバックミュージックに合わせて踊る。
・・詳しい内容は省略、どうしても聞きたい人は本人まで・・
21:20終了ホテルへ帰る。

 追記

 07.4.3のテレビ「新世界地図」でニューハーフについて放送があった。それによると、世界二百数ヶ国の内、男性から女性への転換手術ができる国は20ヶ国。世界中で新しく女性になる人が年間1万2千人程、その内5千がタイ・4千が米国、因みに日本は25人であった。 ニューハーフのコンテストの世界大会がよくタイで行われているという。
 男は一生の間に一度「僧」となり修行する。また、立憲君主制で国王が尊崇されている。そして、ニューハーフ繁栄。タイって不思議な国だなーー

 感じた事

  タイの人達は、小柄な体形が多いようだ。屋台や店で働く若者を見て「おい、子どもが働いていいのか」と見間違う程である。また、浅黒い肌で目が丸くクリクリしたタイ美人のほかに日本美人と見間違える女性を地下鉄でよく見かけた。
タイは永い歴史の中で色々な民族との融合で形成されたのか、肌の色・顔つきも、それこそ色々である。


6.タイ最終日(12/12 4日目)明日は、早朝から空港・一路広島へ

9:00ホリデイ・イン出発。荷物が重いので、すぐ近く(一街区くるりと回った所)のアフロディテ・インにチェックイン(一部屋 2,500BT)。ここの受付嬢(30歳くらいか)が大変かわいく、きれいな英語で親切に対応してくれ、しかも、朝食付だが早朝出発なので弁当にして出してくれると言う。大いに感激した。部屋も立派で、チェックインするとすぐに、トロピカルジュースを持って来てくれた。前日のホリデイ・インは高い割に受付嬢の対応は事務的で、何の印象もなかった。これもまた、旅の当たり・ハズレかもしれない。
 今日は最後の日という事もあり、私達はそれぞれ単独行動をとる事にする。というのも、私は文化関係に興味があり、Mさんは市場探検やショッピングが大好きだから、互いに遠慮せず、自分の好きな所へ行こうという事になる。(前回の台湾旅行も最終日に単独行動だった)Mさんは市場巡りとショッピング。私は寺院と国立博物館を目指す。

10:00地下鉄・BTRを乗り継ぎホアランポウ駅到着。暑い中を歩くのはツライなーと思っていると、目の前を白人のじいさん三人が交差点を渡っている。「日本のおじさんも負けとられん」と歩き出す。
 黄金仏で有名なワット・トライミット寺院は、少し道に迷ったが無事到着。日本の仏像はジミ・古い感じのものが尊ばれるが、中国・東南アジアのものは、キンキラキン・ケバケバしく飾りたてるのが普通である。(写真 )礼拝をして、近くにいた外国人にカメラのシャッターを押してもらう。続いてワット・ポー寺院であるが、かなり遠いので始めてタクシーに乗る事にする。

 
  ワット・トライミットの黄金仏    タニア通りで「すし幸」、「天国」などの看板


 途中、チャイナタウンの渋滞に会い20分でワット・ポーに着く。(61BT)バスと比べると高いが、180円と考えると安い。(ケチケチの信条に反するがしかたがない)
 ワット・ポーは入場無料だが全長50mという涅槃仏がある仏殿には入場料が50BTなので入らなかった。次は、博物館。2Kmをテクテク歩く。延々と続く露店をのぞくと、仏がんとそれを入れる五画形のロケットが売られている。タイの人は、こういうものが好きなんだなー。
 博物館は休館中であった。残念。まあ、こういう事もある。帰りは、一昨日乗った水上バスを利用。ホアランポウ駅から逆順コースでホテルに帰着。Mさんは、Tシャツなどを買い込んでいる。

18:00日本人社用族がよく利用する繁華街のあるタニア通りに行くと、オーッ看板は全て日本語表記。「やきとり」「おでん」「寿司」とく、スタンドもカタカナで書いてあり、両側200mこれが続く。突き当たって左折し、ハッポン通りに向かう途中、私の思考を混乱させる物乞いに出会った(後述)。
 ハッポン通りは、バーが立ち並んでいる所。ケバイ女性が踊っていたり、好き物おじさんが、それをハントするお店である。時間が早いので、店の前のイスで化粧をしている。道路の真ん中では、服飾関係の出店が並んでおり、私達に「シャチョーさん、ヤスイョ」「ミルダケ」と声をかけてくる。相手にせず、帰る。
21:00最後の夜、ホテルの周りの屋台でチャーシュウ麺を食べる。アッサリ味で、なかなかいける。そこそこで、切り上げてホテルに帰る。シャワー、荷物の整理を行い22:30就寝。

7.広島へ[12/13]

5:30起床。6:30ホテルを出発。呼んでもらっていたタクシーで空港へ。(メーター200BT、高速通行料100BT)合計300BT。
7:30空港着。10:00中華航空で台湾の桃園空港へ向け離陸。
13:00着。乗り換え待機。17:00発。20:00広島空港着。入国後、税関で初めて荷物のチェックをされた。Mさんが荷物を預けていたため、私一人で(ツアーでない!)税関にいくと「バックを開けていいですか」と聞くので、ニコニコ顔で「あードーゾドーゾ」と対応。ちょっと調べていたが「結構です」。私は「どーも、ご苦労さんです」と労う。
 何も、変なものは入っていないので余裕である。弥次・喜多のタイ珍道中は大変たのしかった。Mさんと、またタイへ行こうと語り合った。
 

 残念だった事
○タイスキ
 一日目と二日目の夜、チャイナタウンのタイスキ専門店に行ったが、土・日であり共に満員、待っている客が多く、結局諦めた。残念。
 
○ドリアン
 これまた、チャイナタウンの果物露店でみかけたが、弥次・喜多は意外にも、勇気がなく、二人とも「食べてみよう」と言い出さず結局「果物の王様」に謁見せず。尻に帆をかけて退散。次回は、うやうやしく王様をいただいてみたい。
 

 何と、ゴミ袋が
  Mさんがスーパーの買い物をして、貰ったビニール袋には「長崎市専用ゴミ袋・可燃物は入れないで下さい」と印刷されていた。
 長崎市から発注を受けたが、欠陥があったか、何らかの事情で納品できず。捨てるのが惜しくて、スーパーに回ってきたのだろうか?
しかし、バンコックで長崎市の専用ゴミ袋に出会うとは思わなかった。

 物乞い考
  韓国・中国・台湾・東南アジア各国で、物乞いによく出あう。
 台湾では身体障害者がチューインガムを売っていた。売り物を納品・振り分け等まとめ役・組織があるのだろう。タイでは、物売りでなくコップを置いて、または差し出していた。
 東南アジアの仏教は上座部仏教であり、在家者が托鉢の僧へ物品を喜捨するのは、現世で功徳を積む行であり、そのような慣習がバックにある事も考慮しなくてはならない。
 さて、私がタイでコインをあげたのは三人、最初の一人は両膝から先のない成人男性で、チャイナタウンの道端で小銭をあげると「アリガトウ」と言われ驚いた(既述)。二人目は、尼僧でこれは、托鉢に対するもので喜捨である。三人目は、赤ん坊を抱いたおばさんで「この子、本当にあんたの子?」と思った。たぶん「あがり」を増やすため赤ちゃんを借りてきたのだろう。
 次ぎは目撃したのみだが、非常に驚いた。タニヤ通りからハッポン通りの途中で、30歳前後の美しい女性が、まともな服装で正座して合掌している。その女性に欧米人が紙幣(20,50,100、500、1,000BTまで5種類ある)を渡した。「エーッナンデー」・・強烈なカルチャー・ショックを受けてしまった。その後、いろいろ考えたが、「物乞い」は一つの職業であり、芸なんだろうと思う。アメリカでは、「物乞いの行為は表現の自由」という判決があるという。なにかと考えさせられた旅行であった。

 さいごに
  ツアーと自由旅行の違い
 ここまで読んでこられたら、違いは良く判っていただけてると思うが、蛇足を述べる。
 ツアーでは、宿泊・食事・観光が全てにおいて用意されているので、その心配がない。反面、その計画された日程からはずれる事ができないといえる。自分勝手な行動はできない。私達二人は、その事が窮屈であり、退屈に感じる。ただ、ツアーでも皆無とは言えないが突発的な事故の危険は常に注意しておく必要がある。
 また、ツアーの方が安いという場合もあり、どちらがいいかはその時々の判断になる。ツアー旅行で経験できること以上に自由旅行では色々な楽しい体験を味合う事が沢山あると思う。
 お読み頂いた皆様に、一服の笑い薬となったならば幸いです。

 


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