Phase <Crimson Dark>






 丘の上。
 夜空を見上げるには絶好の場所なのだが、彼と彼女が見ていたのは夜空ではなく、街。
「この街、なのか・・・?」
「ええ」
 側に立つ彼の問い掛けに、彼女は座ったままで短く答えた。
「間違いない。
 あいつは――ここに、いるわ」
 視線は街を何かを探すかの様に動く。
 彼女は感じていた。
 この街に潜む存在を。
 彼はそんな彼女にミネラルウォーターのペットボトルを放り、何かに納得したかの様に呟いた。
「君を呪った奴が、まさかここにいるとはね・・・。
 でもこうか。もしもあの話が本当にあったことなら――
 確かに、この街にそいつは封じられているんだろうな」
 彼のその言葉に、彼女は驚いた様な表情。
 つい立ち上がり、彼の襟元を掴んだ。 
「この街、知ってるの?」
 不安そうな、しかし激しさを秘めた彼女の声に、彼は言葉を続けた。
「ああ」
 懐かしそうに。
「俺が――生まれ育った街だ」
 思い出す。
 高校の頃――とは言っても半年も経ってはいないが――よく通った喫茶店。
 猫の方が人よりも多い、ってのがままあった店。
 何故か賑やかな、彼の従兄が店長の花屋。
 そして、彼の父親の実家。
 そこそこの歴史を持つ神社。
 その、奥にある要石。
 幾重もの封印の中、明らかな瘴気を放つそれ。
 今、解った。
 あの場所に、何が封印されているのか。
「そして多分。あの場所に封じられている存在。そいつが――」
 予感は、確信に変わった。
「多分、俺と、君の敵だ」
 と――気配。
 禍々しい気配を背後に感じた。
 悪意が塗り込められた、血の色が微かに混ざった黒。
 そんな色の気配を。
「来る、な」
「・・・うん」
 背後から迫る気配に彼は呟き、彼女は怯えた。
「・・・早めに片付けて、街で休もう」
「うん・・・」
 彼の言葉に、彼女は呟いて。
 彼の首筋に、唇を這わせた。
 ――涙ぐみながら。
「お願い――」
 唇を離しながら。
「―――護って」
 呟く。
 そして彼は頷き――振り向いた。
 すると、そこにいた。
『KRRRRRRRWWWWYYYAAAAAAAHHHHH!』
 その声は、悪夢を呼び起こす響き。
 その姿は、喩えるなら人の頭を持った蝉の幼虫。
 ただ胴体の部分が異常に長く、無数の脚を持っている。
 そう、そこに在るのは悪意の具現。
「もうそろそろこの馬鹿げた呪いも終わりなんだ。
 いい加減俺たちのことは放っておいてくれないか?」
 うんざりした様な彼の言葉にも、
『KYYYAHAHAHAHAHAHA!おめぇよぉ、馬鹿言ってんじゃねぇよ!あの女のでっけぇ魔力、誤魔化せるつもりだったのか?もし俺があの女を喰らえば・・・
 俺様は<緋ノ皇>よりも強くなれるんだろうな?それなのに喰わない手は無いだろうがよOOOOOOOHHHHAAAAA!』
 悪意は変わらない。
 ただ、彼女を好色そうな目で見つめて。
 舌なめずりの後、笑いながら声を出した。
『愉しんだ後、ゆっくりゆぅぅぅっくり喰ってやるからよHOHOHOHOHOHO!』
 その眼差しに、彼女は怯え、彼の背後に隠れた。
 そんな彼女を見て、その存在――<禍魂>は嗤った。
 嬉しそうに。
 愉しそうに。
『そんなに怯えなくてもよぉ、俺様は優し』
                        「煩いよお前」
 声を断ち切ったのは、彼の放った一閃。
 その<禍魂>には解ったのは――
『GYYYYAAAAAAAAAAA!』
 左腕――シオマネキのハサミのように、右腕の巨大さとはアンバランスな小ささのそれを打ち砕かれたこと。
「・・・割としぶといな」
 苛立たしげな彼が纏うのは、深紅の闇。
 その深紅は<禍魂>を包む緋色とは異なり、どこか近寄りがたい荘厳さを秘めていた。
<ただの人間>に、<禍魂>である自分が気後れした――
 その事実に苛立って<禍魂>は残された右の腕で彼を砕こうとしたのだが。
『てめぇ、人間のくせに俺さ』
                「黙れよ」
 一撃。
 そのたった一撃が、その<マガモノ>の存在を呆気なく終わらせた。
 後に残されたのは、緋色の澱み。
 それこそが<禍魂>の存在の残滓、<詛流>。
 流れる風にも散る気配を見せない<詛流>の澱みに、彼と彼女は溜息を吐いた。
 朝になれば、<詛流>の澱みは消えるだろうが――
 それまでに生命あるものがこの<詛流>の澱みの側で息絶えたなら、新たな<禍魂>を産んでしまうだろう。
 もしくは別の<禍魂>がこの<詛流>を見つけ、喰らったならその<禍魂>は更なる力を得てしまうだろう。
 だから彼は<詛流>をその深紅の闇で討ち払い、彼女は討ち払われた<詛流>を取り込んだ。
 そしてようやく消え去った<詛流>に安心して、小さな吐息を付いて――彼は微笑んだ。
「行こう」
 その彼の首筋に、彼女は再び唇を這わせ――
 離れて。
「ごめんね・・・」
 小さな。
 ほんの小さな。
 彼に聞こえないほどの小さな呟き。
 その声が聞こえたわけではないだろう。
 しかし、彼は背を向けたまま、
                  「気にしないで」
                           呟き、彼女は無言で頷いて――
 二人は街に向けて歩き出した。





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