『奇跡調律』





「!」
 紅い空。
「――!」
 紅い雪。
「――――――――――!」
 紅く染まる少女。
 それを少年の目が認めた瞬間。
 消えた。
 消えていった。
 全ての奇跡が。
「――――――――――――――――――――!」
 少年の声にならない叫びが響き、この街を支える力。
 奇跡が、消えた。
 ただひとつの奇跡以外の全てがその瞬間、消えていた。
 そして少年が気を失うと同時に――奇跡は再起動した。
 何事もなかったかのように。
 そして。
 少年が目を覚ましたとき、彼は従兄弟の家にいた。
 記憶と引き替えに偽りの平穏を得て。
 そして、
『護れなかった』
 という、終わらない後悔を少年の心に刻みつけて。
 その明くる日、少年は街から去り――





 そして、7年の時が流れた。











overture





 唱、と風が吹いた。
 雪は絶え間なく降り続けていた。
 空は白。
 大地も白。
 白一色の世界。
 全てが白い世界で、白く染まった少年は呟いた。
「寒い・・・」
 時計台を見上げる。
 時間は3時。
 約束の時間から2時間過ぎている。
 待ち人は未だ来たらず、ただ時間のみが過ぎていく。
「全く・・・」
 いくらasuraを身に着けているとは言え、限界がある。
 asuraはあくまでも補助的なものだからだ。
 空を見上げれば、白い欠片は絶え間なく降り続いている。
「本当に来ちまったんだな・・・」
 誰に言うともなく呟く。
 理由の解らない焦燥感。
 理由の解らない痛み。
 それらを少年は感じていた。
「俺はこの街を忌んでいるのか・・・?」
 違う、と声にはせずに呟く。
 ただ、思い出せないだけだ。
 思い出せない?
 何を?
 そして気付いた。
 記憶の空白。
 7年前のこの街での記憶がすっぽりと抜け落ちている。
 それにようやく気付いた。
「何故だ・・・?」
 つい先ほどまでは気付きもしなかった。
 自分の記憶が抜け落ちている、ということに。
「何故だ・・・?」
 空は答えはしない。
 視線を空から地面に移す。
 白い、大地に。
 不意に、激痛。
 頭を突き刺すような、痛み。
「!」
 浮かび上がる光景。
 麦畑で立ちつくす少女。
 丘で遊んだ異族の少女。
 紅く染まる雪。
 振り払われた手。
 落ちて砕ける雪うさぎ。




『約束、だよ・・・』




「何だ・・・?」
 確かなことは一つ。
 失ったことにさえ気付かずにいた記憶の断片――それが甦ろうとしている。
「俺は・・・」
 呟きかけて気付く。
 人の気配。
 見上げれば、同年代の少女が居た。
 神術師なのだろう。
 携えた巨杖が妙に不釣り合いだ。
 しかしこれだけの神具を持っているのだ。
 それ相応の実力があるに違いない。
 そう結論づけた少年を少女は心配そうに覗き込み、その唇から言葉を紡いだ。
「雪、積もってるよ」
「2時間も待っているからな」
 頭を動かすと雪がはらはらと落ちる。
「酷い話だね」
 振り払われ、落ちた雪を見ながら少女が呟いた。
「ああ・・・」
 答えながらも少年は妙なことに気付いた。
 少女には雪は全く積もっていなかった。
 いや、雪の中歩いてきた形跡が無い。
 少女の髪には雪の一欠片さえも付いていないのだ。
(神術か?)
 疑問を抱く少年に少女は、
「ところで、誰を待っているの?」
 と訊きながら、隣に座った。
「従姉妹だ」
「わ、偶然。わたしも従兄弟を待ってるんだ」
 びっくりした、と言いながら口調はあまりびっくりしていない。
「それで、あなたを待たせている従姉妹って、何て言う名前?」
「水瀬名雪だ」
「わ、びっくり。わたしと同じ名前だよ〜。同姓同名の人っているんだね」
「で、君が待っている従兄弟の名前は?」
「うん、相沢祐一って言うの」
「偶然だな。俺も相沢祐一って言うんだ」
「へ〜凄い偶然だね〜」
 二人、しばし沈黙。
「お前、名雪か?」
「ひょっとして、祐一?」
 今度こそ驚いたような口調。
 しかし、何故か納得したような表情だ。
「時間通りだと思ったんだけど・・・あれ?」
 手元を覗き込み、あはは、と笑う。
 何事か、と思いつつ祐一も名雪の手元を覗き込む。
「お前、腕時計止まってるじゃないか・・・」
「失敗だよ〜」
「失敗で済むか!」
 勢い良く起き上がる。
 と同時に雪が落ちていく。
「凄い雪・・・」
「誰のせいだ!」
 言いながらも、祐一の口調はあまり怒ってはいなかった。
「ごめん、わたしのせいだね」
「・・・いや、いい」
 それを聞いて安心したのか、名雪は立ち上がって祐一に微笑み、
「とりあえず、おかえり・・・祐一」
 そう言いながら名雪は祐一に手を差し出した。
 祐一は少し照れながらもその手を握りしめた。
「ああ。ただいま」
 その瞬間。
「名雪」
 名雪の髪を、雪が彩った。





 雪が降っていた。



 思い出の中を、真っ白い雪が埋め尽くしていた。



 数年ぶりに訪れた白く霞む街で、



 今も降り続ける雪の中で。



 俺は一人の少女と出会った。








神授都市−KANON−





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