『奇跡前奏曲』





「どこだ・・・ここは」
 目覚めた場所は見覚えのない部屋だった。
 ――祐一・心理技能・発動・記憶再生・成功。
「そうか・・・俺は・・・」
 昨日、名雪と再会してからのことを思い出す。


『おかえりなさい』
 いらっしゃいではなく、そう言って迎えてくれた叔母。
 おかえりなさいを言うためだけに先に家に入っていった従姉妹。
 そして、温かい食事。
「御山では食べられない味だったよな」
 誰に言うともなく、呟く。
 カーテンを開けて外を見れば雪。
「ぐあ、また積もってる」
 もはや諦めの境地に近い。
「明日には新しい学校か・・・」
 どうなるやら、と溜息をつきつつ起きあがる。
 と同時に部屋のすぐ外を駆け回る音。
「う〜困ったよ〜」
「何なんだ一体」
 呟きつつ、祐一はドアを開ける。
 快音。
「あ」
「痛いお〜痛いお〜」
 廊下を転がる音と従姉妹の声。
 どうやらドアに激突したらしい。
「名雪、すまん」
「すまんじゃないよ〜酷いよ〜」
「わざとやったわけじゃないぞ」
「う〜」
 祐一は唸っている従姉妹に苦笑。
「悪かった」
「もう、仕方ないなぁ、祐一は」
 頭をさすりつつ、名雪は苦笑。
 それに安堵しつつ、祐一は疑問を口にした。
「で、困ったって・・・何がだ?」
「あ、そうだよ。制服が無いんだよ」
「制服って・・・あの
「うん」
 ――祐一・心理技能・発動・記憶再生・成功。
「あれだったら確か、秋子さんが洗濯してたぞ」
「え?」
 階段を下りる音。
 そして、また駆け上がる音。
「あったよ」
「・・・まだ濡れてるんじゃないか?」
 その制服は明らかに濡れている。
 祐一の疑問ももっともだったが、名雪は一言。 
「大丈夫だよ。滅神を限定発動すれば問題ないよ」
 そして自分の部屋に入る。
「限定発動?」
 神器の限定発動だろうか。
 それも、対象を水分のみとした。
 そのような神器があったか?
 また、そんな技能があったろうか?
 疑問は加速する。
 加速する疑問は反響し、心の奥底にあった記憶をこじ開けようとする。
 幻痛。
「またかよ!」
 ともすれば自分の意識を奪おうとする記憶の奔流を制御する。
 ――祐一・心理技能・発動・記憶制御・失敗!
 記憶の制御は失敗。
 記憶の銀幕にある光景が浮かんだ。
 大樹。
 その上に座る匪天の少女。
 麦畑。
 そこに立ちつくす切れ長の眼の少女。
 街を見下ろす丘。
 そこで遊んだ異族の少女。
 駅前。
 雪うさぎを差し出す従姉妹の少女。
 それらの記憶が吹き上がり、荒れ狂う。
 ――祐一・心理技能・発動・衝動抑制・成功。
「・・・・・・」
「祐一、祐一!」
「名雪か」
「名雪か、じゃないよっ!呼んでも反応しないし、心配したんだよ」
「そっか。心配かけたな。すまない」
「あんな思いはもうたくさんだよ・・・」
 見れば制服に着替えた名雪がそこにいた。
 制服は乾いている。
(何をしたんだ?)
 疑問が生じた。
 しかし、名雪は忙しそうにしている。
「・・・間に合うのか?」
 名雪はうーん、と唸った後、
「100mを5秒で走れば間に合うよ」
「御山に行け」
 祐一の答えにあはは、と笑いながら、名雪。
「うーん、遠慮しとくよ」
 そして、駆け出す。
 のを祐一は呼び止めた。
「あ、名雪」
「何?」
「悪いけど、今日の用事が終わったら街を案内してくれるか?」
 祐一の申し出に、名雪は嬉しそうに答えた。
「うん。いいよ、祐一」
 そして今度こそ階下に消えていった。
「さて、俺も降りるか」
 階段を下り、食堂へ。
「おはようございます、祐一さん」
「あ、おはようございます。秋子さん」
 なんと言うことはない挨拶を交わす。
「祐一さんは今日はどうなさいますか?」
「あ、名雪が帰ってきてからは街の案内をしてもらおうと思ってます」
 そうですか、と笑いながら秋子はコーヒーを出してきた。
「・・・絶妙のタイミングですね。まるで俺が降りてくるのが解っていたみたいだ」
 驚きながら祐一が問えば、
「分かってましたよ」
 穏やかな笑みを浮かべて秋子が答える。
「朝ご飯、どうしますか?」
「あ。パンを2枚下さい」
「はい」
 差し出されたのは程良く焼けたトーストが2枚。
 これも分かっていなければ出来ないことだ。
「凄いですね・・・枚数までぴったりですか」
 秋子はただ微笑っているだけだ。
(深く訊くのは止めておこう)
「祐一さん、パンには何を付けますか?」
 どことなく嬉しそうに、秋子が訊ねた。
「あ、俺甘いのちょっと苦手なんで、バターを」
 その答えを聞いた瞬間、秋子は我が意を得たりとばかりに微笑った。
「甘くないジャムもありますよ」
 差し出されたのは、オレンジ色のジャム。
「ありがとうございます」
 素直に礼を言い、パンに塗る。
 そして一口。
「な、なんて言うか・・・独創的な味ですね」
 祐一は何とかそれだけを口にし、コーヒーを飲んだ。
「まだ沢山あるんですよ」
 と本当に嬉しそうな秋子。
「すみません。ちょっと疲れてるんで、寝ます・・・」
 祐一は引きつりながら辞去し、ふらふらと階段を上がっていった。
「あらあら」
 少しばかり残念そうな声が聞こえたが、祐一はあえて聞こえない振りをした。
 そして自分の部屋に辿り着き、ベッドに倒れ込み――
 目を覚ますと既に着替えた名雪が顔をのぞき込んでいた。
 時計を見れば3時だ。
「う・・・6時間以上も寝てたのか・・・」
「祐一、寝てるなんて酷いよ」
「言うな。俺もあのジャムさえ喰わなきゃなぁ・・・」
 名雪は怒っていたが、祐一のその台詞を耳にした途端、哀れむ様な顔になった。
「祐一・・・あれ、食べたの?」
「食べたぞ」
「なら、仕方ないよ・・・」
 はぁ、と溜息をつく二人。
「まぁ、寝たら体力も戻ったし・・・行くか」
「うん!」
 嬉しそうな名雪と連れだって階段を下りる。
「じゃぁ、行って来ます」
「行って来ます」
 声をかける。と、
「あ、名雪、祐一さん。すみませんが、夕食の材料、買ってきてもらえます?」
 と呼び止められた。
「祐一?」
「うーん、どっちにせよ今日はあまり回れそうもないし。いいですよ」
「そうだね」
 そう言いつつ買い物メモを受け取り、扉を開け、外に出る。
 ――祐一・心理技能・発動・自己抑制・失敗。
「寒い。帰る」
「駄目だよ祐一、まだ3歩しか歩いてないよ!」
「寒いもんは寒いんだ!だいたい・・・」
 ASURAを着込んでるのに、と続けかけて言葉を止める。
「悪い。ちょっと着替えてくる」
 と言い残し、自分の部屋へ。
「道理で寒いと思った・・・」
 ぼやきながらASURAを着込んでいく。
 上着を纏い、コートを羽織る。
「さて、と」
 手甲をはめ、準備完了。
「待たせたな、名雪」
「待ったよ」
 にこ、と笑って歩き出す。
「で、ここが商店街。美味しい喫茶店とかもあるんだよ」
「ふむ」
「やっぱりお奨めは百花屋のイチゴサンデーかな?」
「ああ、そーいや名雪はイチゴ好きだったな」
「うん!」
 と嬉しそうに頷き、
「あ、祐一思い出したんだ」
「何をだ?」
「私がイチゴが好きだって事」
「ああ。そう言えば・・・そうだな」
 頭痛の度に記憶の封印が解けていっている。
 この街に来たからだろうか、と祐一は難しい顔になった。
「どうしたの、祐一?」
 顔をのぞき込む、心配そうな顔の名雪。
「いや・・・何でもない。それより買い物、するんだろ?」
 祐一は頭を振り、痛みを追いやった。
 心配そうな顔をしながらもうん、と名雪は頷き、祐一の額に手をやった。
「熱はないみたいだね」
「あってたまるか」
 祐一は苦笑。
 その様子に安心したのか、名雪は祐一から離れた。
「じゃぁ、ちょっと待っててね、祐一」
「ああ、行って来い」
 祐一は手を振って行ってらっしゃい、という仕草。
「どこか行ったら嫌だよ?」
 名雪はそう言い残し、商店街に消えていった。
「そして俺は残されて、か」
 呟き。
 その呟きと共に口から漏れた吐息の白が解ける。
「・・・どれくらい待てばいいんだ?」
 と。
 ――祐一・心理技能・自動発動・気配察知・成功。
「うぐぅ、どいて〜!」
 何かが飛んでくる気配。
 ――祐一・体術/腕術/脚術技能・重複発動・迎撃・成功!
 拳を振り抜きかけ、停止。
 匪天の少女が凄い勢いで飛んでいた。
 発動しかけていた技能を強制解除。
 少女を回避。しようとしたが、
 ――祐一・回避技能・発動・回避・失敗!
 激突。
 そして匪天の少女は地面に落ちた。
 祐一は眼に微かに涙を滲ませてはいるが、微動だにしていない。
(6枚羽根・・・熾天か)
 比較的冷静に観察している祐一に少女が起きあがり、抗議。
「どいて、って言ったのに〜!」
「いきなり飛んできてどういう了見だコラ!」
「うぐぅ、そんなこと言ったって・・・」
 そして少女は気付く。
 人混みを駆け抜けてくる、影に。
「話は後だよ!」
 少女は祐一に手を伸ばしつつ、神典を発動させようとした。

<あゆ:神域・展開/久遠・起動/典詞・詠唱開始>

 少女が手にした槍が震え、涼、と神曲を奏でる。
 少女は神曲に乗せ、典詞を口ずさんだ。

[望んだのは空翔る翼
   願ったのは暖かい光
  希望と夢の翼広げて
    今飛び立つのは蒼穹の世界]

<あゆ:交神・飛神>

「行くよ!」
「なんで俺まで!」
 そして祐一の手を掴み、空に駆け上がろうとして――墜落。
「うぐぅ、何でぇ?」
「俺が知るか」
「と、とにかく逃げるよ!」
 少女は祐一の手を掴み、疾走開始。
「だからなんで俺まで!」
 文句を言いながら祐一も疾走。
 しかし必死で走っているであろう少女は祐一にしてみればかなり遅い。
「・・・よくわからんが捕まらない方が良さそうだな」
 呟く。そして。
 ――祐一・腕術技能・発動・抱え込み・成功。
 祐一は少女を抱えた。
「え?」
「舌噛むなよ!」
 ――祐一・体術/脚術技能・重複発動・疾駆・成功!
 早い。
 影を見る間に引き離す。
 右に曲がり、直進。左折。
 さらに疾走し、街路樹が続く道に辿り着く。
「ここまで来たら一安心だろう」
 安堵の息を漏らす祐一に、抗議の声。
 小脇に抱えた少女だ。
「うぐぅ〜」
「おお、すまん」
 抱えていた少女を落とす。
「うぐぅ〜酷いよ〜!何するんだよ〜!」
「おお、転がる転がる」
「転がるじゃないよっ!」
「何だ、元気じゃないか」
 起きあがった少女を見やりながら、祐一は疑問を口にした。
「で、なんで逃げてたんだ?」
「おなかが、すいてたんだよ・・・」
「?」
「美味しい鯛焼き屋さんがあって、頼んだんだけど、ボクお財布忘れてて・・・」
「鯛焼きを受け取って逃げた、と?」
「うん」
「・・・・・・食い逃げじゃねぇかっ!」
「うぐぅ、後でお金払うもん!」
 そう言いながら少女は鯛焼きを袋から取り出し、一口。
「喰うなっ!」
「でもでも、美味しいんだよ〜!」
 はぁ、と溜息。
「後でちゃんと払えよ・・・」
 祐一は諦めの境地にあった。
「キミも食べる?」
 はい、と差し出される鯛焼き。
「・・・喰う」
 ほい、と受け取りながら一口。
「美味いな」
「美味しいね」
 笑いあった。
 そして気付く。
「あ」
「どうしたの?」
「昔、こんな風に誰かと鯛焼きを食べたな、と思って」
「偶然だね。ボクもだよ」
 あはは、と笑うその顔に祐一は既視感を覚えた。
 それは少女も同様だったらしい。
 少女が口を開き、言葉を紡いだ。
「名前、訊いてもいい?」
「相沢・祐一だ」
「あいざわ・・・ゆういち?」
 怪訝そうな顔。
「おう。相沢・祐一だぞ」
「祐一くんだぁ・・・」
 少女は目に涙を滲ませている。
 その涙が記憶の引き金を引いた。
「おまえ・・・ひょっとして・・・?」
「うん!あゆだよっ!」
 記憶を喚起。
 記憶の奔流が表面化した。
 微かな頭痛に耐え、その言葉を口にする。
「おまえ、あゆあゆか!」
「うぐぅ、あゆあゆじゃないもん!月宮・あゆだもん!」
「でも字名はあゆあゆ・・・」
「うぐぅ、酷いよぉ!」
「冗談だ。でも、久しぶりだな」
 笑ってみる。
 あゆは感極まったのか、祐一に抱きついていった。
「祐一くん!」
 ――祐一・回避技能・自動発動・回避・成功!
 鈍い音を立ててあゆは祐一の背後の木に衝突した。
 枝に積もった雪が音を立てて地面に落ちる。
「きゃ・・・!」
「避けた〜!祐一くんが避けた〜!」
「槍持って突撃されたら誰だって避けるわい!」
「あ」
「あ、じゃねぇっ!」
 とりあえず頭に一撃。
「それよりも、だ」
 雪が落ちた方向を見やる。
「大丈夫か?」
 雪の白を纏った小柄な少女がそこにいた。
「悪かったな。文句はこいつに言ってくれ」
 あゆの首根っこを掴んで差し出す祐一。
 ぷらんとぶら下がり、まるで猫の様だ。
「うぐぅ、酷いよぉ!」
 抗議し、じたばたともがくあゆ。
 その光景に少女は眼をぱちくりさせ、笑った。
「ほら見ろ、笑われたじゃないか」
「うぐぅ、ボクのせいじゃ無いもん!それより降ろしてよぉ!」
「おお、すまん」
 手を放す。
 あゆは落下。
「酷いよぉ!酷いよぉ!」
「放せって言ったのはあゆじゃないか。何を怒っているんだ?」
「放して、なんて言ってないもん!」
 祐一は記憶を辿った。
「おお、確かに!」
「うぐぅ〜」
 少女は更に笑っている。
 苦しそうだ。
 とりあえず祐一は手を差し出した。
「・・・悪かったな。立てるか?」
 ええ、と少女は答え、祐一の手を取った。
 冷たい手だ。
 瞳が、紅い。
(吸血系鬼族、か)
 はたと気付く。
「本当に大丈夫か?」
 日はまだ高い。
「お前、吸血系鬼族だろ?」
 祐一の問いに少女は微笑。
「だからと言ってみんながみんなお日様に弱いわけじゃありませんよ」
 そう言えばそうだ。
 本当に拙いのならば、焚滅していてもおかしくない。
「私の場合、ただ単に夜にならないと体が本調子にならないだけです」
 お姉ちゃんは昼だろうと夜だろうとあまり変わりませんけどね、と言葉を続ける。
「でも、体の調子が良くないのは事実だろ?本当に悪かったな」
 祐一は頭を下げた。
「あ、そんなに謝らなくでも大丈夫ですよ」
 ぱたぱた、と手を振る少女。
 その足下にはカップアイスクリームが散乱していた。
「とにかく、拾おう。ほら、あゆも手伝え」
「う・・・うん!」
 しかし、と祐一は悩んだ。
「アイスクリーム、しかもバニラばかり・・・見たところ10人分か・・・」
「いえ、全部私のですよ」
「そうかってなんで俺の考えてることが解ったんだ?」
 不思議そうな顔に祐一に、少女が楽しそうに笑って答えて言うには、
「口に出てましたよ」
「ぐあ・・・」
 呻きつつ、転がっていた全てのアイスクリームを回収。
 少女に手渡し、祐一とあゆは見送った。
「俺たちも帰るか」
「うん」
「・・・帰ろうぜ」
「うん」
「おい、まさか」
「うん、ボク、ここがどこか知らないよ」
「しれっと怖ろしいこと言ってんじゃねぇっ!」
「でも知らないものはどうしようもないじゃない!」
「ぐあ、さっきの女の子は・・・」
 ――祐一・探索技能・発動・探索・成功!
「いた!」
 疾走。
 少女を呼び止める。
「どうかしましたか?」
「すまない。商店街、どっちか教えてくれ」
「はい?」
 あゆが飛んできて、着地。
 その途方に暮れた二人の顔を少女は暫しじっと見て・・・
 爆笑した。
「あ、なにげに失礼だな」
「す、すみません・・・」
 よほど可笑しかったらしい。
 涙をこぼしながら少女は謝った。
「商店街でしたら、あちらの方です」
 詳しい道順を聞き、再び別れた。
「じゃぁ、今度こそ帰るか」
 疲れた様に祐一が言えば、
「うん、帰ろう!」
 疲れを微塵も見せずあゆが答える。
 しばらく無言で歩く。
 あゆは不意に立ち止まり、祐一に問いかけた。
「祐一、くん?」
「なんだ、あゆ」
 立ち止まり、振り返った祐一にあゆは言葉を続けた。
「夢じゃ、無いよね?」
「夢であってたまるか」
 ぶっきらぼうに、祐一。
 しかしその声の響きはどこか優しかった。
「うん、ありがと。ボク、ちょっと不安になっちゃって」
「アホかお前は」
 あゆの頭を撫でながら、祐一は言葉を続けた。
 うぐぅ、と言っているが祐一は無視。
「いや、アホだなお前は。大体だ。7年ぶりに会った人間に槍持って突撃する奴がどこにいる?」
「うぐぅ、それは仕方ないんだよ。だって嬉しかったんだもん!」
「とにかく、だ。頼むから槍持って突撃は止めてくれ」
「でもでも、怪我してもボクが治してあげるよ!」
「あゆは風水師か」
「うん!」
 何が嬉しいのかあゆはにっこりと笑った。
 背中で羽が揺れている。
「・・・遠慮しとく」
「ええ〜!なんで〜!」
 羽根が風を送ってくる。
 怒っている様だ。
「気にするな。まぁ、いよいよって時は頼むけどな」
 そう言えば、あゆの羽根が嬉しそうに揺れた。
「わかりやすい奴・・・」
「何?祐一くん?」
「何でもない。じゃぁ、またな」
「うん!祐一くん、また会おうね!約束、だよ!」
「ああ。約束だ」
 紅い夕日の中、匪天の少女が翼を広げ、飛び立っていく。
 紅い光景。
 紅い羽根。
 紅く染まった世界。
 頭が酷く痛んだ。
 街路樹に寄りかかる。
 フラッシュバック。
 消える街の灯り。
 叫び。
 紅く染まる大地。
 見上げた大樹。
 落ちてくる、小さな影。
「くそ、何だってんだ・・・!」
 じっとりとした、嫌な汗が流れた。
「俺は・・・俺の記憶は・・・」
 ――祐一・心理技能・発動・自己抑制・成功。
 深呼吸。
 一回。
 二回。
 三回。
 繰り返しているうちに、気分も落ち着いてきた。
 気分が落ち着くと同時に、思い出す。
「あ。名雪のこと、忘れていた」
 ――祐一・脚術技能・発動・疾走・成功。
 走る。
 雪の上を危なげもなく。
 やがてたどり着く商店街。
 その入り口で。
「うそつき・・・」
 名雪がふくれっ面で待っていた。

 その後、祐一は名雪に
「酷いよ」
 とか、
「極悪人だよ」
 などと文句を言われながら水瀬家まで帰っていった。
 家に辿り着き、夕食を食べた後には名雪は上機嫌になっていたが、それは祐一にイチゴサンデーをおごらせる約束をさせたためであった。
「俺のせいじゃないのになぁ」
 ごちる祐一を気にもせず、嬉しそうな名雪。
「イチゴサンデー♪イチゴサンデー♪」
 自作の歌まで歌っている。
「じゃぁ、明日学校が終わってからだよ!」
「ああ、明日から学校か。早く起きなきゃな・・・」
 と祐一は頷き、気付いた。
「ああっ!俺、目覚ましがないぞ!」
「じゃぁわたしのを一つ貸してあげるよ」
 嬉しそうに、名雪が自分の部屋に入り、出てきた。
「ああ、ありがとうってそれ全部目覚まし時計か?」
 差し出されたのは目覚まし時計。
 しかしその台数が尋常ではなかった。
 ざっと見ただけでも10台以上有る。
「それで、全部・・・だよな?」
「ううん。部屋にはもっとあるよ」
 何が嬉しいのかにへへ、と笑う名雪。
 あまつさえ、
「なんならこれ全部、貸そうか?」
 などとのたまう従姉妹に祐一はただ頭を抱えるしかなかった。
 しかし、何とか言葉を口にする。
「・・・一つでいい」
「じゃぁお奨めのを一つ貸してあげるね!」
 名雪はまたもや嬉しそうに部屋に戻り、すぐさま出てきた。
「はい、これ。わたしのお気に入りなんだよ」
 差し出されたのは、白い、少し大きめの目覚まし時計。
 祐一はとりあえず受け取った。
「さんきゅ」
 と言う礼とともに。
 名雪はまた嬉しそうに笑うと、お休みなさいと言って部屋に戻った。
「・・・まだ9時だぞ」
 呟く祐一。しかし、
「今日は色々あり過ぎたからな・・・俺も・・・眠い・・・」
 名雪の目覚ましを片手に自分の部屋へ。
 そして目覚ましをセットし、祐一は眠りについた。
 静かに。引きずり込まれるように。
 あるいは、飛び立つように。





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