『奇跡追走曲』movement 01





『朝〜朝だよ〜 朝ご飯食べて学校行くよ〜』
「うわ!」
 耳元から聞こえてくる従姉妹の声に驚いて祐一は飛び起きた。
「名雪か?」
『朝〜朝だよ〜 朝ご飯食べて学校行くよ〜』
 その声の出所に気付き、しばし呆然。
「・・・これか」
 その声の出所は目覚まし時計だった。
『朝〜朝だよ〜 朝ご』
「てい」
 チョップを一発。
 黙り込む目覚まし時計を満足そうに見やりつつ、祐一は着替えた。
「とりあえず、ASURAは着込んどかないとなぁ」
 総長連合の不可侵地域。
 そのうえ『大人たち』も無闇に手出し出来ないこの街で、用心に用心を重ねるのは悪いことではない。
「おし!」
 気合いを入れるため頬を叩こうとする・・・と、鳴動。
 轟、と響く音は不協和音と化し、祐一の耳を叩いた。
 ――祐一・心理技能・発動・自己抑制・失敗。
「なんだこりゃぁ!」
 音源は隣。
 名雪の部屋だ。
「何考えてんだあいつは!」
 ドアを開け、名雪の部屋をノック。
「名雪!何やってんだ!」
 返事はない。
「名雪!」
 やはり返事はない。
「開けるぞ・・・うおっ!」
 ――祐一・心理技能・発動・衝動抑制・失敗!
「うるせぇっ!」
 鳴動の音源は目覚まし時計。
 一つや二つではない。
 いくつあるのか、目覚まし時計の全てが同時に鳴り響いている。
「名雪!」
「くー」
「気持ちよさそうに寝やがってこの・・・名雪!」
「うるさいお〜わたしは眠いんだお〜」
 名雪は寝ぼけたままでベッドの脇に立てかけてあった巨杖を手にした。
「何をする気だこいつは?」
 祐一の疑問に答える様に、神具から璃、という音。
 音は反響し、神曲となる。
 その調べに乗り、半ば寝ぼけた名雪の典詞が響いた。

<名雪:神域・展開/睡蓮・起動/典詞・詠唱開始>

[暖かな夢 過去の記憶
   穏やかなとき 安らぎの中
  憂いも痛みも全て癒して
    明日のための眠りに誘う]

<名雪:交神・夢神>

「何言ってやがる!早く起きろ名雪!」
 言いながら祐一は名雪の頭を叩いた。
「うにゅ」
「うにゅ、じゃねぇ!」
 もう一度叩く。思い切り。
 快音が部屋に響いた。
「うむ、いい音だ」
「うー、痛いお〜酷いお〜」
 名雪は転がりながら抗議しかけて、気付いた。
 自分を起こしたのが誰か、という事に。
 驚愕が眠気を上回り、名雪は飛び起きた。
「あれ?あたし、神典発動してたのに、祐一起きてる」
「?訳のわからん事言ってないでさっさと着替えろ。遅刻するぞ」
「うー、解ったよ」
 そう言いながらも名雪は訝しそうな顔をしている。
「とにかく、俺は先に降りてるから」
 軽快な音を響かせながら、階段を降りる。
 朝食の準備はもう整っていた。
「おはようございます、秋子さん」
 朝の挨拶。
 何のことはない、普通の挨拶のはずだった。
「祐一さん、おはようございます」
「秋子さん・・・名雪っていつもああなんですか?」
 祐一がこの台詞を言うまでは。
「はい?」
 訝しげな顔になる。
「なんだか訳の分からないこと行って寝ぼけてましたけど。何で起きてるの、とか」
「え・・・?」
「まぁ、起きましたけどね」
「やはり何ともなかった様ですね」
 その表情は納得。
「?何がですか?」
「あの子の神域に触れたのに、祐一さんは眠らなかった。そう言うことです」
「・・・神域?」
 訝しげな顔をしていた祐一に、秋子は掻い摘んでこの街のことを説明した。
 この街は『神授都市』と呼ばれていること。
 この街の住人は誰もが神典という力を持っていること。
 神典とは任意の空間の遺伝詞を書き換える力である、ということ。
 神典も万能ではなく、効果と範囲は限定されていること。
 また、各個人によって扱える神典は異なること。
 神典の発動には典詞という詞と奏神具という神具が必要なこと。
 神典の効果範囲は神典領域−神域と呼ばれ、神域に入った者は神典の効果からは逃れられないこと。
「つまり、名雪の神典−夢神の効果範囲内に入ったのなら、今頃祐一さんは眠っているはずなのですが、実際には眠っていない」
 そこまで言われて気付く。
 昨日の、あゆ。
 その不思議そうな顔。
「要するに、です。今の祐一さんの神典の効果は――神典の無効化なんです」
「でも、俺は・・・」
 この街の住人ではない、と言いかけて祐一は止めた。
 今はこの街の住人であることは事実だ。
 ならば・・・この街の住人に特有の力が使えても不思議ではない。
(矛盾の力、か)
 吐息のように呟く。
「祐一さん?」
「いえ。何でもないです。それで、俺の神典、ですか。なんて名前なんですか?」
 そうですねぇ、と呟き、その答えを口にする。
「祐一さんの神典は――破神です」
「破神・・・要するに破壊神、か」
 祐一は苦笑。
「神典を破壊する神典ですから」
 その言葉を残し、秋子は厨房に姿を消した。
 入れ替わる様に名雪が姿を現し、テーブルに付いた。
 祐一は溜息を一つつき、切り出した。
「名雪。朝のことだけどな」
「くー」
「寝てんじゃねぇっ!」
 頭を叩く。
「うわっ!びっくりしたよ!」
「びっくりしたのは俺だ。いつまで寝てんだお前は」
 言いつつ、ほっぺたをつまんで伸ばしてみる。
「おお、よく伸びる」
「ふぃおいお〜、ゆういひ、おふあふあお〜」
「何を言っているのか解らん。ちゃんと話せ」
「へをふぁあひえお〜!」
 言いながら祐一の手をぱしぱしと叩く。
「おお、忘れてた」
「忘れないでよ〜!酷いよ〜!」
「気にするな」
「気にするよー!」
 ひとしきり怒った後、
「イチゴサンデー追加」
 と拗ねた顔で言えば、祐一は
「却下。いつまでも寝てるお前が悪い」
 とすげない。
「う〜」
 と名雪は不満そうだったが、諦めたのかパンにイチゴジャムを塗って食べ始めた。
「イチゴジャム、美味しいよ〜」
 既に先ほどまでの不満はない。
 祐一は溜息をつくしかなかった。


「じゃぁ、行って来ます」
「行って来ます」
 ドアを開け、飛び出す。
「いってらっしゃい」
 という声に送られて。
 走る。
 ――祐一・脚術技能・発動・疾走・成功。
 ただしペースは名雪に合わせて。
「ったく、なんで転校初日から走らなきゃいけないんだ!」
「なんでだろうねぇ」
 のほほんと、名雪。
「きっぱりとお前のせいだ名雪!ご飯食べたと思ったらまた寝やがって!」
「う、反省してるよ」
「反省したなら行動に反映してくれ。こんなのはごめんだからな!」
 頭が痛そうに祐一。
「がんばるよ」
 名雪はあくまでものほほんとしている。
 祐一はこの先何回もこんな事があるのだろうなぁ、と予想していた。
「しかし名雪・・・早いな」
「わたし、陸上部の部長さんだもん」
 にこ、と笑う名雪。しかし。
「御山修行を積んだかの様な運動能力だ・・・」
 呟く。
 事実、祐一は御山修行を積み、この街に来る前は総長連合の一人として闘ってきた。
 その祐一に付いて走っているのだ。
 祐一が能力をセーブしているにしても、その運動能力は一般の学生を遙かに凌駕している。
「まぁ、ならもうちょっと早く走っても大丈夫そうだな」
 言いつつ、
 ――祐一・体術/脚術技能・重複発動・疾駆・成功!
スピードを上げる。
「わ、早いよ」
 名雪は驚きながらも付いてくる。
(まぁ、秋子さんの子供だもんなぁ)
 と祐一はどこか納得顔だ。
 考えながらも、走る。
 と、名雪が話しかけてきた。
「祐一」
「何だ」
「学校の場所、分かるの?」
「あ・・・名雪。先行ってくれ」
 自分の間抜けさに恥じつつ、位置を変える。
 そして10分も走った頃だろうか。
 建物が見えてきた。
「祐一。ここが、祐一の学校。市立第一だよ」
「・・・でかいな」
「うん!」
 あくまでも、走りながら。
 そして、校門まで10mを切ったところで走るのを止め、歩く。
 祐一も名雪も息は乱れていなかった。
 名雪はあ、と小さく呟くと前にいた女生徒に声をかけた。
「香里、おはよう!」
「名雪・・・?おはよう」
 振り向いた。
 緩やかに波を打った髪。
 ややきつめの眼。
 可愛い、というより美人といったほうが相応しい、整った顔立ちをしていた。
 しかし、やはりただの女生徒ではない。
 近接武術師なのだろうか。
 手に持った大鎌が凶悪だ。
 値踏みする様なその瞳の色は深紅。
 吸血系鬼族の眼だ。
 名雪はとことこと歩み寄り、親しげに声をかけた。
「あ、香里。彼がわたしの従兄弟の」
「知ってるわ」
 返ってきたのは冷たい言葉。
「東京圏守護役、近接格闘師相沢・祐一・・・天狼と呼ばれた貴方がこの街に一体何の用?」
「やれやれ。俺も有名になったものだな」
「茶化さないで。近接格闘師でありながら数多の妖物を屠ってきた東京圏守護役、天狼こと相沢・祐一。危険なのよ。貴方は」
 香里の目が紅く光った。
 ――祐一・心理技能・対抗発動・威圧反射・成功。
「・・・一筋縄じゃ行かないようね」
「香里!」
 名雪の制止を無視して、香里は大鎌を構えた。
「うわ、無茶するなぁ」
 祐一は苦笑。
「この街に降りかかる災いを狩るのがあたしの仕事・・・覚悟、してね」
 振りかざされた刃が一閃。
 ――祐一・回避技能・発動・回避・成功。
 祐一はそのまま、
 ――祐一・体術/脚術技能・重複発動・大跳躍・成功!
 跳ぶ。
 着地したのは学園を取り囲む壁。
 しかしその高さは――5m以上。
「な!」
「一つ言っておく」
 祐一は壁に立ったまま。
「俺がここにいるのは・・・呼ばれたからだ」
「呼ばれた?」
 鎌を構えたまま、香里。
「そう。呼ばれたんだ。秋子さんにな」
 その名前を聞くや、殺気は雲散霧消する。
「なら・・・仕方ないわね」
「解ってくれたか?」
「釈然とはしないけど、ね。あの人が呼んだのなら、少なくともこの街に害を及ぼすためじゃないでしょ?」
 そう言ってはじめて香里は祐一に笑いかけた。
 もう脅威は去った、と判断したのか。
 祐一は壁から飛び降りた。
 ――祐一・体術/脚術技能・重複発動・着地・成功。
 それを認めて、香里は手を差し出す。
「華音圏副長、美坂・香里よ。香里でいいわ」
 祐一はその手を握りながら、
「元東京圏守護役、相沢・祐一だ。祐一でいいぞ」
 と申し出たが香里の返答は素っ気ない。
「遠慮しとくわ」
「あら」
 少しばかり傷ついた様な祐一だったが、名雪の
「・・・予鈴、鳴るよ」
 という僅かに恨みがましい響きのこもった声に我に返った。
「・・・俺、職員室行かなきゃいけなかったんだ」
「・・・間抜けね」
「誰のせいだろうなぁ、香里。いきなり喧嘩売ってきたのは誰だったっけ?」
 にこにこと笑う。
 ――祐一・心理技能・発動・威圧・成功。
「う・・・」
 香里は後ずさることしか出来ない。祐一はにこ、と笑って
「昼食1回。それで手を打とう」
「・・・貴方、本当に元東京圏守護役?」
 呆れながら、香里が言えば
「おう。本当に元東京圏守護役だぞ」
 と祐一は笑う。
「はぁ・・・分かったわよ。昼ご飯1回ね。じゃぁ、またね。・・・名雪。行くわよ」
 そう言いながら香里はまだうーうー言っている名雪を引きずって校舎へと消えていった。
「あ。俺、職員室の場所知らなかった・・・」
 そのことに祐一が気付いたのは、名雪と香里が校舎に消えてからだった。





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