『奇跡幻想曲』movement 06
それは荒れ狂う街の記憶。
そこに見え隠れするのは、この街に暮らす者達の記憶でもある。
それを見て、理解し、憤り、それでも立ち止まることなど考えられない。
これから自分が打ち倒すだろう者達、そして自分を助けるだろう者達の記憶を、祐一は見た。
「・・・十二歳までは生きられないでしょう」
そう、悔しそうに呟く医師の声。
彼女の家族が住み慣れた街を離れ、母の生家たる華音に来たのが六年前。
閉鎖動乱の直後だ。
その目的は、妹の治療。
だが、その願いは砕かれた。
原因は7年前の封鎖動乱。
これにより華音の街には神典のみが残り、技能も神器も無くなった。
彼女の病を治せる可能性があるとすれば、神典と技能と神器の並列起動であった。
それが今や叶わない。
この街の者は外に出ても神典を使わないし、そもそもこの街は閉鎖されたのだ。
外から技能と神器を操る者が入ったとしても、この街に入った途端それらを使うことが出来なくなるのだから意味はない。
せめてもの救いは、神典により病の進行を遅らせ、希望を繋ぐことが出来ると言うことくらいだろう。
感じたのは絶望だった。
ずっと一緒だと思っていた。
ずっと見守ろうと思っていた。
その妹の命の火が、消えようとしている。
忘れようともした。
妹など居ない、最初から居なかった様に振る舞えば心の傷は小さくてすむ、と思いこんで。
――無理だった。
どこかで気にしてしまう。
守るという誓いを、破れない。破りたくない。
だから探した。
この街を開放するための手段を。
そうすれば、きっとどうにかなる。
そのためには、まず力が要る。
その手段を実行するだけの能力がないといけないから。
闘った。
戦い抜いた。
奏神具<氷雨>を相棒に、神典<魔神>を放って。
気がつけば、副長という地位にいた。
そして、相沢・祐一という捕らえ所のない転校生が来た日――
それは、彼女が属する総長連合からもたらされた。
――活性化した闘争の遺伝詞を解放することで、この街を縛る呪いを打ち砕く。
――そうすれば、この街でも技能や神器が使えるようになるだろう。
そして、その計画を告げた彼は問うた。
「君はどうする?」
是も否もなかった。
誓いを守るため、妹を守るため、妹を救うため――
彼女――<紅刃>美坂・香里は承諾した。
彼女が闘うのは、全ては自分の妹のため。
妹の命を救うため。
だが――
「私は、守られるだけじゃ嫌です」
その、守られるべき対象――栞はただ守られることを良しとしていなかった。
――ずっと、守られてきた。
――いろいろな人に、守られてきた。
「それだけじゃ・・・駄目なんです」
彼女の家族が、彼女を救うために華音に訪れ、絶望を言い渡された日。
彼女は病院で知り合った女性に自らの思いを吐露した。
その女性は栞に問いを投げかけた。
「貴女は、闘うための力が欲しいのですか?」
一瞬の思考の後、栞はこう答えた。
「私は、闘いたいんじゃありません。
私は、私は大丈夫だって事を証明したいだけです。
守られるだけじゃない、と知って欲しいだけなんです」
だから、その女性は優しく微笑い、栞に軽く問いかけた。
まるで、紅茶いかがですか、と誘うかのように。
「ならば――貴女が、貴女自身を守るための力を手に入れるため。
私はお手伝いしましょう。
・・・・・・どうですか?」
躊躇はない。
栞は頷き、手を差し出した。
自分という存在を証明する。そのために。
それが、美坂・栞が己の神典<空神>の能力を開花させ、事象を符に封じ込める、という反則めいた能力を操るに至った分岐点であり、始点であった。
そしてその能力により、彼女が彼女自身の生命を維持するための数多の医薬品を問題なく持ち歩けるようになった、というのは――ある意味、皮肉なものだったと言えるだろう。
――苦笑。
でも、と栞は呟く。
「私は大丈夫。それを、教えてあげないと――お姉ちゃんは壊れちゃうから」
妹は存在を証明するために得た力で、自身の命を救いつつ願いを叶えようとしている。
姉は病身の妹を救うために得た力で、自身の命を捨てても願いを叶えようとしている。
そこに生じているのはすれ違い。
姉はただ妹を救うことしか見えず、妹が自分の足で立っていることに気付いていない。
妹は姉に気付いて欲しいのに気付いてもらえず、それでも明るく笑っている。
絶望と闘争の遺伝詞は、彼女たちの闘う場さえ準備する。
彼女は良く笑う子供だった。
あの事故が起こるまで。
彼女は自分の神典を使いこなしていた。
あの事故が起こるまで。
それは、閉鎖動乱の中起こった。
彼女はまだ年若かったが、彼女の神典の能力故に、負傷者の治療に駆り出されていた。
彼女の名前は天野・美汐。
彼女の神典は癒神。あらゆる傷を癒す奇跡だった。
ずっと、その手伝いは順調だったと言える。
運び込まれてきた重傷者を見た瞬間までは。
美汐は、愕然とした。
そこに横たわっていたのは親友だったのだから。
焦燥。
必死に精神を集中し、奏神具に自らの遺伝詞を通し、神曲を奏でようとして――
神典は、祈導どころか起動さえしなかった。
それほど数多いわけではないが、治癒系の神典使いが何人か居たため、彼女は何とか一命は取り留めたものの――
美汐には、大切なときに、大切なことをなしえなかったという心の傷が残った。
それが美汐から笑顔を奪った。
それが美汐を臆病にした。
それを美汐から神典を奪った。
今は起動程度なら何とかなるが、祈導に移行しようとした途端、耐えられない吐き気と目眩が彼女を襲う。
――自分に、意味はない。
美汐は自分の心の傷をえぐる。
美汐が助けることが出来なかった、親友が笑いかける度に。
もしも彼女がまた大きな傷を負ったならどうすればいいのだろうか。
自分は彼女を癒すだけの力を持っているだろうか。
焦燥は、続く。
そこに、隙が生じていた。
その隙に滑り込んだのは、絶望の遺伝詞。
美汐の心に刻まれた『自己の拒絶』に取り憑き、自己破壊衝動という呪いへと変えて――その衝動が、絶望の遺伝詞の活性化に伴い、暴走しかけていたが――それを、闘争の遺伝詞がかろうじて抑え込んでいる。
闘争の遺伝詞を美汐に刷り込んだのは久瀬・正登。
彼は美汐に取り憑いた絶望に気付き、自分の行うことに苦悩しつつ、闘争の遺伝詞を刷り込んだ。
自己破壊衝動を、他者への攻撃衝動にすり替えるために。
つまりは、彼女の命を救うために。
美汐はそのことに気付くことなく、戦いに赴こうとしている。
沢渡・真琴は不思議に思っていた。
何故、彼女は自分に対してまで一歩引いた付き合いをするのか、と。
確かに閉鎖動乱の最中、自分は怪我をした。
とんでもない大怪我で、異族で無ければ死んでいただろうし、傷跡だって残っていただろう。
でも、今は全く以て元気だし、あの時のことは気にしていない。
そもそも子供にあんな無茶なことさせる方が間違っている。
むしろ彼女は補佐だったのだし、何故あそこまで自分のせいにするのかが解らない。
一度、もう気にしないで良いのに、と言ったことはある。
しかし、彼女の答は苦悩だった。
ごめんなさい。ごめんなさい。
涙を流しながら、あの時のことを思い出しながら、泣き出した彼女に――真琴は、もう何を言うことも出来なかった。
だから、もう口にしないと決めた。
あの時のことは、もう口にしないと決めたのだ。
しかし、信じている。
真琴は、信じている。
次に自分が危ない眼にあったとき、美汐は間違いなく自分を助けてくれる、と。
でも、と真琴は呟く。
助けられるだけで良いのか、癒されるだけで良いのか、と。
否。
美汐が危なくなったら、それを助けるだけの力が要る。
だから彼女は神典のみに頼らず、異族としての力のみに頼らず、それを組み合わせ、闘う手段を得た。
まだ少しだけ足りない、と焦燥し、美汐の様子がおかしいことに憂い、そして――街を覆う遺伝詞の異常に怯えながらも、彼女は立ち止まらない。立ち止まったら、護ることなど出来ないのだから。
それに、彼女には味方がもう一人いる。
幼い頃、一緒に遊んだ少年。
彼は力を得、自分の前に帰ってきた。
彼と再会したとき、真琴は確信した。
彼ならきっと、何とかしてくれる。
この、間違った状態を何とかしてくれる。
だから、自分は彼を信じて――そして、美汐を助ける。
そう、誓った。
過去の心の傷を抱え、過去に閉じこもっている美汐。
それを憂慮しつつ、それでも美汐は立ち直る、今度はきっと自分を助けてくれる、と信じている真琴。
彼女たちは、絶望と闘争に抗おうとする。
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