Locus 07-12 "novissimus paenitentia"





『僕の、お願いは――』





 彼女たちは楽しそうに微笑いながら、これからのことを話し合っている。
 そんな光景を穏やかな目で見守りながら、<彼>は言葉を続けていった。
『奇跡への祈り。彼女達の意志。君の意志。約束を叶えるための魔法。
 やっと、揃ったんだ』
 しかし、それはあくまでも再生の引き金にしかならない。
 存在の再生には別の存在を代償にする必要があるはず。
 その事に気付き、祐一は問いを言葉にした。
「・・・それでも代償がいるんじゃないのか?」
『当然だよ。消えた存在を再生させるんだから。それも完全に、ね・・・。
 そして、君が抱えている歪みを消し去るんだから当然それなりの代償は要るよ』
 答えて、<彼>は笑った。
『代償は僕の存在。
 僕は自分の存在をもって君を再生し、歪みを消し去る』
 あっけらかんと、<彼>。
 しかし祐一はその言葉に、呻く様に呟いた。
「それって・・・お前が消えるってことか?」
 その、問いに答えた<彼>は――
『そういうこと。
 でも、それが僕が自分自身に科した罰だから。
 華音に住まい、華音を愛しながらもあんな華音を生んでしまった僕の罰なんだ』
 微笑っていた。
 透明な、笑み。
『そしてそれ以上に、あの世界を護るためなら――
 僕自身の存在も惜しくはない』
 そう断言した表情。
 それは、祐一が久遠たちに見せた表情によく似ていた。
 自らを代償に、他の誰かの幸せを願う。
 そんな、表情。
 あるいは、神が己の生み出した存在を慈しむ――そんな表情に。
 つい、問い質す。
「いいのか・・・?」
 その問いに対する<彼>の返答は、苦笑。
『それだけの価値があるからだよ。君にはね』
「・・・・・・すまない・・・」
 苦悩に満ちた声で呟いた祐一を軽くこづいて。
『なに謝ってんの馬鹿。あの世界はね。僕たち全てが望んだ世界なんだ。それを成し遂げた君に感謝しこそすれ、恨まないよ』
<彼>は、屈託無く笑った。
『それに僕は後悔が集まったもの。存在しない方が良いんだよ』
 その言葉に、祐一は微かな焦りを感じた。
 ならば――<彼>の世界の住人であった千早や静希はどうなるのか、と。
<彼>の消滅と共に、その存在を消してしまうのではないか、と。
 だから問いを投げかけた。
「でも・・・千早や静希は――あいつらは・・・どうなる?」
『Solis AurumとLuna Argentum――いや。今は千早と静希、か・・・。
 確かに彼女たちはこの世界で生じた。
 消えるんじゃないか、と君が危惧するのも無理はない。
 でも、彼女たちは僕が作った訳じゃない。
 確かに僕が影響を与えたんだけど――
 ・・・そもそも彼女たちは、あの8人のココロと記憶から生まれた。
 水瀬名雪。月宮あゆ。沢渡真琴。美坂栞。彼女たちのココロが千早の核となった。
 川澄舞。美坂香里。倉田佐祐理。天野美汐。彼女たちのココロが静希の核となった』
 自分の見てきた幾つもの世界。
 それらに思いを馳せ、歌う様に。
『後悔していた。誰も。そう、誰も。
 自分だけが幸せになっていいのか、と。
 しかし、後悔と同じほどの喜びもあった。
 後悔と、歓喜。
 悲哀と、希望。
 それらが姿を得たのが、千早と静希だよ』
 映し出される、幾つもの世界の幾つもの後悔。歓喜。悲哀。希望。
 それらが<彼>の影響を受けて――この場所で、結晶化した。
 それが、千早と静希の正体。
『でも・・・本来なら、彼女達は消えるべき存在だった。
 望まれた世界の完成と共に、ね。
 何故なら、満たされた世界とは通じつつも相反する存在だったのだから』
 しかし、と彼は呟き、言葉を続けた。
『僕は、彼女達にも幸せになって欲しかった。
 何もなければ消える運命だったとしても、ね・・・
 それでも彼女達を一つの存在として確立させることは出来なかった。
 彼女たちは存在しながら存在していなかった。
 根源記憶に彼女たちの存在は刻まれていなかった。
 なんとかしたかったけど、根源記憶に新たに存在を刻むほどの干渉能力は僕にはなかった』
 万能じゃないんだよ。
 自嘲めいた呟きの後、<彼>は祐一を微かな憧憬の籠もった目で見た。
『でも、奇跡が生じた。
 感情も、なにもかも凍て付いたままだったら消えていたはずだった。
 しかし、君との再会――または邂逅が引き金となり、理性と感性の衝突が生じ・・・
 彼女たちは人間としての心を得た。
 そして自らの存在を代償に君を再生させようとした時――
 彼女達は根源記憶に干渉した。
 そしてその結果、存在が刻まれた。
 僕の力が及ぶ様になったわけだ。
 だから、僕は彼女達を再構成した。
 君の近くで暮らせる様に。
 笑っていられる様に』
 語り、<彼>は今なお楽しそうに話し続ける千早と静希に優しい目を向け、そして祐一に語りかけた。
『だから、心配要らないよ。あの子たちはもう、一つの存在として世界に根付いている』
「じゃぁ・・・」
 期待の籠もった祐一の問いに、力強く頷く。
『ああ。逢えるよ』
 そして、意地の悪い笑み。
『でもね。一つだけ忠告しとくよ』
「何だ?」
 怪訝そうな祐一に、<彼>は楽しそうに答えた。
『あの8人は勿論、千早に静希も君に好意を抱いているわけだね』
「・・・・・・」
 無言で凍り付いた祐一に、<彼>は更に楽しそうな声を投げかけた。
『そーいや幸耶や更紗も居たね。
 まぁ、幸耶は人間になっちゃってるし。更紗は・・・彼女はしょっちゅう逢いに来るんだろうね。何せ華音の街には異界の門が通じてるし。
 いやいやもしかしたら人界に居着いちゃうかもね』
 引きつった笑み。
 祐一が浮かべた表情はそれだった。
 答は分かっていながら、それでもつい問い質す。
「うわ・・・俺、やはりあの街に帰るのか?」
『当然。それが前提だよ』
<彼>はにやにやと笑っている。
 けけけけけ、という笑い声さえ立てながら。
「俺・・・思い切り玩具になってる様な気がするぞ・・・」
 ぐったり疲れた祐一に、
『いやー、楽しいねー!』
<彼>の追撃。
「お前絶対楽しんでるだろ」
 という微かに恨みの籠もった声にも、
『当たり前だろ?
 これくらいの嫌がらせはしないと割に合わないもの』
 即答。
「ぐあ、言い切られた!」
 そして、二人してしばし笑う。
 何の屈託もなく、ただ笑って。
 ――不意に、真面目な口調で。
「なぁ」
『――なんだ?』
 祐一は一瞬躊躇したあと、告げた。
 問い、とも言える。
 ただ話しただけとも言える。
 そんな、言葉を。
「・・・お前は根源記憶に干渉することにより、その存在は確立されると言った。
 なら、少なくとも千早と静希を再構成する時に根源記憶に干渉した以上、お前も一つの存在として刻まれてるんじゃないか?」
『まぁ、それは確かにそうだけどね。
 僕は僕自身を人間として再構成する気はないし、そんな力も残らないよ。
 それに、僕自身が消える以上、再構成する者もいないしね』
<彼>はそこまで言って溜息一つ。
 言葉を、続けた。
『一つの存在を代償に、一つの存在を再構成する。
 要するにそう言うことだし。
 僕の場合、幾つもの存在の結晶だから、千早と静希を人間として構成させてなお、君を再構成することが出来るんだけどね』
 そう言った<彼>は微笑っていた。
 その透明な笑みに、祐一はつい問いを投げかけた。
 ――かつて、自分が投げかけられたのと同じ問いを。
「なぁ・・・何で笑えるんだ?
 お前、消えちまうんだろ?
 怖くないのかよ?
 なんで微笑ってられるんだよ?」
 まず苦笑。
 そして次に問いかけというカタチで<彼>は答えた。
『愚問だよそれは。
 君だって自分の存在を代償にしたじゃないか。
 その時君は微笑っていた。
 それは何でだった?』
 その問いに、祐一はかつて自分が答えた言葉で答えた。
 祈りの様な、言葉で。
「・・・俺は、あいつらに笑顔で居て欲しかった。
 幸せでいて欲しかった」
 その言葉に頷き、笑う。
<彼>もまた、幸せを願う者だったから。
『そういうことだよ。
 僕は、みんなに笑っていて欲しいんだ。
 だから怖くないと言えば嘘になるし、憤りがないと言っても嘘になるけど――
 微笑っていられる』
 しかし、祐一は苦悩していた。
 また誰かを犠牲にしてしまうのか、と。
「・・・でも、な。
 俺は・・・もっと何かいい手はなかったか、って・・・
 お前もなんとかならないかって・・・
 考えてるんだ・・・・・・」
 その苦悩に、<彼>はやれやれと言った溜息一つ。
 軽く祐一の頭を叩き、微笑った。
『君一人が全てを背負う必要はないよ。
 そもそも僕は君が帰る世界には存在の欠片もない。
 ・・・確かに滝元和樹として存在の影を映していた時はあったけど、あの世界は一回壊され、再構成された。だからあの世界には僕は存在し得ないし、君が僕の存在を記憶していたとしても、その記憶は世界の修正力により奪われる。
 だから問題ないよ。
 君は微笑っていればいい。
 ただ、君たちは微笑っていればいい。
 それが僕の目的であり、願いなんだから』
 その笑顔。
 達観――もしくは、為すべき事を為し遂げようとする者の笑み。
 その笑顔に、祐一はつい疑問を口にした。
 どうしようもない疑問を。
「でも・・・お前――後悔とかしないのかよ?」
『後悔?そうだね。
 相沢ともうちょっといろいろ話したかった、って程度には後悔してるね」
 そう言って笑った<彼>の姿は滝元和樹。
 祐一は苦笑。
 涙を流すよりも、笑っていた方が良いだろうから。
 そうでないと、<彼>は安心出来ないだろうから。
「そうか・・・。
 俺も、もうちょっとお前と話したかったよ」
 祐一は<彼>を<彼>という曖昧な存在ではなく、<滝元和樹>として呼んだ。
 その事に一瞬驚き、微笑って。
「・・・会えて、良かったよ。相沢」
「俺も、だ。滝元」
<彼>――いや、滝元はその言葉にふと哀しそうな笑みを浮かべた。
「嫌だなぁ、和樹と呼んでおくれよマイフレンド」
 そして歯をきらりと光らせたのだが、
「却下だ!」
 祐一は一秒と掛けず結論を下した。
「つれないなぁマイハニー」
「ハニーって言うなぁ!」
 そして向き合って、笑い合った。
 笑い疲れて、悲しみの涙を消し去って――
 不意に、滝元は呟いた。
「再構成は始まっている。
 もうすぐ、俺は消えるけど――
 俺たちの望んだあの世界は残る。
 ・・・相沢。みんなを、宜しく」
 無言で頷いた祐一に安堵し、滝元は軽くその手を一閃。
 その背の向こうに門を開いた。
 虚無の回廊のその向こう、世界が手招きしていた。
 還ってきなさい、と。
 その世界に背を向けたまま、滝元。
「後悔・・・いろいろ後悔してきた・・・
 ずっと。ずっと、後悔してきた。
 どうにかならなかったか、って。
 どうにかしたかった、って。
 その後悔はもう消え去った。
 ただ一つ残っているとすれば――
 さっきも言ったけど、もうちょっと相沢と遊びたかった・・・
 それくらいだな」
「俺も、後悔してる。
 もっと滝元とバカやりたかったな、って。
 ――消えてしまう後悔なんだろうけど、な」
 そう返した祐一に、滝元は微笑った。
「でも、な」
「ああ、そう・・・だな」
 何が言いたいのか。
 何を伝えたいのか。
 それが、通じ合う。
 祐一は一度だけ目を閉じ涙を堪えて。
 戻るべき世界を見据え、歩き出す。
 一歩。
 二歩。
 三歩。
 四歩目。
 すれ違い様にお互いの掌を打ち付け合う。
 ――快音。
 五歩。
 六歩。
 七歩目で立ち止まる。
 背を向け合ったまま、軽く手を上げて――
 瞬間。
 光と闇が満ち、声が交差した。
「これが・・・『最後の後悔』だ」





「君たちが、笑っていられること・・・」





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