Locus 07-11 "pessum caerum,exspectare ille"





「大丈夫、信じてるから」





 束の間の再会は終わり、気付けば、元の世界の大樹の下――
 千早達は立ち尽くしている自分に気付いた。
 起きていたのは更紗――つまり、人ではない者。
 幸耶――人となったばかりの者。
 そして、千早と静希――かつて<彼>の世界に存在した者。
 人間、もしくは人間となってから時間を経た者には世界の転移は精神の大きな負担になったのだろうか。
 見回せば、自分達以外の8人は眠っている。
 しかし、今心を占めるのは祐一のこと。
「夢じゃ・・・なかったよね」
 千早は微かに温もりの残る手を抱き締め、呟いた。
「覚えているよね?
 あたしたちは、祐一を覚えているよね?
 絆は確かにあるんだから。
 この記憶と、温もりは確かにあるんだから、だから諦めない。諦めてなんかやんない。
 ねぇ、そうでしょ?」
 それに最初に答えたのは静希。
「ええ・・・
 諦めるわけにはいきません。
 諦めたら、そこで絆は途切れてしまいますから・・・」
「それは無駄な心配だよ」
 笑いながら、幸耶。
「だって、あたしは諦めないもの。
 だから絆が途切れる筈なんて無い。
 違う?」
「当たり前です」
 澄ました顔でそう言ったのは更紗。
「私達の心が砕けない限り、いえ・・・砕けても、私達は祐一を想い続ける。
 それが私達の義務ですから。
 ――もっとも、罰でもあるんでしょうけど、ね・・・」
 苦笑混じりに――それは罰ですらない、と言いたげに。
「私達の罪は――多分、祐一に頼りすぎたこと。
 祐一だって縋りたい時があるはずなのに、それに気付かなかったこと。
 でも、今は・・・今なら、気付ける。
 ・・・もしかしたら<彼>はそれを伝えたくて、私達を呼んだのかもしれません」
 彼の地にある祐一を想いつつ、更紗は空を見上げた。
 紫の瞳に映る空は、悩みさえも洗い流しそうな蒼。
 そして見下ろせば、所々薄紅に霞んだ街。
 桜が咲いているのだ。
「・・・そうだね。そんな気がする。
 だって、最後、<彼>・・・何だか、嬉しそうだったもの」
 千早も街を見下ろし、呟いた。
 ――この桜を祐一と見たい、と思いつつ。
 その<彼>の態度に、もしかしたら――と。
 期待を抱きつつ、幸耶が訊いた。
「・・・あのさ。<彼>なら祐一をあたし達の元に還せるのかな?」
 その問いに答えたのは静希。
「正直・・・難しいと思います。
<彼>であっても、その存在を完全に再生させるのは・・・」
 そこまで言葉にし、目を伏せる。
 しかし、千早は微笑った。
「でも、ね。
 だからこそ・・・あたし達は信じなくちゃいけない。
 祐一が還ってくる、ってね。
 だって・・・それが、きっと祐一を再生させる力になるんだから。
 ・・・信じることくらいしか出来ないんだけど、ね」
 苦笑。
 その苦笑を受けて、更紗。
 微かに微笑んで。
「でも・・・信じて、待っていればいい・・・
 そんな気もします。
 ただ信じて、祐一が還るのを待つ。
 ――祐一が還ってきたとき、笑顔で迎えられる様に。
 疑わず、ただ信じること。
 それで、きっといいんです。
 だって・・・祐一が還ってくるのは約束されたことですから」
 そこにいる誰もが、確信していた。
 祐一が還ってくることを。
 だから、ごく自然に他愛もない話題が花開く。
「じゃあ、さ・・・
 あの子たちが起きるまで祐一の話でもしようよ」
 幸耶の言葉に、千早は嬉しそうな表情を見せた。
「あ、いいねそれ!
 早速だけどさ、あたし達、祐一のちっちゃい時って知らないんだよね。
 どんなだったか、教えてくれる?」
 わくわくした表情の千早に頷き、更紗は口を開いた。
 その唇が紡いだのは一言。
「そうですね、一言で言えば・・・・変わった子供でしょうか」
 小首をかしげ、懐かしむ様に更紗。
「そうだね、変わってた。
 普通さ、あたし達・・・あたしについては、人間になる前、なんだけど。
 人間ってさ、普通妖怖がるし、排斥しようとするじゃない。
 でもね、祐一はあたし達妖を怖がらなかった。
 すぐにあたし達を受け入れてくれた、っていうのが一つ。
 ・・・まぁ、祐一は『ばーちゃんの影響だ』とか言ってたけど。
 それですぐ仲良くなったんだけど、更紗と初めて会ったとき。
 あの時の祐一にはびっくりしたねー」
 懐かしみ、遠くを見やりながら幸耶。
 微かに苦笑を浮かべているところ、祐一は何かやったらしい。
「・・・祐一、何やったの?」
「とんでもないことやった様な気がします・・・」
 興味津々の千早と静希に、幸耶はその時のことを語った。
「・・・更紗って竜族の姫で、誰もそれなりの扱いしてたのね。
 でも祐一はね。更紗と出会った時の第一声が『お前暗いなぁ』だったんだ。
 もうどうしようかと思ったよ、正直」
 幸耶の後を継ぎ、更紗。
 こちらも苦笑を浮かべている。
「びっくりしたのは私もですよ。
 まさか幸耶以外にそんな話し方されるとは思いませんでしたし、しかも人間だったのですから」
「凄い騒ぎになったよねぇ。
 追い出すべきだー、とか。
 いっそ殺してしまえー、とか。
 でもね、当の更紗が喜んでたし、久遠様が祐一を気に入っちゃったからねー。
 お咎め無し」
「だってほら・・・本当に、嬉しかったのですから」
 屈託無く笑う更紗。
 そこに普段の落ち着き払った表情はない。
『竜の姫』『神竜』等、更紗を示す言葉はいくつもある。が、しかし今の更紗はただの『更紗』の、年相応――と言っても人間の年齢に換算してだが――の表情。祐一を想い、慕っていることが見て取れる。――当の祐一以外には。
 更紗の表情に微かに不穏なものを感じつつ、静希は苦笑。
「なんていいますか、祐一さんらしいというか・・・」
「祐一だねぇ」
 そして千早は分かりやすい一言。
 ある意味、それだけで納得しうる理由でもある。
 しかし、千早と静希のその反応に更紗は僅かに戸惑った。
 戸惑いが、疑問を口にさせた。
「・・・あまり驚いておられないようですね。
 私達の正体を知っても、平然としておられますが・・・」
 そう。
 千早も静希もほんの少しも驚いた風もなく、ごく自然に受け入れている。
「え?だってあたし達も転生した口だもの。
 あたしが<聖>で、静希が<魔>だったんだ」 
 どうだ驚け、と言った表情の千早が応えるも、更紗はほんの少し――更紗にしか分からない程度に驚いた後、小首をかしげてこう告げた。
「・・・逆じゃないのですか?
 千早さんが<魔>で、静希さんが<聖>ではなくて」
「そう思うのも無理はないでしょうね」
 澄ました顔で、静希。
「・・・・・・騙されてる!みんな静希に騙されてるよ!
 静希みたいなのが怖いんだよ、本当は!」
 そお千早の言葉に、静希は微かに顔を引きつらせた。
「・・・・・・」
「怒ったらえげつないんだよー。
 静希が怒ったらあたしすぐ本気で謝っちゃうも
                            「千早?」
                             ・・・ごめんなさい!」
 静希の千早を呼ぶ声は、別に大きかったわけではない。
 鋭かったわけではない。
 優しく、呼んだだけだった。
 しかしその声の底に秘められた怒りは相当なもので。
 恐怖に引きつった表情を見せる千早を、静希はただただ見つめていた。
 その、光景。
「確かに怖いですね」
「祐一も怖がりそうだよね」
 更紗と幸耶が顔を見合わせ、祐一の名前を出したその刹那。
 恐怖は伝染した。
「・・・」
 静希は黙ったままで、その表情を変えてもいない。
 しかし、その発する気配はこう語っていた。
『祐一さんにばらしたら地獄見せてしまいますよ?』
 と。
 暫しそのまま時間が過ぎて、
「え、えと。
 何で人間になったの?」
 幸耶が無理矢理話題を変えた。
 そのことに安堵しつつ、千早。
「う、うん・・・最初はさ、<彼>の命だったんだ。
 相沢祐一を、<彼>の待つ空間に連れてくることが。
 祐一のこと、その時は別に何とも思ってなかったし、そもそもあたし達は感情なんてなかったんだ」
 そして何事もなかったかの様に、静希。
「ただの機械。
 そう言っても良かったでしょうね。あのときのわたし達は・・・。
 それが、変わった。
 感情が生まれて――いえ。
 生まれた、というよりも取り戻した、と言った方が近いんですけど・・・
 そして、祐一さんに惹かれていった」
 でも、と呟き、千早が言葉を続けた。
「そこが解らないんだよね・・・
 何でそうなったのか。
 これだけは<彼>も予想外だったみたい。
 あの驚愕は、多分演技じゃなかったから。
 でも、何で・・・あたし達を人間にする必要があったんだろう?
 確かにあたし達が望んだことだけど・・・どう思う、静希?」
「・・・私にも分かりません。
<彼>の真意がどこにあったのかは・・・
 でも、今、私達は私達として存在している。
 その事実だけで・・・充分だと思いませんか、千早。
 私達は祐一さんを信じて、待つだけ。
 それだけです。
 もっとも、祐一さんがいつ還ってくるか――それが分からないんですけどね・・・
 今すぐかも知れませんし、幾度も転生を繰り返した末かも知れませんが」
 首を振って。
 少し哀しそうに。
 しかし、必ず逢えると確信して、静希。
 そこに迷いはない。
「でも、一つ確かなことがあるよね。
 ――あたし達は祐一を一時も忘れることがないってこと。
 それは、とても嬉しいことだよ。
 だって、祐一は還ってくると約束してくれたんだから」
 そうでしょ、と問えば、幸耶が応えた。
「うん、そうだね。
 ・・・でもね。祐一が還ってくるの・・・
 あたし達がおばーちゃんになってからなら・・・かなり嫌だね」
 その可能性――あえて目を向けなかったことを言葉にされ、千早と静希は呻いた。
 対照的に更紗は澄ました顔。
「・・・転生の直後かも知れませんね。
 あなた達が生まれたばかりの頃に祐一が還ってくるんです。
 その可能性もありますよ」
「何か余裕だね・・・」
 やなこと言うなぁ、といった表情の千早に、更紗はにっこりこう言った。
「だって私は人間になった訳じゃありませんもの。1000年でも、今の容姿のままでいようと思えば幾らでも出来ます」
 それ故の余裕の表情だったのだが――千早と静希、幸耶は過剰反応した。
「ああ!狡い!」
「そんな・・・そんなことって・・・!」
「あうあうあうあう、あたしもうちょっと人間になるの待てば良かったよぉ!」
 その慌てた表情に更紗はくすくす笑った。
 まさかこんな風に――思った通りの反応が返ってくるとは思わなかったから。
「脅かしただけです。
 多分、そんなことにはなりませんよ。
 だって、絆がありますから」
「そ、そうだよね!」
「あ、当たり前です!」
「うー。でもやっぱり狡いよ更紗ってば」
 三人三様の、しかし根源は同じ反応。
 出会ったばかりなのに、何故か溶け込めている。
 これも祐一のおかげなのですね、と心の中で呟き、微笑う。
「ふふ」
 微笑いつつ、更紗は己の指を彩る指輪を見つめた。
 それは絆。
 ただ一つだけ願いを叶える、魔法の指輪。
 それは確かに手の中にある。
 しかしもう、それに頼る必要は無かった。
 何故なら、祐一が帰ってくるのは彼女達にとって必然なのだから。
 だから、魔法の指輪に頼る必要はない。
 だから、ただ信じる。
 だから、祐一が帰ってきてからのことを思い浮かべ、微笑う。
 微笑い合い、話し合って――
 その内に、人間達が眠りから目覚めていく。
「あ。起きてきましたね、みんな」
「これからどうする?」
「当然、みんなで話すんだよ。祐一が帰ってきてからのことを、ね」
「ええ・・・。楽しいでしょうね、きっと――」
 春の、穏やかな風が吹いた。
 舞い散る桜の一片に、想いを馳せて――
 宴は、始まる。





「逢いたいから、一瞬も1000年に思えます。
 でも、逢えるなら――1000年だって一瞬ですよ・・・?」





―continuitus―

solvo Locus 07-12 "novissimus paenitentia"

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