Locus 07-10 "pravitas,curatendum"
「ああ、そうさ。必ず帰る!」
『そんなに帰りたいの?』
<彼>の問いに、祐一は俯き、呻く様に呟いた。
「ああ、帰りたい・・・
あいつらの元に。
正直、辛かった。
俺があいつらの側にいられないだろうってことが。
俺以外の誰かがあいつらの笑顔を守るだろうってことが。
だけど俺に何が出来る?
ただ、祈るだけだ・・・!」
そして――不意に、顔を上げた。
「そう思ってた。
あいつらと再会するまではな」
浮かべている表情は、笑顔。
迷い無く、澄んだ笑顔。
『へぇ?』
感嘆。
<彼>が見せた、嘲笑以外の反応。
その反応を引き出したことに特に感慨を抱かず、祐一は言葉を続けた。
「でも、俺はあいつらの想いを知ってしまったから――
応えないわけにはいかない。
だから俺は、あいつらの待つあの世界に還る。
絶対にだ!」
目を閉じ、<彼>に、というよりは自分に言い聞かせる様に。
いや、言い聞かせると言うよりも確認といった方が良いだろう。
祐一は宣言した。
『可能性は0に近いよ?』
そんな<彼>の言葉にも、
「0じゃないだけで充分だ」
言い返す。
特に気にした風もなく。
『本当に叶うと思ってるの?』
その<彼>の問いにも、
「何を言ってるんだ?成し遂げるんだよ」
確信を持って答える。
その根幹にあるのは、<必ず還ることが出来る>という確信。
故に。
『やれやれ・・・
希望を生き返らせちゃったか・・・』
「残念だったな。
俺とあいつらを逢わせたのは失敗だったって訳だ」
『何年かかるかも分からないよ?
悠久の時を過ぎ、君の心がすり減っても君は同じことを言えるのかな?』
「当たり前だろう?
だって、俺は約束したんだから――」
<彼>の言葉にも最早動じることはない。
だから、断言する。
「あの世界に戻れないはずがない!」
意志を込めて。
『へぇ・・・言い切ったね』
「言い切るさ。
事実だからな」
そう告げた祐一の瞳に迷いの色はない。
あるのは決意。意志。絶対なる心。
<彼>は祐一の瞳を見据え、ついと視線を逸らした。
『本当、計算外だよ・・・』
疲れた様な溜息一つ。
『まさか君の心がここまで、あの世界に還ることを願うとは、ね。
強く・・・そう、ここまで強く』
そして手をゆっくりと上げ、歌う様に告げた。
――唐突に。
『さて・・・何故僕が君をここに呼んだか。
それはここがどこかに関係している』
指先を伸ばす。
『ここは根源。
万物の記憶。
――アカシックレコードの眠る場所』
周囲に踊る、光の欠片に。
『全ての世界の記憶が集う場所』
伸ばした指先に触れた瞬間、光が弾け――
祐一は理解した。
光の欠片が何であるかを。
それは世界の記憶。
世界の記憶が映し出したのは――華音の街だった。
幻の様に浮かぶ、幾つかの華音。
『世界は一つじゃない。
幾つもの分岐があり、存在しているのは知ってるよね?
そう、平行世界。
そこでも悲劇は起こっていた。
しかし』
呟き、幾つかの世界の記憶に指を走らせた。
『水瀬名雪が救われた世界があった。
川澄舞が救われた世界があった。
月宮あゆが救われた世界があった。
美坂栞が救われた世界があった。
沢渡真琴が救われた世界があった』
祐一にも見えた。
幾つかの世界で、自分の知る誰かが笑っている姿。
だが。
『そう。確かに、一人一人は救えた。でも、みんなに奇跡を起こすことは出来なかった』
その影で消えていった命も見えてしまった。
『後悔していた。幸せを感じながらも、後悔していた』
泣いていた。
叫んでいた。
悔やんでいた。
誰かが、どの世界でも。
『だから、誰もが望んでいた。誰もが笑っていられる世界を』
流れ込んでくる、後悔。
こうあったら。
あのときこうしていれば。
もしもこうだったら。
祈りの様に、恨みの様に、起こらなかった奇跡を呪い、しかしそれでも奇跡を願っていた。
――誰もが。そう、誰もが。
『いろいろな華音で、望まれていた。
後悔のない華音。
・・・それでも誰もが絶望した訳ではなかった』
それは事実。
傷を負いつつ、しかしその側には誰かがいた。
傷を癒せる誰かが、存在していた。
『傷を負いながらも、しかしそれを支える人が側にいた。
だからその程度で済んでいた。
でも、ああしていたら、という後悔が存在したのは事実。
その後悔が僕たちを形作った』
指が空間を踊り、世界の記憶を目覚めさせる。
『そう、僕は――僕たちは相沢祐一と、その周りにいた者たち。
華音に住まう人たちの後悔の集合体だよ』
祐一の目に映った世界では――
笑顔があった。
『願いは一つ。
誰もが微笑っていられる場所を。
そう、君と同じだよ』
そう言って微笑った<彼>は、どこか辛そうだった。
<彼>は世界の記憶に指を伸ばし、開いていく。
『僕たちの願いと干渉は世界を分岐させた。
一人を救い、二人を救い・・・
全てを救えるかに思えた』
そして、一瞬躊躇って――一つの世界の記憶を開いた。
『でも・・・改変は歪みを生んでいた。
ある世界に、歪みは溜まっていた。
それが<君>がいた<華音>』
そこはその<祐一>が存在していた世界の記憶。
『最悪だった。
全ては失われ、
僕たちの望んだ何もない。
それが<君>という<相沢祐一>が存在した世界』
慟哭。
絶望。
それらが渦巻く、世界。
『その世界を見て、僕たちは動揺した。
ここまで酷い世界があることに。
ここまで救われない世界に。
救いの欠片もない、そんな華音。
そしてその世界を、僕たちが作ってしまったことに』
世界を閉ざした<彼>は――
どこか、泣きそうな顔に見えた。
『そう、これが僕たちの罪』
呟く様な声も、痛みに満ちている。
しかし見据えている。
己の罪を。
『後悔した。
後悔から生まれた僕たちは、更に後悔を重ねて――
結果、力が強くなっていった』
後悔と懺悔。
それが<彼>に満ちていた。
『だから僕たちは君に手を伸ばした。
僕たちのせいで全てを失おうとしていた君に。
それが、あの邂逅の理由だよ。
まず君は不幸の起点を癒すための奇跡を起こし、そして消えた』
そして、苦笑。
あの時のことを思い出しつつ。
『そこで計算外だったことが起きた。
千早と静希が自分の存在を代償に君を再生させてしまった。
焦ったよ。まさか、あの二人があんな行動を起こすとは思わなかったから。
二人は完全に存在を消して、君を完全に再生させるつもりだった。
でも、僕は干渉し、君の再生を不完全なものに留めた。
そして君の再生に使う分の僕自身の存在を、千早と静希の存在の再構成に用いて――結果、僕は暫く眠りにつくことになった。
――ともあれ。自分が不完全な再生を果たしたこと。そのことに君は気付いていたのだろう。
結局、君はまた消えてしまった。
しかしそれは僕たちの意図する結果だった。
一度に全てを改変するのは危険すぎる。歪みは更なる歪みを生み、そして世界は自壊するから。
それを防ぐためというのが一つ。
もう一つは世界の歪みを具現させるために』
祐一は、その歪みが何であるかを唐突に理解した。
何故、<彼>が真実を告げていくのか。
何故、<彼>は贖罪を求める者の表情を見せているのか。
『君は自分自身を代償に、しかし意志を世界に刻み込んで――
結果、待ち望んだ世界は創世された。
大切なひとが全て笑っていられる世界。
だが、その世界には重大な欠陥があった。
それは相沢祐一がいないこと。
そしてそれがあの世界に残された唯一の歪み』
――つまり。
『でも、一度世界からの縁が途切れ、妖の女王の力で過去に送られ、更なる改変を重ね、そして妖を人として再構成させたため――君は、<歪み>そのものとなっていた。
僕たちの罪が生み出した<歪み>で構成された存在に』
そういうことだったのだ。
だから――
『だから今のままじゃ君を戻すことは出来ない。
今の君を戻せば、歪みは世界を壊してしまうから』
そう、だから<彼>はこの世界に祐一を呼んだ。
あの世界を崩壊させないために。
『でも、あの世界には歪みが残っているのも事実。
その歪みは癒されるべき歪み。
それを癒すためには歪みから解放された君を還すしかないけど――
しかし、足りなかった。
君の想いが、足りなかった』
それは事実。
そしてそれこそが祐一の罪。
それを祐一は自覚していた。
「・・・・・・」
だから、反論は出来ない。
何も、言えない。
ただ<彼>の言葉を待つだけ。
『君は自分を犠牲にしすぎて、自分の幸せを捨てていた。
それが君の本当の罪。
だから僕たちは君を罰することにした。
君に、自覚させるために。
そして彼女達に自覚させるために』
それも、おそらくは必要なピースだったのだろう。
祐一と少女たちの想いを固め、祐一を再生させるためには。
『でも今、条件は揃った。
君をあの世界に戻すための全てが』
<彼>は微笑い、一つの世界を開いた。
そこは、望まれた、しかし不完全な世界。
――祐一が還るべき世界だった。
『そう、やっと揃ったんだ・・・』
―continuitus―
solvo Locus 07-11 "pessum caerum,exspectare ille"
moveo Locus 07-09 "spes denuo nasci,sed"