Locus 07-09 "spes denuo nasci,sed"
『どんな絶望を見せてくれるのかな、君たちは?』
「あ・・・れ・・・?」
「ここは・・・」
視界が閉ざされ、開いたとき――
少女達がいたのは――
「ここは、<彼>の・・・」
千早と静希にとっては、初めて祐一と言葉を交わした場所。
<彼>の存在する空間だった。
「何で・・・?」
その問いに答えたのは<彼>。
『君たちを断罪するためさ。
ほら・・・彼のようにね』
その<彼>の声に振り返り――
彼女達が眼にしたのは、虚ろな目の祐一。
静希は顔を巡らせ。
<彼>に鋭い口調、鋭い顔で問い掛けた。
「何を・・・したんですか・・・!?」
『言ったろ?
断罪したのさ』
<彼>の口調はあくまでも飄々としている。
しかし、そこには毒が込められていた。
「罪・・・?
祐一が何したって言うの!?」
千早の問いに対する答は嘲笑。
『解ってるんだろう?本当は。
彼の罪、そして君たちの罪を』
祐一を指差し、嗤う。
『彼は君たちの前から姿を消した。
消えないとか言ってたくせにあっさりと、ね』
そして彼女達に目を向け、嘲笑。
『そして君たちは彼を忘れた。
忘れない、とか言いながら』
そこに責める様な調子はない。
歌う様に嘲笑するだけ。
『君たち、記憶はもう戻ってるよね?
君たちが彼の前から消え去った世界、
君たちのうちの誰かが救われた世界、
そして、彼が築き上げた理想の世界』
その<彼>の言葉に少女たちが覚えたのは心臓を鷲掴みにされた様な感覚。
夢の様な、記憶。
アレは、本当にあったこと。
例えばビー玉の片目を持つ雪ウサギ。
例えば麦畑で佇む自分の幻影。
例えば人ならざる者たちとの想い出。
それと重なるもう一つの世界。
倉田家での出会い。
それからの7年。
祐一との邂逅。
そして今の記憶。
あの二つの世界では死んだはずの人たちが存在している。
人ならざる自分たちが人として生きている。
そんな、記憶。
黙り込んだ少女たちに<彼>は追い打ちをかけていった。
『結局さ、どの世界でも甘えすぎてたんだよ、君たちは。
祐一は強い、だから大丈夫。
祐一は優しい、だから大丈夫。
一番古い世界じゃそうして縋っていた。
訳の分からない懐かしさと切なさ。
途切れた記憶の断片に残る笑顔。
次の世界じゃそこに縋った。
そして今、君たちの世界は彼の存在という代償によって成り立っている。
彼の存在そのものに縋っている、といっても良いよね。
たしかにまぁ、強く見えるだろうけど。
君たちはまだこいつが強いって思ってるかもしれないけどね。
無理矢理、強くなってただけさ。
拠り所があるからこその強さ。
信念故の強さ。
拠り所を壊してしまったら、否定してしまったら――
ほら、こんなに弱い』
醒めた目で、<彼>は祐一を見た。
『ほら、こんなにも情けない。
ほら、こんなにも脆弱。
それでも君たちは彼を求めるの?
こんなにも弱い相沢祐一を』
その<彼>の問い掛けのカタチを借りた嘲笑に応えたのは、あゆ。
「知ってたよ、そんなことくらい」
ぽつり、と。
「祐一くんが本当は弱いことなんて、ボクは知ってたよ」
そして祐一に微笑みを投げかけている。
しかし、祐一は顔を上げない。
あゆの言葉に頷き、唇を開いたのは美汐。
「弱いからこそ、強くあろうとあがくのです。
弱いからこそ、強くなれるんです。
相沢さんは、強くあろうとした。
それだけのことです。
そんなことも解らないのですか?」
祐一を<彼>から守る様に、優しく。
しかし、祐一は顔を上げない。
「・・・忘れていたのは事実だよ。
でも、ずっと切なさだけはあった。
自分でも訳の分からない胸の痛みが。
それは、祐一との絆だったとわたしは信じる」
名雪の言葉が、響いた。
しかし祐一は顔を上げない。
「あたし達は自分の罪を知ったわ。
その罰が忘却だとしても、あたし達は恐れはしない。
相沢くんがいたという記憶と世界の記憶は消えても、その事実はあたし達の心に、魂に深く刻まれている。
だからこそのあの痛みだったんだと思うから」
祐一に暖かい視線を投げかけながら、香里。
しかし祐一は顔を上げない。
「もしかしたらまた祐一の記憶を喪うかも知れない。
でも、痛みは残る。
切なさは残る。
絆が残る。
私達は祐一を思い続ける。
誰か分からなくても、記憶になくても。
思い続ける。絶対に」
<彼>を凛と見据え、舞。
しかし、祐一は顔を上げない。
「祐一」
更紗の声にも祐一は顔を上げない。
更紗は溜息一つ。
「・・・・・・」
無言で近付いて――
「何やってるんですか!?」
思い切り、体重の乗った拳の一撃。
その衝撃に祐一はのろのろと顔を上げた。
――祐一は、泣いていた。
少女たちの想いに、心を取り戻して。
しかしまだ、足りない。
戦う意志を失っている祐一の瞳を見つめ、更紗。
「祐一が<彼>に何を言われたかなんて分かりませんし、知る気もないです。
でも、祐一。これだけは言っておきますよ。
どれだけの奇跡が要るか私には分かりません。
どれくらいの時間がかかるかも分かりません。
何度輪廻を重ねたらいいのかも分かりません。
でも、私は・・・いえ、私達は待ちますよ?
祐一が帰ってくるのを、待ちますよ?」
泣きながら、伝えていく。
想い。
決意。
祈りを。
しかしそれさえも<彼>は茶化す。
『死んじゃったら、あるいはこの場所に辿り着けるかもね?
待つよりはずっと現実的だよ?』
「あなたは黙ってて」
<彼>の言葉を断ち切ったのは幸耶。
「でも・・・そうだね、そうしたら祐一とずっといられるかもしれないね。
・・・だからといって、あたしは死なない。
あなたの思い通りになんかならない。
だって、祐一はそんなこと望んでいない。だから、あたし達は死なない」
更紗の、そして幸耶の言葉に、祐一は弱々しく呟いた。
「いいのか?お前たちはそれでいいのか?
帰ってこれるかも解らない俺を待ち続ける、それでいいのか?
いい訳無いだろう・・・
お前たちは笑ってなきゃいけないんだよ・・・!」
それは呪文。
自分の存在を諦め、諦めさせるための呪文。
そのくせ、救いを求めている。
必要とされたいと願っている。
支えて欲しいと思っている。
心の力を欲している、そんな響き。
「はぁ・・・
まだんなこと言ってるの!」
再び祐一の頭に、今度は軽い衝撃。
叩いたのは真琴。
しょうがないんだから、といった笑顔で祐一に説教を開始した。
「あのね祐一、祐一一番大切なことを忘れてる。
真琴達の、気持ち。
真琴達が笑うためにはね、祐一が要るんだからね!?」
真琴の言葉に頷き、言葉を続けたのは栞。
絶対の信頼を込めて祐一に微笑みかけている。
「だから。待つだけ、です。
祐一さんが帰ってくることを信じて。
私に出来るのはそれくらいですから」
「それくらいしかできない。
でも、それは佐祐理達にしかできないことだと思っています。
祐一さんに助けられた佐祐理達にしか出来ないこと。
少し、誇らしいと思ってるんですよ?」
言葉通り、佐祐理は誇らしそうに微笑っている。
その言葉に少女たちは頷き、静希が言葉を紡いでいく。
誓いの言葉を。
「確かに何年、何百年。それよりももっと先かも知れない。
でも、私達は祐一を待ち続ける。待つことが出来ます」
静希の言葉の後を継ぎ、千早。
力強く。
「祐一に逢えるまで。
何度転生しても、その度にあたしたちは祈り続ける。
逢えるまで、ずっとね」
そしてまるで歌の様に響いたのは決意。
少女たちの絶対なる意志。
――奏でられる、想い。
「絶対に、諦めない!」
そこに揺らぎはない。
戸惑いはない。
<彼>に対する恐怖もない。
諦めない。
その言葉が示すのは、祐一への想い。
――苦笑。
祐一が久しぶりに見せた笑み。
自嘲にも似た、しかし――
「こんなにも、想われていたのか・・・俺は」
祐一らしい、笑み。
「なら・・・俺も、応えなきゃいけないよな・・・?」
その笑顔に翳りはない。
何故なら、少女たちの想いが祐一の中にあるから。
最早、<彼>のどの言葉も祐一を傷付けることはない。
確かに祐一は絶望していた。
しかし、絶望したからこそ希望の力を強く感じている。
絶望の中にあってもなお色あせぬ希望。
それが祐一と少女たちの絆となっていた。
『全く・・・まだ希望を捨てないのか、君たちは』
<彼>の嘲笑を、
「寂しいのか?仕方ない奴だな、
後で構ってやるから今は黙ってろ」
切り返す。
そしてけけ、と笑いつつ少女たちに目を向け――
紡ぐ。
今度は祐一が誓いの言葉を。
「俺は・・・必ず、還ってくる!
お前たちの待つ世界に還ってくる!」
力強く。
何よりも、力強く。
「だから、少し待っててくれな?」
その言葉に少女たちは頷いた。
再会は既に約束されたから。
そして祐一は<彼>に目を向け、宣言した。
「希望を捨てないのか、と言ってたな?
答はYesだ。当然だろうが」
妙に勝ち誇った笑み。
それは、先ほどの姿からは想像も出来ないほど生命力に満ちていた。
しかし<彼>は動じない。
ただ溜息一つ。
『計算外というか何というか・・・参ったね』
指を走らせ、空間を分かち――
『ま、とにかく・・・束の間の逢瀬は終わり、だよ』
祐一と少女たちを引き離す。
何度目かの再会。
何度目かの別離。
薄れていく存在感の中、
彼らは互いに指を伸ばし、触れ合わせた。
――約束をするために。
薄れていく温もりを感じながら、
祐一と少女たちの声が響いた。
「約束、だよ!」
「約束だ!」
『全く・・・計算外だよ』
―continuitus―
solvo Locus 07-10 "pravitas,curatendum"
moveo Locus 07-08 "paccatum et poena"