『再び出会うそのいのち』







 奇跡は、起きなかった。
 少なくとも、真琴のための奇跡は。



 祐一はものみの丘から街を見下ろしていた。
 風が吹き抜ける。
 あの日と変わらない風が。
「にゃぁ・・・」
「ぴろか・・・」
 祐一はしゃがみ込み、ぴろを抱え上げた。
「なぁ。お前の飼い主、帰ってこないな・・・」
「にゃぁ・・・」
 哀しそうに答えるぴろを抱え上げ、肩に乗せる。
 暖かさが嬉しく、しかし哀しかった。

 あの日以来、祐一は毎日ものみの丘に来ていた。
 もしかしたら、という一縷の希望を抱いて。
 しかし望みが叶えられることなく、数ヶ月が過ぎた。
「・・・・・・」
 青空に夕焼けの色が混じる頃まで祐一は街を見ていた。
 真琴と再会し、過ごした街を。
「にゃ?」
「ん?どうしたぴろ」
「にゃぁ」
 ぴろが誰かを呼ぶ様に鳴いた。
 振り向くと、そこには――
「やっぱり天野か」
「ご一緒して宜しいですか?」
「ああ」
 普段の祐一だったらここで
「その言葉遣い、天野はやっぱりおばさんくさいな」
 と言っていただろう。
 しかし、今日は黙っている。
 だから、美汐も黙っていた。
 ただ側にいることしかできないのだ、と言う様に。
 祐一が話すのを、ただずっと待っていた。 
 どのくらいそうしていただろうか。
 夕焼けが夜に駆逐される頃になり、祐一はようやく口を開いた。
「天野。俺、やっぱり強くないみたいだ・・・」
 泣き笑いの表情で、祐一。
「想いが、足りなかったのかな?だから真琴は帰ってこないのかな?」
「そんなこと、ありませんよ」
 美汐は強い口調で否定した。
「そんなこと、ありませんよ」
 そして祐一の頭を優しく抱き寄せた。
「すまない、天野。ちょっとだけ、泣かせてくれ」
 堪える様な祐一の声。
「ちょっとだけでいいからこのままでいさせてくれ・・・」
 耐えきれない様に。
 もう、限界だという様に。だから。
「それで元に戻るから。いつもの馬鹿やってる俺に、戻るから」
 美汐は祐一の頭を優しく、しかし強く抱きしめた。
 嗚咽。
 低く。
 微かに。
 しかし、強く。
 号泣ではない。
 声を殺して、ただ泣いていた。
 それだけに胸を締め付けられる様で、美汐はさらに強く、祐一を抱きしめた。

 泣き止めば、いつもの祐一だった。
 口を開けば軽口が飛び出してくる。
 美汐はそんな祐一を尊敬する様に見つめ、言った。
「相沢さんは強いですよ・・・」
「いや、俺はやっぱり弱いよ。でも、真琴が見てたらどう言うかな、って思って」
 思い出す様に、痛みに耐える様に。
「きっとさ、『祐一、あんた何しけた顔してんのよ!それじゃぁ復讐しがいが無いじゃない!』って怒るんだろうな、って思って」
 そう言いながら、苦笑。
「だから、笑ってるんだ。あいつがいつ帰ってきても返り討ちできるように、な」
「・・・相沢さんはやはり強いです」
「・・・でもさ、やっぱり駄目なんだよ。一人になると、かなりきつい」
「・・・相沢さん。何で私にそんな話まで?」
 祐一は困ったような顔で頭をかき、唸った後、告げた。
「俺、支えて欲しいんだと思う。・・・天野に」
「私に、ですか?」
「迷惑、かな?」

「卑怯です」
 美汐は祐一の目を真っ直ぐ見つめた。
「そんな顔されて・・・断れるわけ、無いじゃないですか」
「・・・すまないな」
「すまないと思うなら、今度あんみつ奢ってください」
 祐一、にやりと笑いながら
「あんみつか。相変わらず美汐は」
「物腰が上品だと言ってください・・・え?」
 思わずどぎまぎしてしまう美汐。
「んじゃ、な」
 笑いながら走り去ろうとする祐一を真っ赤な顔をして美汐が追いかけていく。
「あいざ・・・祐一さん!」
「悪い悪い。・・・嫌だったか?」
「そんなこと、無いです」
「そっか」
 祐一は嬉しそうに笑った。
「そっか。・・・じゃぁ美汐、送っていくわ」
「はい。お願いします・・・祐一さん」
 祐一は空を見上げた。
 澄んだ空には幾億もの星が煌めいていた。
 祐一に習う様に美汐も空を見上げた。
(なぁ、真琴。お前は俺を許してくれるか?幸せになろうとしている俺を)
『あう。何言ってんの祐一!美汐と仲良くしないと怒るからね!』
 風に乗って、そんな声が聞こえた様な気がした。
 思わず漏れる苦笑。
 美汐は怪訝そうに、しかし何かに納得した様に祐一を見つめた。
 そして、星に抱かれる様に。
 二人は初めて唇を重ねた。



 数年後。
 病院の廊下を全力疾走している男が一人。
「おおおっ!間に合えよっ!」
「また祐一さんですかっ!何考えてんですか!」
 目を三角にして、看護婦が怒っている。
「悪い、栞!今日なんだ!」
 栞と呼ばれた看護婦はあ、という顔になった。
「そう、ですか。元気なお子さんだったらいいですね」
「ああ」
 会話しつつもそわそわしている祐一。
 その様子に気付き、栞は苦笑。
「早く美汐さんのとこに行ってあげてください」
「栞、サンキュ!」
「お礼はバニラアイスでいいですよ〜」
 そんな栞の声援(?)に送られながら、その場所へと目指す。
 命が生まれくる、その場所へ。

「滑り込みセーフ!」
 ガッツポーズをとる祐一のすぐ横をストレッチャーが通り抜けようとしている。
 みれば、そこに横たわっているのは美汐だった。
 かなり辛そうだ。
「美汐。・・・行って来い!」
 そんな少しばかり間の抜けた、しかし優しさに満ちた応援に、美汐はしっかりと頷いた。
 そして扉は閉ざされた。


「うう、何て落ち着かないんだ」
 祐一はうろうろうろうろと扉の前を行ったり来たりしていた。
「いかん。かなりいかん」
 祐一は心を落ち着かせるために椅子に座った。
 しかし落ち着かない。
 ひたすら落ち着かない。
(俺ってここまで心配性だったっけ?)
 悩みながらも時は過ぎる。
 廊下にはただ、時計の針の進む音だけが響いていた。
 どのくらいそうしていただろうか。
 椅子に座り、祈る様に手を組み合わせている祐一。
 彼の願いに応える様に、ドアが、開き――
 そして、彼女が出てきた。
 誇らしい笑みを浮かべて。
「元気な女の子ですよ」
 看護婦の声に頷き、立ち上がる。
 そして美汐を見つめる。
 愛しい人のすぐ横に、今生まれてきた小さな命。
「美汐・・・ありがとう」
 疲労の色が濃い美汐に、祐一は心から礼を言った。
「ふふ。頑張りましたから。でも、なんで、ありがとうなんですか?」
 嬉しそうに。そして、怪訝そうに美汐。
「うーん、うまく言えないけど。でも、やはり、ありがとう」
 照れた様に笑う祐一。
 その顔を見ていたら細かいことの様に思えてくる。
(私も大分、感化されましたね)
 思いながらも、美汐は笑みを浮かべた。




 小さな手。
 とても、小さな手を見ながら、祐一はぽつりと言った。
「・・・美汐。この子の名前、どうする?」
「そんなこと言って、もう決めているのではないですか?」
「はは。やはり解るか」
「解りますよ。祐一さんのことですから」
「じゃぁ」
「ええ」
「「この子の、名前は・・・」」









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