praeteritum 07 "io,gratus!"





「それで色々と無茶やったわけだ」





 風呂から上がり、縁側に。
 夜空を見上げれば、人界よりも遙かに多くの星が映った。
 その夜空を横切って走る炎は、酔っぱらった火車だろう。
 お土産とおぼしき包みをぶら下げて、ふらつきながらも飛んでいく。
「おお、典型的酔っぱらいのおとーさんだ」
「なんでいきなり順応してるんだろう……」
 めまいを感じながら、幸耶。
 それもそうだろう、人間なのに目の前の光景を平然と受け入れているのだから。
「ばーちゃんの影響だな」
さらりと、祐一。
「祖母殿の影響、とはどういう意味ですか?」
 興味深そうに訊く那岐に、祐一はあの日を思い出しながら答えた。
「無茶な人でして。交友関係でも、人なんだかそうでないんだか分からない知人友人が数知れずでしたねー。俺自身、『いっそ妖の友達でも作ってこい』とか言われて、山の中に置き去りにされたこともありますし。あの時助けてくれた天狗のおっちゃん、元気かなぁ……」
「嘘っ!?」
「うん嘘」
 やっぱりな、と皆が思うより前に。
「本当は鬼の親子でした」
 何が起こったのかが語られた。
「道に迷ったあげく腹すかせて倒れてた所に通りがかりまして。
 弁当やって、あと麓まで一緒に降りたんですよ」
 確かに鬼は何人かいるが、道に迷う鬼はそうはいない。
 しかも親子連れで迷う鬼。もしや、という疑念が生まれた。
「何も要らないから、って言ったんですけどね。
『そんな事したら鬼族の名折れだ!』
 とか言い出しまして。朝まで延々歌を聴かされました」
 道に迷い、礼だと言って歌う鬼。
 ああ、何故こんなに嫌な予感がするのだろう。
 もしや奴かと思いつつ、吾妻は疑問を口にした。
「……確認して良いか?
 その歌はやたらと意味不明な上、洗脳効果がありそうなくらい音痴ではなかったか?」
 問いに対する返答は、どこか予想通りで、しかし当たって欲しくなかった事実を告げた。
「ええ。『イカの脚は十本でタコの脚は八本だから二匹合わせりゃホの字になるぜー』とか、なんだか訊くだけで脳みそが崩れていきそうな歌でしたねー。
 そうですか。やっぱあれって妙な歌で音痴だったんですか。俺、てっきり妖の類の歌はあれが普通だと思ってましたよ」
「んなわけあるかっ!」
 突っ込みつつも、吾妻たちは確信した。
 奴だ。
 奴以外あり得ない。
 噂をすれば影とはよく言ったもので、
「よー吾妻ー!面白いガキ拾ったんだって!?」
 酒瓶をぶら下げて、当の本人――鬼が現れた。
 縁側に座っている祐一を見て、
「ちょっと待てよこいつ人間じゃねぇかってなんだお前かよこの前は世話になったなおいっ!」
 自己完結しつつ祐一の肩を叩きまくる。
 そして浮き浮きした表情で、
「よし、再会の祝いだ!渾身の歌を……」
「歌うな」
鬼は竜に蹴り飛ばされた。
「あ!いきなり何するんだよ吾妻!お前の蹴りって電撃混じってるから痛いんだぞ」
「わざと混ぜてるのだが……。まぁいい、自己紹介しておけ。恩人なのだろう?」
溜息まじりに吾妻が言えば、その鬼は身体に電光を纏わせつつも飛び起きた。
「おおそうだった!俺は礼をせねばならんのだ!
 我が名は暁。鬼族の宗主だ。で、礼だが――」
「歌は却下ですよ?」
「いいじゃねぇかケチケチすんなよって那岐さんー!?
 ハイワカリマシタウタハヤメテオキマス」
歌い始める前に、鬼のおっちゃんは釘を刺された。
 しかも怯えているし。何が起こったんだろう、と考える間もなく、
「祐一、一つだけ忠告しとくわ。
 那岐さんだけは怒らせんなよ?とってもとぉっても酷い目に遭うから」
 声を潜め、暁は言った。
「……想像は付きます」
 海老の頭をにこやかにもいだ姿を思い出し、僅かに震える。
ああ、しかしその声はしっかりと届いていたのだろう。
 那岐は優しく、微笑んで――
「あらあらどうしたんですか?」
「イ、イエナンデモナイデスヨナギサン。ナァ、ユウイチ?」
「ハハハ、ソノトウリデスナンデモアリマセンヨアハハハハ」
 笑顔のままの竜后に、誰もが怯えていた。
 竜の父娘も、妖狐の少女も。
「あらあらまぁまぁ、どうしたんですかそんなに怯えて」
 笑顔が引き起こす恐怖からの救い手は、すぐさま現れた。
「何やってんだよ父者」
 それは即ち、鬼の息子。
「ああ、先日の恩人が居るぞほれ見てみろ」
 慌てて鬼がそう言えば、那岐が発していた尋常ならざる気は霧散した。
 安堵が周囲を支配して、救い手は驚き叫びを上げた。
「あ、これは確かにあの時の……ってなんだなんだ何でお前いるんだよ!」
「よぉ、久しぶり」
 挨拶代わりに手を挙げれば、
「普通、人間がここにいるわけがないし……そうかやっぱりお前人間じゃなかったんだな!」
 頷き、納得する鬼の息子。
 その頭頂に、
「再会していきなりそれかっ!」
 渾身の自己主張を叩き込む。
「気を失ったか。脆弱な奴め」
 気を失った鬼の横。誇らしげに立つ祐一に、幸耶は半眼で突っ込んだ。
「……ガゼルパンチで突っ込んだ奴の台詞じゃないわよ、それ」



 斯くしてバカは集い、バカなことをやって過ごした、そんな夏の日々。



「っつーわけでな、河童のスイカ職人の畑に忍び込んでとっ捕まったり、川に釣りに出かけてヌシとバトルを繰り広げた後『お前、中々やるじゃないか』『お前こそ』と友情を育んだり」
 懐かしそうに祐一が言えば、幸耶と更紗も笑顔を浮かべる。
「いやー、あれは必死だったぞ。なんせでっかいタガメだったしな、ヌシ。
 下手すると血液吸われてミイラだった」
 そして明るくあははーと笑う姿に、静希は大きな冷や汗一つ。
「ゆ、友情ですか……タガメと……友情……」
「打ち解ければ気の良い奴だったぞ?」
 その言葉の意味を吟味して、千早は『気の良いタガメ』を想像してみた。
「……ひゃぁ!?」
 途端に浮かぶのは強張った笑み。


『よぉ、祐一』
『ん?ヌシじゃないか。何だ、元気ないな』
『はは、夏バテだよ夏バテ』
『仕方ないなぁ、俺の血を少し吸えよ』
『おっ、良いのか?悪いなー!お礼っちゃーなんだけど、俺の娘紹介するよ』
『……あんたの娘ってタガメだろ?』
『ああ、当然だろ?可愛いぞー』
『あのさ。人間の俺がタガメ紹介して貰ってどーすんだよ……』
『………そりゃそうだ!』
 あはははははは。


 悪夢だ。
 しかしまさかこんな事はあるまい。
 と自分を納得させたところに、
「でも、奴には参ったよ。いくら自分と良い勝負したからって自分の娘とか部下のミズカマキリとかを紹介されてもなー。
 根は悪い奴じゃないんだけどなー」
 突きつけられた厳しい現実。
「あうあうあうあうあう」
 泣き笑いの表情で、祐一を指差す千早と静希。
 そんな彼女らを置き去りに、
「そーいやこの前は源さんとは会ったけど、ヌシとは会ってないんだよなー。
 週末にでも行くかなー。雪耶と更紗にも声かけなきゃな」
 すぐさま決まる異界行き。
 それを聞くや、現実に帰還。
「あたしも行くからねっ!」
「お邪魔でなければ私も……」
 拒絶は赦さヌと笑顔で迫り、怯え混じりの承諾を得て、勝利の笑みの天使と魔。
 苦笑を浮かべ、祐一は開け放たれた窓を見た。
 窓の外には夏空の青。
 窓の縁には硝子の青。
 夏の真昼の風に揺られて、風鈴が涼しい音を奏でた。




―Quod erat faciendum―


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