praeteritum 06 "tendon incognita"





「喰うのなら早くしろ。でなければ帰れ!」





「取り敢えず、お腹空きましたでしょ?
 ご飯にしませんか」
 そう微笑って、那岐が奥に姿を消した。
 そして丼を持って帰ってきて、
「天丼なんですけどね。人界にもありますでしょ?」
 差し出されたのは天丼。たしかに天丼。
 だがしかし、蓋を開けた刹那、祐一は呟いた。
「…知らない天丼だ」
 それに対する幸耶の反応は冷淡で、
「なにそれ」
 という短い台詞。
 すぐに天丼に向き直り、一口。
「んー、美味しい!」
 美味しい。
 それは事実なのだろう。
 だが。
「いや人間の世界では普通天丼言ったらエビとかアナゴとかが乗っているのですが、しかるにこれは一体何の天麩羅かを教えて頂きたく!?」
 ご飯は普通である。その上に乗っているのはエビらしき天ぷらとアナゴらしき天ぷら。
 しかしエビは妙に長く、アナゴは妙に短い。
 祐一はそこはかとない不安を禁じ得なかった。
 その問いに答えたのは那岐。
「え?エビやアナゴ」
「へぇ、同じ生き物がいるんだ。それとも買ったのかな?」
「にそっくりな別の生き物ですよ」
「はい?」
 イッタイソレハドンナイミナノデセウカ。
 そう問いたげな――しかし、答を知りたくはない――祐一に応え、那岐はソレを取り出した。
「ちなみに調理する前はこんな感じです」
 その取り出されたナニカは、
「キシャー!」
 と鳴いた。
「……ゑ?」
「あらあら、活きが良いですねぇ」
 それはヘビ並みに長いエビ。
 頭はエビ。
 でも、腹の部分がやたら長くてウネウネしている。
 その生き物が、
「キシャー!」
 再び鳴いた。
「威嚇してる!威嚇してるよ!」
 うねりうねりと蠢くソレを指差し怯える祐一。
 それと対照的に、
「あらあらまあまあ」
 那岐はにこやかな表情のまま、
「えい」
 そのナニカの頭をぶった切った。
「シャギャー!」
 ――断末魔。
 鳴き声は止んだ。
 しかし腹の方はまだ動いており、那岐の腕に勢いよく絡みついた。
 そのなかなかショッキングな光景に、
「ひぃっ!?」
 つい、悲鳴。
 フリーズ直前の祐一を、
「大丈夫ですよ、普通に食べてますから」
 更紗はフォローしたものの。
 そのフォローを打ち砕く幸耶の一言。
「私達はね」
「NOooooooooo!?」
祐一は頭を抱えて震えだした。
「逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ……」
 という自己暗示の声も痛ましい。
 その様を晴れやかな笑顔で見ているのは幸耶。
「ふー。少し気が晴れた」
 どうやら散々からかわれて気が立っていたらしい。
「幸耶ちゃん・・・少し酷いんじゃないかと」
 おろおろとしている更紗に指を突きつけ、
「仕返しよ仕返し!
 さんざんからかってくれたんだもの、これくらいはしなきゃ」
 けけけ、と笑う幸耶の耳に、やけに平静な祐一の声が届いた。
「でもまぁ食べてみるか。
 せっかく作って貰ったんだし」
 いただきまーす。
 元気良く手を合わせ、祐一は食事を開始。
「あー、これは美味いですねー」
 嬉しそうである。
 その変わり様に幸耶は一瞬思考が停止。
 数秒経過後、問いつめる。
「え?平気なの?食べてるの?」
 その問いの返答は笑い。
「食べ物には罪はあるまい。
 ならば喰らうことこそ供養!
 それに、さ。俺が喰うにせよ喰わないにせよ、俺のせいで命が奪われたことには変わりないだろ?俺に喰われることが前提で奪われた命なら、食べるのが俺の義務。違うか?」
そして少し照れくさそうに、言う。
「親父の受け売りなんだけど、ね」
 咳を一つ。父親をまねて、語り出した。
「信仰上のタブーでこれを食べたらダメ、とか体質の問題で食べられない、ってのは仕方がない。
 菜食主義であっても、命を奪っているってことを自覚しているならいい。
 自覚してない偽善者こそが小利口そうに言う。
『牛や豚が殺されるのが可哀想だから、私は肉を食べません』
『私が菜食主義なのは、他の生き物の命を奪わないですむからです』
 それはおかしい。
 植物が殺されるのは可哀想じゃないのか?
 植物は生き物じゃないとでも言うのか?
『植物だから殺してもいい、動物は殺したらダメ』ってことか?
 自覚しなきゃいけない。忘れちゃいけない。
 人間は他の生き物の命を奪い続けないと生きることが出来ないってことを。
 それは動物だろうが植物だろうが、本質的には変わりはないってことを。
 だから、食べて自分の血肉にすることこそが、最大の供養になる」
 そして、何もなかったように天丼を口に運び、
「うん、美味い」
 笑った。
 幸耶はしばし黙っていたが、
「――、一つ、いいかな?」
 にっこり笑って問う。
「ん?何でも聞くが良い」
 にっこり笑って祐一が応える。
「さっき、怯えてたよね?」
「はっはっは、芝居に決まってるじゃないか」
「…へぇ?芝居だったんだ?」
「どうしたんだそんなに怖い顔をして?
 ほれ笑え笑え。ご飯とかは楽しく食べなきゃ」
 屈託のない顔で言われ、幸耶は苦笑。しかけたが、
「ほれほれ笑え笑え」
 更に言う祐一の手首を掴み、にっこり笑って――
「口を引っ張るなぁっ!」
 頭突き。
 その切れ、スピード、タイミング。それらはこの上ないものだった。
 だが、
「をや?」
「っっっっ!何よそれ!何平然としてるのよ?どんな頭蓋骨してるのよっ!」
 頭突きをされた祐一よりも、頭突きをした幸耶が痛そうに頭を抱えた。
 涙目で祐一を睨むも、
「ははは、これこそ遍く食らう、すなわち遍食の成果!」
 祐一は偉そうに笑っている。
「はぁ…負けたわ…」
 今度こそ幸耶は苦笑し、
「うむ、ようやく分かったか」
「はいはいはいはい」
「えーと、あの、喧嘩は良くないです」
 3人は和気藹々と食事を開始した。





「あらあら、作り甲斐がありますね」





―continuitus―

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