praeteritum 05 "tu,obscrum"





「・・・・・・なんですとっ!」





「うお、一言で言い表された!」
 動揺した祐一の声にも揺るがない。
 穏やかに、優しげに祐一を見やって言葉にしていく。
「しかしただバカなだけではない。一本筋の通ったバカだ。
 演ずることを知っているバカだ。わきまえているバカだ。
 他人を楽しませるためのバカだ。しかしやっぱりバカだ」
 唖然としている幸耶の横で、流石に祐一は突っ込んだ。
「バカバカ連呼すなおっさんーっ!」
 しかし吾妻は止まらない。
「事実だから仕方あるまい。やーいバーカバーカ」
「りゅ、りゅうおうさま・・・」
 厳かに、しかし嬉しそうに祐一をからかう吾妻に幸耶は目眩を覚えた。
 竜皇様はこんな方だっただろうか?
 もうちょっと分別があったというのは、自分の勘違いだったのだろうか?
 と。
「・・・あなた?」
 穏やかな声に竜皇は凍り付き、
「ああ、そうだった。那岐、何か分かったということだろう?」
 あからさまに話題を変えた。
 那岐は呆れたように微笑いつつ、
「ええ。あまり、良いお知らせではありませんが・・・」
 その言葉に、現実逃避しかけていた幸耶も我を取り戻した。
 祐一は、心を落ち着かせるために深呼吸ひとつ。
 ――問う。
「俺が、ここに来た手段と、その問題点ですね・・・。
 そして、それは俺が元の世界に帰れるかどうかにも関係している・・・・・・
 違いますか?」
 那岐は一瞬の躊躇の後、
「ええ。そうです」
 答え、溜め息まじりに言葉を紡いでいった。
「ここに自力で来ていたのなら、帰りもやはり自力で何とかなっていたのですが・・・。
 道に迷って辿り着いた妖の世界からは、同じように迷って人間の世界に還っていけます。
 隠れ里の伝承ってのはそういうことです。
 たまたま扉を開いてしまった人間が、妖の世界に来て、そして還っていく。
 その場合、還れるのは約束されたことです。
 人界も妖界も、招かれざる存在の滞在を赦さないことには変わりありません」
 ここまで話し、那岐はお茶を一口。
「人間の大部分は妖の存在を知りませんから、妖を招くことは出来ません――だから、妖は世界を騙して、無理矢理人界に干渉しているのですけどね。
 ですが妖は人界の存在を知っているから、人間を招くことが出来ます。
 そうやって妖に招かれた人間は排除されず、妖界に留まることが出来るわけです」
 那岐は溜息一つ。
「祐一さん。貴方の場合・・・手荒くですが、妖が招待したことになるわけです。
 ですから、自然に帰れると言うことはありません。そのことは間違いないでしょう。
 そもそも、人界と妖界とは自身が開いた、もしくは招かれた扉からしか行き来することは出来ません。つまりは、です。貴方を招いた本人しか、貴方を還すための扉を開くことは出来ないわけです。
 ですが、貴方が通った扉を開いたのは誰かが分からないのが現状です。もっとも、人界で任務に就いている誰かでしょうが――報告は来ておりません。
 つまり、その誰かが貴方を蹴り落としたことを自覚していない可能性があります。
 それが意味するのは・・・」
 言葉にするのが憚られたのだろう、那岐は口をつぐんだ。
 祐一は、しかし吾妻が何を言いたいのか、何を懸念しているのかに気付いてしまった。
 不安を感じつつも、それを言葉にする。それが否定されることを祈って。
「もしかすると一生還れない、とか?」
 いやまさかねぇあはは、と淡い期待を抱いて出された質問は、しかし。
「そうです」
 あっさり肯定で返された。
「あっさりと頷いた!?」
「嘘を吐く必要などありませんよ?」
「ぐは、なんてこった」
 その言葉に、祐一は少しばかり困った顔。
 だが、何とかなるはずだと信じているのだろう。そこに絶望の陰はない。
 だから吾妻は――本気か冗談か判別しかねる爆弾を落とした。
「まぁ気にするな。
 還れなかったら還れなかったでここで生きていけばいい。
 いっそ私の息子になるか?ん?」
 吾妻の申し出に祐一は満面の笑みを浮かべ、アメリカンな口調で宣った。
 ただし、どこか棒読みで。
「本当かい、嬉しいよだでぃー」
「はっはっは、こいつめ」
 吾妻は祐一の額を軽く小突いて――沈黙。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「止めておいた方が良さそうな気がする・・・」
「そうだな」
「あら残念」
「・・・竜皇様」
 楽しそうな祐一と吾妻、そして那岐とは対照的に、私もう疲れましたという思考が滲みまくっている幸耶の声。
 その声が消え去らない内に、声が響いた。
 涼やかな、声。
「父様、母様・・・彼がお客様ですね」
 その声を奏でたのは、黒銀の髪と菫色の瞳を持つ、祐一と同年代の少女だった。
 ただし、白銀の角を持ち、その瞳は竜のそれだ。
「竜皇の娘で更紗と申します」
 礼。
 年に似合わぬ、落ち着いた物腰。
 そして、表情の浮かばない顔を見て祐一は少し考え込んだ後、自己紹介。
「ああ。相沢祐一だ。宜しくな、更紗」
 そして、更に沈黙。
 祐一は更紗をじっと見つめ、視線を逸らさない。
 それを周囲は更紗の容貌に言葉を失ったのだろう、と考えていた。
 だがしかし、
「・・・・・・ふぅ」
 祐一の次の行動は呆れたような溜息。
 そして、その次の祐一の言葉。それは、そこにいた皆の予想の斜め上を、錐もみしながら鋭角を描いてすっ飛んでいくようなものだった。即ち、
「お前、暗いな」
 言われた本人は内心気にしていたことだったので思わず目を見開き、
 その友人は目の前で起こった予想外の事態に思わず意識を手放して、
 言われた本人の母親はあらあらまあまあと呑気な笑顔を崩さないで、
 言われた本人の父親はうわこいつ今凄いこと言いやがったと感心し、
 その言葉を口にした者は俺何か変なこと言ったかなという顔をした。
 その次の瞬間。
「非常識の空かっ飛びまくりの石破天驚ドあほたれぇぇぇぇぇっ!」
「気安く容易く心おきなく力の限りに蹴るんじゃねぇぇぇぇぇっ!」
 凄いことを言った少年は言われた少女の友人に蹴り飛ばされた。
 さて、その蹴った方の少女であるが、子供とは言え妖狐。人外の者である。
 その蹴りたるや如何なる威力を導き出すか。
 それはもう見事なまでに、手放しで賞賛するしかないような放物線を描き、祐一の身体はすっ飛んでいった。
 しかし祐一は空中で体制を整えて、猫の様に着地して――
「キシャ――!」
 威嚇。
「てめ幸耶、いきなり何しやがるっ!?」
「ちぃっ!生きてたかっ!」
「だから殺そうとするなってのっ!」
 そして、それを見ていた竜皇の娘は――
 目の前のあまりにもかっ飛んだ光景に、思考停止。
 1秒。
 2秒。
 3秒。
 そして、無表情の仮面を壊された。
 普段、無表情な者ほどそのたがが外れたときの反動は凄まじい。
 更紗はうずくまっている。
「ほら更紗、泣いちゃったじゃない!あんなこと言うからよっ!」
「いや、これって悔しかったり悲しかったりで泣いてるんじゃなくて、目の前で繰り広げられた命がけのドツキ漫才がツボにはまった、ってのはどうだ?」
「責任逃れする気?」
 拳を固く握りしめ、ゆら、と揺れつつ近づく幸耶を必死で制止。
「待て待て待て!確かめずにそれはないと思うんだけどどうかっ!?」
「確かめるまでもないでしょ?」
「耳を澄ませ!考えるな、感じるんだ!」
「なーにを言ってるのかなこのおバカは」
 耳を澄ませたわけではないが、その音はようやく幸耶に届いた。
 く、という呻き。だが、それは嗚咽ではない。
 そう、それは笑いを堪えているかのような苦鳴。
「・・・さ、更紗?」
「く・・・くくく」
 顔を上げた更紗は、確かに笑っていた。
 微かに涙を滲ませ、可笑しそうに。
 その笑顔を見、祐一は微笑った。
「なんだ、そんな顔も出来るんじゃないか」





「ほ、本当に笑ってたの!?」





―continuitus―

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