忘れてはいけない  5

     月が変わった7月1日(木)。
     その日の朝刊のトップ記事は、29日に起こった土石流災害現場の写真で飾られていた。
     災害の起こったのは29日の午後のことだから、これは昨日のにぎやかなヘリたちが
     撮ったものなのだろう。 初めて見る災害の様だった。 川に沿って伸びた道路がS字のように
     曲がっている辺り。 ほぼ真上から撮られたその写真は最初、どこなのかわからなかった。
     やがてそこがどこか頭の中の風景と照らし合わせてみた時、う〜という唸り声しか出なかった。
     見るも無残とはこういうことを指すのだろうか?
     どう考えても家が足りない。 あそこはこんなに殺風景な場所じゃない。
     でも写真に写ってる場所は家の痕跡すらないようなただの泥の帯が広がっている。 川の水は
     茶色く濁れて溢れんばかりの水量で、そこから、ごうごうという凄まじい水音が聞こえてきそうだ。
     今までに確認された亡くなった人たちが丸く縁取られた写真で紹介されている。
     ああ・・・夕べのニュースでも聞いたけれど、やっぱりあの人が災害に巻き込まれている。
     せめてもの救いは遺体が割合とすぐに発見されたことだった。 行方不明のままの人も何人もいる。
     行方不明の人の名簿のなかに若い女性がいた。 名前に心あたりはない人だったけれど、
     それは妹の高校時代の友人だったのだ。 結婚して苗字が変わっていたので気がつかなかった。
     彼女とは妹への電話を何度も取り次いだことがあった。 家に遊びに来た時に顔も合わせている。
     ほんのちょっとしたタイミングの悪さで土石流に巻き込まれてしまったのだった。
     彼女はその後、何日も経った頃、この地区での最後の行方不明者として、10キロ近くも
     離れた河口付近で帰らぬ人として発見されたという。 

     三面記事のページも地方版のページもどれもみんな災害現場の凄まじい写真と
     その災害によって被害を受けた人たちの記事で埋め尽くされていた。
     浄水場が土石流で被害を受け、断水している。 自衛隊の車が何台も水のタンクを積んで
     上流へと向かう。 (幸いににゃお家周辺はみな井戸水なので断水は免れた)
     家を流されてしまったり、一部損壊してしまった人たち。 再びの土石流の災害の危険が
     ある地域の人たちが市の設けた避難所へ集まり、不安な表情を浮かべている写真がある。
     「大変だよね。 下手したらもう元の場所には帰れないかもしれないもんね」
     主人とそんな話をするにゃおは、安全な場所から下を見下ろして、気の毒がってるだけの
     ただのアホだった。

     7月2日(金)。
     再びの雨。 強く降ったり弱く降ったりが繰り返される。
     ただこの様子からは29日のように用水路が氾濫することはないように思えた。
     11時近くになって、ざぁ〜と雨脚が強まった。 その時、玄関のチャイムが鳴る。
     「この地区に避難勧告が出ましたので、至急、○○小学校まで避難してください」
     市の役人が一軒一軒、伝え歩いているらしかった。 
     足が急に震える。 避難? 避難? こんな下流なのに避難? そこまで危険が迫ってる?
     避難する時に必要なものはわかってる。 それをそろえればいいのだ。
     でもどれから? どれから? 頭と体の命令系統が麻痺しているのか、
     うろうろとするばかり。 落ち着いて・・・落ち着くんだ。 一番大切なのは何?
     「お母さん、お母さん、おしっこ出た」
     子供が気持ち悪そうにおしりを押さえながら走り寄って来る。
     そうだ・・・一番大切なもの。 それは子供だ。 大人は何とかなる。 でも子供の物だけは
     抜かりがあってはならない。 雨は小降りになる時もある。 その時なら車で移動できる。
     車ならかなりの量が運べるはずだ。 避難場所には最低限のものはあるだろうけど
     余分な数はないだろう。 よく考えろ。 避難生活はいつまで続くかわからないのだ。
     いざとなったら実家へ逃れることもできるだろうけど、それまでの間に要る物は
     今のうちに用意しておかないと・・・
     にゃおは子供のオムツを取り替えてやると、「お母さん、ちょっとお仕事するから待っててね」と
     子供に言い置いて二階へ駆け上がった。

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