それでもミシンを買いました 7  困惑

     はぁ・・・ 
     長い間、カタログと目の前のミシンを見比べて、にゃおは大きくため息をついた。
     「それじゃ・・・ これ、いただきます」
     その言葉を告げた瞬間、にゃおの胸にあった何かがスーっと消えた。

     「ご主人、大丈夫ですか? なんなら、このお宅みたいに内緒にしましょうか?」
     兄ちゃんが心配そうに聞く。 そりゃ、そうだわな。 いきなり22万のミシンを即効で購入
     決定するなんざ、正気の沙汰じゃないからね。
     「いえ、大丈夫です。 主人にはちゃんと言いますから」
     大丈夫じゃねぇよ。 ミシンを買うことに関しては文句はないだろうけど、値段を聞いたら
     目を剥くぞ。 値段まで正直に言うわけないじゃんか。
     支払いは、一定期間据え置きの一括払いにした。 これだと金利手数料がかからない。
     にゃお家には、ローンはできるだけ組まないという方針がある。 高い買い物をする時でも
     支払える予算が確保できていない限り買わない。 逆を言えば、一括で支払えるだけの
     予算や見通しがない時はどんなに欲しくても緊急でない限り我慢するのだ。 今回も
     高価なミシンを買ってしまうという暴挙に出たのも、心の奥底に、満期になったばかりの
     保険金があって、そこから主人に内緒で支払えるという計算があったからだろう。

     兄ちゃんは、早速、クレジット契約の紙を取り出して、契約作業に取り掛かる。 にゃおはじっと
     それを眺めていた。 兄ちゃんは営業ではなく技術担当者だという。 営業の人は自分の判断で
     5000円の割引の権利を持っているのだが、自分は営業ではない。 けど、割引してあげようと
     言い、据え置き一括払いは手数料が要らないのだけど、手数料を払ったような形にして、合計
     1万円ほど値引きをしてくれた。 これだけの値段のミシンだから、当然といえば当然だろうけど。
     保証書の説明を受け、今後、永久保証で、修理の際の出張費、修理費は無料ということを確認
     する。(ただし部品交換の場合には実費が必要)  さらに、今回、ミシンを購入した人には、
     「サイドカッター(布を切りながら端ミシンする道具)」か「ソーイングセット(十数個のミシン糸や
     ハサミ・針山などのセット)」のどちらかをプレゼントしてもらえることになっていたので、どちらが
     いいかと問われた。  もちろんサイドカッターを希望。  兄ちゃんは、「それじゃ、もっといいのを
     差し上げますね。 ただ商品が今手元にないから、しばらく待っていただいていいですか?」と聞いた。
     なるほどね。 たかだか1万円足らずのミシンと22万もするミシンで同じ品物ってのもねぇ。 
     あたりまえだわよ。
     「それじゃ、ちょっとですけど、この糸も置いていきますね」
     兄ちゃんは机の上に置いてある、3つのミシン糸を指差した。 試し縫いするために使った糸だ。
     たりめぇだよ。 22万のミシンを買ったんだから、それくらい置いてけよ。←相当値段にこだわってる
     にゃおには、いい意味での図々しさが足りない。 こんな時、しっかりした人なら、この値段を
     楯にソーイングセットも置いてけって言えるんだろうけど、そういう部分では妙に気弱なにゃおには
     言い出すことができなかった。

     「それじゃ、ちょっと電話を拝借してもいいでしょうか?」
     は?
     クレジットの内容を確認して、必要な場所に捺印し終わってから、兄ちゃんが言った。
     なんか、やな予感。
     「クレジット会社に申し込みしておきますから」
     にゃおは、仕方なく、奥の部屋からダイヤル式の古い黒電話を引っ張り出してきた。 
     おかしいぞ。 なんで人んちからクレジット申し込むんだ? 会社に帰ってからでいいじゃんよ。
     兄ちゃんが、「うちの実家も今だに、この黒電話ですよ」と聞きもしないことを言いながら受話器を
     取る。 大抵、外を回る人間は携帯を持ってるもんだ。 もっとも携帯を使うと料金がかかるからと
     わざわざ人の家の電話を借りる人間は、たくさんいる。 せこいっちゃ、せこいけど、それを
     貸さないっていうのもせこいかなぁ・・・と、しぶしぶながらも貸してしまう。
     急いでクレジット組むってことは、クーリングオフをされたくないからかな? でもクーリングオフは
     申し込んでから8日以内まで有効なんだけどな? 早くその8日を過ごしてしまいたいからか?
     いろいろなことを考えながら、兄ちゃんとクレジット会社のやり取りに間違いがないかどうか耳を
     ダンボにして聞くにゃお。

     やがて、兄ちゃんが受話器を置き、「しばらくしたら折り返し確認の電話がかかってきますから」と
     言った。 にゃおは、「はぁ・・・」としか返事のしようがなかった。
     兄ちゃんは、持って来たミシンを片付け始める。 にゃおは、その様子をただ眺めていた。
     「奥さん、双子座ですか?」
     は? いきなり何? ああ、クレジット申し込みの生年月日を見たのか・・・
     「いえ、蟹座です。 ・・・何でですか?」
     「いえね、僕は双子座なんですよ。 弟が蟹座です」
     そんなこと、別にどうでもいいぞ。 そこにどんな会話の発展があるというのだろう。
     片付け終わった兄ちゃんは帰るのかと思ったが、なぜか、あぐらをかいて座ってしまった。
     うん? クレジット会社からの確認の電話を待ってるんだろうか? 時刻はすでに、1時半を
     過ぎている。 もう1時間以上いることになるのだ。 にゃおは昼食が途中だったし、お腹も
     空いて仕方なかった。 早く帰ってくれないかな・・・

     「タバコ吸ってもいいですかね」
     兄ちゃんはタバコを取り出して、にゃおに見せる。 
     それって、灰皿出せってことかい? にゃおはその部屋の小物入れにしまってあった客用の
     灰皿を出した。 
     「ご主人はタバコは吸ってんないんです?
     「吸いますけど、私が嫌いなんで、出かけたらしまいこんでしまうんですよ」
     ちょっとイヤミを入れて言ってみた。  なんで、うちでタバコを吸う必要があるんだ? 外に出て
     吸えばいいじゃんよ。 ・・・とは言えないので、営業用スマイルを顔に貼り付ける。

     兄ちゃんは、すぱぁ〜っとタバコの煙を吐き出す。 さらに、いやな予感がした・・・

            目次へ     次へ     HOME