帰郷

     今は、田舎の片隅で田んぼ作りをしているにゃお。 実は生まれは東京だったりするのだ。
     そう、『しちーぎゃる』だったのよねぇ。

     父は広島県人だったけど、母と結婚した当時は東京で仕事をしてた。 母も結婚して父について
     東京で生活することになり、その後にゃおが生まれたってわけ。 今でも戸籍には出生地に
     ババ〜ンって「東京」の文字が載ってるんだからぁ♪(ちょっと自慢げ)

     にゃおが4歳くらいの時、初めて東京を出て、埼玉県に移り住んだらしい。 その後、埼玉県の
     とある場所に家を建てて引っ越した。 初めての「にゃおの家」だったのよ。 鉄筋コンクリート造り
     家は、当時としては割りと近代的で珍しい方だったみたい。 2階建てで、1階には4畳半ほどの
     和室がひとつと広い広いリビング。 2階には6畳の和室と、これまた広い広い洋間が1つ。
     それまで借家で平屋にしか住んだことのなかったにゃお。 どんなにか物珍しくて嬉しかったことか・・・

     だけど、そこでの生活は1年ちょっとしか続かなかったのよね。
     前出の記事でもあるけれど、にゃおの父は借金大王。 その埼玉に建てた家だって、両親の
     実家が建ててくれたようなものだったらしい。 その家を、借金返済の一部に当てるために
     売り払わなくちゃいけなくなったのよ。 当時のにゃおは小学1年生。 時は冬。
     大人の難しい事情なんて知らなくて、毎日が過ぎてたっけ。

     ある日のこと、母がにゃおに告げた。
     「今度、引っ越すことになったよ」
     よく意味はわからなかったけど、この家を出て、どこか遠くに行くんだってこと。 友達とも
     別れなくてはいけないんだってことは理解できた。
     その夜、一人先に2階の和室で寝ている時、ふいに目が覚めて、悲しくてしかたなくなったっけ。
     目の前の窓ガラスの内側にあった障子ごしに漏れてくる外の明かりを眺めながら、にゃおは
     黙って涙を流した。 友達と別れるのが悲しかったこともあるけど、一番の理由は、また誰一人
     知らないところへ入っていかなくてはいけない事に対する深い々心配。 幼稚園に初めて
     入園(年中さんからの途中入園)した時のことが蘇る(『トラウマ?』をご参照ください)。
     友達ができなかったらどうしよう。 そればかりが心配でしょうがなかったのよ。

     どうやら、引っ越すということは、かなり直前になるまで、にゃおには知らせてなかったようで、
     それから慌しく、引越の準備が始まった。 あれよあれよという間に学校でみんなの前で
     引越のお別れの言葉を言った。 友達数人がお別れ会を開いてくれた。 お別れの品物を
     もらった。 そして・・・

     生まれて、まだ4ヶ月しか経ってない妹と母とにゃおの3人で、忘れもしない11月30日の
     夜行列車で、父の生家のある広島へ旅立った。 父は一緒ではなかった。 車を持って行くのと
     飼っていた犬を連れて行かなくてはならなかったので別々に行くことになってたようだ。 
     初めての寝台車。 なんとなく嬉しくてワクワクするような気分もあったなぁ。 母と妹が
     寝てるそばで、いつまでも窓の外を流れる夜の景色を眺めてたっけ・・・

     こうして、19XX年12月1日、にゃおは広島県人となる第一歩を踏み出したのだった。

     それにしても、今、思うのだけど、あれって「夜逃げ」じゃないよね???A^-^;)

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