屈辱のもらい水(後編)

     水路を逆に辿りながら、大川へと走る。 水路を流れる水は確かに量が少ない。 これでは
     水を分けてもらって入れたとしても、焼け石に水程度だろう。 やっぱり水門が狭いのかな。

     通称、大川と呼ばれる川は、幅は6メートル、深さは5メートルくらいの大きさがあって、
     県道沿いを流れている。 梅雨時期に豪雨でも降らない限り、水深は1メートルにも満たない。
     川はかなり急な坂道を下るような位置にある。 途中から別の小さな水路が水が平行よりは
     気持ち下り気味の状態で、にゃおたちの田んぼ方向へ流れるようにと、実に上手い具合に
     作られていた。 水門はその小さな水路の途中にある。 そこまでは川の壁面を直角に
     3メートルほど降りなければならなかった。 水門の位置まで、降りられるように、コンクリの
     壁面に鉄製のはしご風の足場がついている。 手すりも何もないから、ちょっと降りるのが怖い。
     にゃおは、へっぴり腰で、後ろ向きになると、ゆっくりゆっくりと足場を降りた。

     水門には2段階の仕掛けがしてある。 ひとつは木の板で、水が要らない時は、水門の前に
     差し込んでおく。 すると水は水路には流れないで、そのすぐそばに作られた排水口から
     大川へと流れ落ちる。 水が要る時は、逆に水門の前の板を外し、排水口に差し込んでおく。
     これで、水は大川に戻ることなく、水路を流れて、にゃお家方面へとやってくるのだ。
     その水門の後ろに、今度は鉄格子がついている。 これは大川を流れてきた枯れ葉やゴミが
     そのまま田んぼへ向かう用水路に流れ込まないようにブロックする役目がある。 今、目の
     前にある鉄格子の水門には、枯れ葉やゴミが絡み付いている。 これじゃ、水量がないわけだ。

     にゃおは鉄格子に絡み付いているゴミを取り除いた。 水が勢いを増して、流れ出す。
     ふと見ると、水門まで続く水路には、まだたくさんのゴミが落ちていて、水の勢いを
     妨げていた。 んもぉ〜!!  にゃおは、幅が50センチにも満たない水路を用心して
     歩きながら、ゴミを拾い上げた。 水路から大川へはさらに2メートルくらいの高さがある。
     うっかり、落っこちたら怪我をしちゃいそうだ。 ジュースの空き缶に割れたビンのかけら。
     枯れ葉に小枝、ビニール袋。 次々にゴミを拾い上げて、わずかなスペースに置いておく。
     大川からの分岐点あたりまで、拾って歩いたおかげで、水が滞りなく流れる。 よしよし♪
     途中でポケットにつっこんでいた携帯が鳴った。 主人からの連絡。 次の当直の人との
     引継ぎに時間がかかって、よくやく職場を出たところだという。 水の状況を聞いてきたので
     これまでのことをかいつまんで話した。 奥さんに水を分けてもらったという部分で
     主人は、「そんなことをしたんか・・・」と言葉を詰まらせた。 そりゃ、そうだろうな。 主人の
     気質から言っても、人に借りを作るのがいやな人だもん。 ましてや、ルール違反のもらい水。
     「・・・まぁ、しょうがないよねぇ、田植えができんにゃ、どうにもならんのじゃけぇ」
     背に腹は変えられぬ・・・そんな気持ちだったのか、主人はそれ以上、にゃおが勝手にやった
     ルール違反を責めなかった。 主人は、また連絡を入れると言い、電話を切った。

     携帯をポケットに戻すと、にゃおは壁面をよじのぼって道路に上がり、水の流れ具合を確かめる
     ために水路沿いに家の方へと戻り始めた。 勢いを増して流れる水。 だけど、家の方まで
     向かう途中の水路にもたくさんのゴミや枯れ葉があって、それが徐々に水の勢いを奪う。
     それを時々、拾い上げながら、流れを妨げないようにしてやる。 
     あ! そうだ!!  このまま、この水が、にゃお家の田んぼに流れ込んじゃマズイんだった。
     だって、奥さんがせき止めてた場所からこっちは、まったく水が干上がってた状態。 水が
     流れ始めたら、干上がってる間に溜まった泥やゴミが水と一緒に田んぼに流れ込んじゃうよ
     大きなゴミは拾い上げることができても、泥水はどうすることもできない。 一旦、田んぼへの
     水の入り口を閉じて、最初の汚れた水をやり過ごさなくちゃ!!

     また小走りに自分の田んぼへ向かい、水門を閉じておく。 あれだけの勢いで流れてる水
     なのに、にゃおが田んぼへたどり着いてみると、まだいくらも流れてきていない。 思った以上に
     距離があって時間がかかるみたいだ。 どの辺まで水が来ているのか心配になって、また
     水路を逆戻りする。 我ながら無駄な動きをしているなぁと思いつつも、じっとしていられない。
     最後は流れる水と一緒に歩くようにして、にゃお家の田んぼまで水が来るのを見守った。

     やってきた水に、あらかたのゴミや泥水が押し流され、水が澄んできたのを確かめて
     もう一度、田んぼへ水を入れ始める。 時計を見ると、もう30分が過ぎているじゃない。
     奥さんちの水門を閉じておかなきゃ。 そうしたら、水は全部、にゃおんちのもの♪
     再び、奥さんちの水門まで歩き(坂道だから急ぐと結構、疲れるのよ)、水門を閉じて
     それまで水をせき止める役割をしていた土嚢(どのう)を引き上げる。 水はにゃお家に
     向かって一直線。 いけいけぇ〜!!

     さらに、にゃおは、またしても水路の水の流れ具合を見ながら大川へと向かう。 また
     ゴミなどが詰まって水流を妨げてないかが心配だったのだ。  足場を降りて鉄格子の
     様子を見ると、わずかだったけど、枯れ葉などがへばりついていた。 しばらくそこに
     立って水の流れを見守る。 どうやら、あとは順調に水が来そうなので、家に戻ること
     にした。 にゃおんちから、この大川まで、移動距離にしたら500メートル以上はある。
     これを何度往復してるかなぁ・・・だんだん疲れてきたぞ(-_-メ)

     自分ちの田んぼまで帰りつくと、また携帯が鳴った。 今どのあたりまで帰って来てるかと
     いう報告だ。 逆算したら、どうやら20分もあれば家に着きそうだ。 田んぼには水が
     ようやく、しっかりと入り始めたばかり。 ほとんど乾いてしまった田んぼ。 果たしてどのくらい
     まで水を入れることができるんだろうか。 普通の時でも田んぼの隅々までが水に覆われる
     までには2時間以上かかるのに。 でも、できるだけやるしかないんだ。 
     にゃおは田んぼに流れ込む水を眺めながら、汗をぬぐった。

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