2000年
10月6日(金)
悲しいことがありました。
言葉少なで、自分の気持ちを表現することの少なかった人が
全てのことを諦めてしまったのです。
「なにも★★するようなことじゃないのに」と言う人もいます。
でも、他人から見れば「そんなこと」かもしれないけれど、
当事者にとっては「そんなこと」ではすまなかった。
悲しいことに、「『諦める』ことが最後の選択肢になってしまうほど追い詰められた気持ち」を
”解ろうとしてくれる人が”少しずつでも増えていってくれたら。
10月11日(水)
れいごんの仕事は一見遊んでるように見えるらしい。
というか、日常的なことであったり、遊びの要素を含むものだったり、
仕事的なものだったりを用いてのリハビリなもんで。
遊びの要素が目立つものだと「遊んでるだけじゃん」とか、
「いったいどこが治療なの?」と思われり・・・
そんなこんなで、同じ医療従事者の中にも理解していただけない方も。
こんなことも多い今日この頃なんだけど、
れいごんが音楽のグループでペアを組んでいる看護婦さんは理解をしめしてくれてます。
伝えたいことをちゃんと伝えきれない(伝えられない)れいごんを心配してくれたり☆
ありがたい!!とっても力強いね☆☆
10月25日(水)
前回更新してから今日までいろいろ思うところがなかったといえば嘘になるけども、
表現することがイイのか秘めておくほうがイイのか・・・
れいごんの悪いところの1つに「言わないor言えない」ってなところがあるんだけど、
『言わない』という選択でもある。
表現しなければわかってはもらえない。でも、敢えてその選択肢をとることも。
理解はされないかもしれないけど、それも1つの自己主張☆
前に、『誰かをハネることで自分の居場所を確保しようとする』人もいるって書いたけど、
その続き・・・
『”誰か”と”自分たち”との線引きをする』ことで
『”自分たち”という中に自分自身の居場所』を確保しようとする。
1人になることを恐れ、『自分自身の存在感の不安定さ』にこういう形での対処が精一杯で。
その人の矛先がれいごんに向いてるときはかなりキツイものがあったけど、
客観的に見ても悲しいところ。
何が彼女をそうさせたのか・・・
こんな方法でしか自分の居場所を持てない。
『”1人でいる”孤独』よりも『大勢の中で感じる孤独』の重みに気付いた時、
彼女は何を思うのだろうか。
11月1日(水)&5日(日)
夜の番組で「TVタックル」(?)を途中から見た。
いじめられてことがある子供たち、いじめによって自殺した子供の親御さん方も出演されてて。
自分たちの経験談もふまえて主張したり、疑問を投げかけたり。
本当に自殺を考えてる or 自殺しようとしているときにはそんな素振りは見せないよ。
(突発的なものは例外としても)
だって、本気なんだよ。理由はどうであれ、自ら命を絶つことを邪魔されたくないんだから。
(れいごんは自殺肯定派ではないけれども、
選択肢がこれしか見つけられなかった or これしか残らなかった人もいると思うし)
れいごんの心に突き刺さったのはのは、自殺を選んでしまった子のお父さんが、
「どうして親に話してくれなかったのか」と投げかけたこと。
親として『話して欲しかった』、『どうして話してくれなかったんだ』という気持ちがあるのは
本当のところでもあると思う。
でも、子供達は言わなかった or 言えなかったし、結局は言わないことを選んだ。
お父さんは「会話のない家庭ではなかった」と。でも、そこが問題なのだろうか??
誰かを非難したり、中傷するつもりではなく れいごん の考えとして。
親から見た「親⇔子供」の関係と、子供から見た「子供⇔親」の関係は違うと思う。
もちろん、親も人それぞれで、性格も違えば歩んできた人生も違う。
(だからひとくくりにはしようとは思ってないんだけど)
人間誰しも自分が体験してきたことが苦も楽も含めて
一番の事実(善悪や正しいかということは別で)。
親の「自分と同じような苦労はさせたくない」という気持ちもわからなくはない。
でも、それが子供にとって「本当にためになるか」は別問題。
子供には子供なりに「その子が持っている価値観」がある。
それに気付けるかどうかは、子供の目線と同じ目線を持てるかどうかにかかっていると思う。
親から見た「親⇔子」関係と子供から見た「子⇔親」関係中には
双方があまりズレなく、上手くいっているところ(家庭)も多いとは思うが。
親の視点で見ると「会話の多い、何でも話せる家族」、
でも子供の視点で見ると「(子供にとって)差し障りのない会話の多い家族」だった可能性も?
子供のちょっとした相談にしても『世間体を気にした対応』と
『本当に子供のことを思っている対応』とが明確になる。
ここで、子供にとっての『親への信頼感』が左右されることになるような気がする。
子供達はそのことにとても敏感だと思う。
親が『自分自身(親自身)の対応が子供にどんな影響を与えているのか
(子供にとってどんな風に映っているのか)』に気付くこととは比べ物にならないくらい。
『信頼』って大切だと思う。
誰か1人でも(例え両親でなくても)本当に自分のことを信頼してくれて、
心配してくれる(気にかけてくれる)人がいれば、
自ら命を絶つほど全てのことに絶望しなくてすんだのではないかと思うことがある。
11月14日(火)
日々、感じるところはたくさんあるんだけども言葉にするのにものすごく時間がかかる。
たいていは言葉にできるまでにダウンしちゃってます(笑)
前回までの内容だと、まるで親子関係にて「『親』の関わり方に問題がある」とでも
取られかねない気もするが、そういうつもりではありません。
ただ、れいごんは絶望の中で現実世界(人との交流、社会との接点)を
シャットアウトしてしまうことでそれ以上、傷を深めてしまわないように願っている。
でも、「『逃げるな』とは言わない」し、
「全てに絶望してしまうくらいなら『シェルターへの一時避難』もあり」だと思う。
↑の話とはちょっと違うんだけども。
誰でも1人でいるのは寂しいと思う。(自覚がある、無しにかかわらず・・・)
でも、その気持ちをどういう形で満たす or 解消するかは人それぞれ。
寂しさを満たそうとするが故の行動が、かえって自分の首をしめることになりかねないことも。
どんなに苦しい時も自分自身を振り返れるかどうかは大切なことだと思う。
11月29日(水)
3年ぶり(?)に高校時代の友人からTelをもらった。
仲間内での同窓会お誘い&結婚のお知らせでした。
「あぁ〜、もうそんな歳なんだなぁ」と思いつつ・・・(遠い目)
Telが3年ぶりだったのは彼女にもれいごんにもお互いにいろんなことがあったから。
人を疑ったり、恐れたりしたことのなかった人でも
ちょっとしたことから人間不信に陥ることも。
彼女の身にどんなことが起こっていたのか、詳細はわからないけれど
彼女はそれを乗り越えた。
そして、これからの人生を共に歩みたいと思える相手に回り逢えたことを
私も心から嬉しく思う☆
 
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