〜 れいごんのつぶやき 〜 すこしばかり触れてみませんか? よかったら そっと教えてください 知らないのに言葉にするのも・・・ と、ためらう。 同じ人たちが入れ替わり、立ち代りではないから、 どこででも、どのタイミングでもきっと0からなんだと思う。 かといって、ずっと0のままではないんだけれど。 一度では感じられないほどかもしれなくても 確実に積み重ねていく。 その瞬間には感じ取れなくても、 それ以外の瞬間やタイミング、 もしかしたら思ってもみなかったような場所で 気付くことができるかもしれない。 常に前に進めるわけではないし、 後退したり、堂々巡りになったこともあったように思うけど。 その度ごとに感じ取ったことも、考えたことも 見えた景色もあったから。 これからも同じだと思ってる。 例え時間がかかっても。 もしかしたら、一生かけても答えは出ないのかも。 実感を伴って当人が感じられるのが最良かもしれない。 でも、それが全てではない。 トンネルの中にいる時は見えなくても 抜けた後には必ず見えてくるから。 もがかせたくない。 それも正直な気持ち。 飲み易くするためにいつも噛み砕いてくれるわけでも。 ただ、それでかまわないと思ってる。 それでも望んでいるのだから。 もう少し、時間をあげようよ。 今でも、今がそのタイミングだとは言い切れない。 だから直接届けない形で言葉にしようと。 その仕草にはっとした。 瞬間、2年前の倉敷、福岡を思い出した。 何かあったのだろう、 何か抱え込んでしまったのだろう、 そう思わずにはいられなかった。 自身に向けられたその想いが また自身を傷つけることになりそうで。 そんなに背負わなくても、 抱え込まなくても、と思わなくもない。 それでも、これまで出会ったものが、 感じ取り、抱えてきたものが、 表現し、歩んできた道全てがあったから 現在(いま)のあなたが在る。 在りたいと願うその姿にすぐに辿り着けなくても そんな自分を責めないでほしい。 時には少しだけ預けられたら・・・とも思うけど 難しそうだから。 いつか、見つかればいいなって思うよ。 ひとつ越えたつもりでいたから、 またひとつ長いトンネルの入り口に立った気もした。 だからといって悲観しているわけではなく、 これからも・・・と覚悟はしてきたことだから。 あまりの突然さに驚かなかったわけではないけれども、 大丈夫。 見失ったりはしないから。 今までと変わらず、ここにいるよ。 自身だけによって創られたものではなくて 歴史の積み重ねでもあり、 自身と関わり、育ててくれた 全ての人やものたちによるのだと思う。 生まれ持った素質や気質もだけれども 出逢った全てのもの、 そのタイミング、 それらをどのような環境や状況で受け止めたのかetc. ということによっても その先は異なるのではないかと。 いろいろなことを感じられたり、伝えられたり とてもすばらしいことだと思うし、 生きていることを実感できる瞬間でもある。 ただ、感じたこと、伝えたいことを 感じたから、伝えたいからと 一方的に投げかけることになっていないだろうか? 受け取ってほしい相手がどういう状況にあるのか、 現在(いま)が受け取れるタイミングなのか、 少し時間が必要なのかを私は考えたい。 大切な人だからなおのこと。 悲観するのではなく、 私たちにとっては”ただ一人” 立場が違えば”多くの中の一人”。 同じようにはいかないから、 受け止めるほうも大変だよ。 甘いのかもしれない、 一般的には受け入れてもらえるものではないのかもしれない。 それでも時に待つことも必要であると思うし、 そうであってほしい、そうありたいと願う。 はたと気付いたり、、 追々、2005のページも作らないとね。 たまたま、今日、知ることになったのか、 満を持しての質問だったのか。 どちらだとしても隙間から不安が見えてる。 そんなに恐れなくても取って食べたりしないのにね。 いろいろな考え方の人がいて、 それぞれが想いを語ることができて そういうものをぶつけられる、ことに意味を見出したい。 繰り返される言葉に裏が見えたり、見えなかったり、、 ”ひとの価値”なんて何で決まるものかわからない、 誰かに決められるものでもない、 決める必要さえない。 優劣という尺度でしか測られてこなかった傷跡が深いね。 そして多くの人の中に同じような思いがあるという現実。 気付かないだけで、また、自身もそうなのかもしれないけれども。 見ているつもりで見えていなかったこと、 気付いているつもりで気付いていないこと たくさんあるね。 自分の思う自分と他人から見た自分 どちらも自分であることには変わりはないのに 埋まらない溝があることも。 それを気付かせてもらえるかどうかは そこまで向き合ってくれる誰かがいるかどうか、 その誰かの言葉を受け入れられる自分がいるかどうか。 自信を持つのは大切なことだけれど 自分が全て正しいとは限らないから。 冷静に、客観的に自分を振り返ること忘れずにいたいね。 その重みも十分に感じているから その温度差に驚く。 伝えたいことがあるのなら 向き合うべきだったことに 未だに気付いていないのか、 気付いたからなのかは わからないけれど。 過ぎた時間も選んだ道も戻らない。 戻れない。 自身の選択を信じて前に進もうよ。 その道を引き返さなくても 目の前には新しい道も次なる道もあると思うから。 無理だと思っていたから嬉しかったよ。 これからも、どんな形であっても変わらずに この日を迎えていると思う。 迎えたいと思う。 自身の歴史として刻み込んでしまったから これだけを消し去ることはできないから。 また、こんな風に過ごさせてもらえると嬉しいんだけれども。 時間が経過しても変わらずに残っているものがある。 短期間であっても心に残っている。 向き合う姿勢、その後姿。 久しぶりの再会に、 当時は見ることのできなかった姿に 当たり前だけれど”鉄人”ではなかったことを確認しつつ、 ちょっと身近に感じられたりして。 それでも、今でも向き合っている姿勢、 戦っている姿を見た。 当時からすごい人だと思ってはいたけれど やっぱりすごい人でした。 そんな後姿を見せていただけたことに感謝しつつ、 自分の後姿も正せるように。 そうすることで抱えなくてもいいものも抱えそうな気もするけれど、 また新しい葛藤を招くかもしれないけれど。 それでも、その選択なら見守る。 これからももがいて行こう!! この先にどんな光景が広がっていても その光景を見たいと願うから。 本当に信じられなかったのは自分自身? 少し自身を信じられるようになるだけで それまでの壁を乗り越えられることもある。 そして余裕も。 こんな風に少しずつ変わっていく様をこれからも見続けたい。 他にも方法があるにしても、簡単には・・・(笑) それでも変わらないものがここにあると信じて。 押し寄せては引く波のように さーっと引く、どこか安定しない感覚。 初めてではないから、その後の展開もなんとなく・・・ 叫んでも届かないことも、 表出しているものが周りに広がっていかない感覚も。 少しの苦い感覚とともに蘇る。 責めるつもりも、非難するつもりもない。 ただ、残っているのは悔しさ。 自身では火をつけられない、 いつの間にか周りの空気に飲まれてしまう、 どうすることもできない自分自身。 一歩、前に進めたつもりでいたのに その一歩が進めていなかったことに気付く。 それでも考えてしまうのは きっと方法は一つではないということ。 現在の選択の理由も、 恐らくはそのリスクを覚悟した上であろうことも わからなくはないつもり。 ただ、投げかけたものが返ってくる形が ”悲鳴”であることは望まない。 信念を曲げる必要はない、 愛想を振りまく必要も。 ただ、萎縮に繋がったり、 次回を躊躇うことにはなってほしくないから。 そこで提案 会場にてその時を迎えるまでに心の準備の時間をあげられたら、と。 個人的にはチケットと同封、 もしくはチケットの裏に ”想い”が綴られていると違うのかな、なんて。 まぁ、無理なのは承知で(笑) 向き合い方になんら違いはないはず。 その状態が健康であろうと、そうでなかろうと。 ベースを使い分ける必要もない。 決して、特別なことではない。 『わかろう』とすること。 『わかりたい』という想い。 矛盾が全くないなんてこともない。 互いに波もムラもある。 矛盾を完全に取り去ることはできないし、 きっと取り去ることが必要なのではない。 矛盾を黙認するのではなく、 必要なのは「もう一歩進むことができるかも」という後押し。 相手が向き合えない形で突き付けたところで その後の展開が期待できるとは思わないから。 必死で自分を守ろうとしているところに 脅威を感じさせる方法をとったところで そこから何かが生まれるのだろうか? 同じほどの傷を誰かに負わせたいとは思わない。 その傷の痛みも痛みの重みもわからなくはない。 経験のないものでも推し量ることはできるから。 どんなに痛いところを衝かれても、どんなに図星でも 自分を守るために誰かを傷つけないで。 そうして自分を守ろうとすればするほど 傷を深めてしまうような気も? 自分のまいた種でも刈り取れないことある。 自身のことだからこそ向き合えないことも。 誰も完璧を求めているわけではない。 誰かを責めることで自分の中の大きな穴を埋められないよ? それでも、あからさまにあるのもどうかと思ったり、、 そんなものを垣間見ると恐ろしさを感じずにはいられない。 表裏があることを仮に仕方がないこととしても それを相手に見せる必要もないような。 わざわざ表を取り繕ってくるのなら 裏は見せないでください(笑) というか、表を取り繕うのなら 裏を隠し通すくらいの覚悟をもって、表だけで貫き通してほしい(爆) まぁ、当人は隠し通せてるつもりかもしれないのだけれど・・・ 気付かれてることには気付いてない、、よね? うっかりや思わずのアクシデントは付き物。 起こってしまった結果は仕方ないとして、 その後のことは起こってしまったことよりも それにどのように向き合うかという姿勢。 誠実さが伝わるだけで また新たなものへと繋がっていくこともあるのかも。 ただ、起こってしまったことを受け止められなければ 向き合えないね。 信頼を失ってしまうようなことにならなければ、と思うけれど ここからどんな道を選ぶかは 第3者にはどうすることもできないのだから。 常に隣り合わせのように そのラインを行ったり来たりしていたのだから。 土壇場になってみないとわからないことは多いらしく 想像もしなかったものが見えてきた。 一般的には明らかに当たり前かもしれなくて それでも、当たり前ではないことを 心のどこかできっと気付いていたから。 一般的に当たり前とされるところから外れていなくて安心したかも(笑) きっとこれからもそのラインを行ったり来たりするだろうけれど(苦笑) 今回見えたことを忘れずに心の中にしまっておくよ。 その間、いろんなことが頭を巡って。 寿命というものが生まれた時から決まっているものなのか、 生き方によっては変えられるのか、、 それはわからないけれど。 私にはあとどれくらいの時間が残されているのだろうか? この数年間、見送りながら考えていた。 意識していないだけで誰にもあって、 見えていないだけで必ずやってくる ”時間の終わり” 自分が向き合うことになった時に何を思うのだろうか、と。 嘆くのか、ほっとさえするのか、そんなことすらかすめた。 向き合ってみると思いもよらなかったものが見えてくるかもしれなくて。 その見えたものに驚きさえ感じるかもしれないけれど。 きっと本当の思いが見えるね。 そこで見た、その想いをプラスにできるようになりたいと心から願うよ。 ![]() |