2002年
1月1日(火)
あらら、ここも久しく更新してなかったんで
ひとつのページに中に一昨年のものまで、、(汗)
近いうちに更新したいものです。
日々の慌しさに追われて
改めて振りかえって心を表現することが少なくなってきているような、、
かなりのエネルギーを消耗することもあって
ちょっと上手くいっておりません。
ここをもう少し整理して
れいごんの日常から少し離れて
違った視点でのページにできればと。
1月10日(木)
「心を病むってどういうこと?」(朝日新聞)
御本人が実名で心を病んでからの葛藤を綴ったものとして
この本のことが紹介されていました。
患っているか、いないかに関わらず、
『性格』というものは
その人がそれまでに歩んできた人生を映すと思う。
もちろん、もって生まれた”素質(傾向)”はあるけども。
人間は十人十色。
性格によっては好かれるもの、
人に迷惑をかけてしまうもの、
排除したくなる(されそうになる)ものも。
人として生きていく以上、
人と関わり続けることは避け難い。
巻き込まれて感情的になって終わるよりも
そうなるに至ってしまった経過に目を向けたい。
簡単なことではないけれども
心からそう願う。
ちゃんと向き合ってくれる、
一人の人間として気にかけてくれる。
そんな存在があること、
とても大切なことだね。
近いうちに読んでみたい本の1つです。
1月12日(土)
『心を病む』ということは
可能性として、誰の身にも起こりうること。
もちろん、性格の傾向(素質)や環境、
ストレスになる出来事の影響はあるけれども。
心が風邪をひきやすいタイミングの1つに
環境の変化や喪失体験(大切なものが失われた)などがあります。
外の世界との接触を断ちたくなったり、
ストレスから自分を守るような「休養」が必要になることもあったりします。
「休養」の終わる時期が見えないことが不安でもあり、
ご本人やご家族に重く圧し掛かることも。
「休養の終了」までに要する時間は周りの人間が思っているよりも
ずっと多くの時間を要するのかもしれません。
けれども、共に楽しんだり、悩んだり、
解ろうとしながら一緒に過ごした時間は
「見守られている」感覚として残ると思う。
1月19日(土)
不登校の状態にある中学生の書いた『詩』を。
そう、そうだよね。
その言葉、突き刺さって痛いよ。
その思いに、言葉に辿りつくまでに
どれだけのエネルギーを必要としたのだろう。
どれだけの時間がかかったのだろう。
その思いに辿りつけたことで肩の力が抜けたかな?
少し、楽になれたよね。
どれだけ時間がかかっても、
どんなに回り道しても、
自分でそこに辿りつけたこと
かけがえのない宝物になるから。
2月5日(火)
ここ最近のDailyを振り返りつつ、、
表現の仕方というか、伝え方というか。
まだまだで。
無意識の部分で縛られている自分に気付く。
れいごんが目指すもの。
上手く言葉で表現できないし、
果てしなく遠いような気もする。
たくさんの乗り越えるべき課題があって
いつまでたっても前に進んでないような気持ちになることもあるけども。
それでも、いつか。
近付いてみせる。
乗り越えてみせる。
本当に向き合うべき相手は自分自身でもあるのだから。
2月10日(日)
報道特集にて。
精神分裂病を抱えながら地域で生活する方や
その方々を支える人々(ベテルの家:北海道)のことが紹介されていて。
”自分のことを語れる場”の必要性を改めて、切実に感じる。
リストカットの傷痕を見て
「(現在の自分を)頑張ったなって思う」といった彼女の気持ちわかるような気がする。
そこまで追い詰められても生き続けていること。
そのこと自体が”自分の頑張り”なのだから。
そんなに自分を追い詰める形ではない”頑張り”も世の中には存在するのに
簡単に他の方法へと変えられるほど器用ではないから。
それでも、”頑張ってる”と、生きていることを認められること
とっても大切だし、必要だと思うよ。
今までにそんなことを考えたことのない人には
「??」なことかもしれないけれども。
2月23日(土)
『NHKスペシャル 車椅子から立ちあがれ』
ある医師の取り組みと
それを取り巻く病院、看護・リハビリ・介護の現状を。
脳卒中を発症後、身体障害を抱えたCl.が
残された人生をいかにその人らしく生きられるか。
が、大きく取り上げられていて。
一括りに『リハビリ』といっても職種はさまざまで。
その人らしく生きていけるように
それぞれの職種が必要な援助をチームで提供していくもの。
リハビリだけに関わらず、看護も介護も。
学生の時に学んだ理論・理想と現実とが
なかなか一致しづらい一面もなきにしもあらず。
マンパワーと時間的な問題はずっとついてくると思うけども。
『誰のためか』という中心にいるCl.のこと、
基本を忘れずにいたいね。
嘆くだけで終わらせないように。
現状の中でもできることはきっとあるから。
4月12日(金)
『子育て』についてのTVを見てたり。
科学的に裏付けられているものも、
そうでないものもあるけれども。
どんな方法にも通じるものがあって。
痛くても逃げることなく向き合ってくれる、
”良いことは良い”、”悪いことは悪い”と言ってくれる。
そんな存在の大切さ、感じずにはいられないよ。
ちゃんと”悪いことを悪い”って言えてる?
ちゃんと言ってもらえてる??
といっても、なんでも批判することが愛情だなんて思ってないよ。
もちろん、相手のことを思いやる気持ちは必要で
その言葉からどんな風に思っているのかは伝わってくるから、ね。
多くの場合はごく当たり前に
自分を取り巻く環境の1つにあって。
そんなこと”考えたことがない”なんて聞こえてきそうだけども。
そんな当たり前のことが
”当たり前には与えられなかった”時に残るものは?
日常を送る中でなかなか気付かないような
視点や世界があること、伝えたい。
何が正しくて、何が間違っているなんて、ない。
ただ、その子にはその子の感じ方があって
その子の親には親なりの育て方があって。
それが噛み合っているかどうか、、
そこを見つめなおす勇気が必要なんだと思うよ。
5月10日(金)
朝からバタバタと。
すべきことが盛りだくさんで一息つく暇もなく、、
これまで担当してきたグループを引き継ぐにあたって
そのグループへの思い入れがあるほどに説明に力が入り、、
自分の中でつくりあげてきた考え方や方向性を
押し付けるつもりはなくても、押し付けてるのかも。
自分の手を離れた時点で次の担当者を信じて
任せることが簡単そうで難しかったことに気付いたわ。
そして、新人だったれいごんに
それまでのグループを任せてくれた担当者の想いにも。
5月21日(火)
ふいに触れた言葉になんとも言えない気持ちに。
本人の『自己陶酔』だと思われてしまう節がないとは思わない。
けれども、その痛みは体験した者にしかわからない、のかもしれない。
もちろん、その立場や気持ちを推し測ることはできる。
それでも、それに近い経験がなければ共感することはないのかも。
もしくは、近い経験があったとしても乗り越え方が違えば
きっと全く違うものにさえ捉えられるものだと思うから。
同じ出来事に遭遇したとしても受け取り方は人それぞれ。
それをどうこう言うつもりではなく、
『どうしてそう思うのか。そんな風に感じてしまうのか』を
大切にしたい。
社会生活を営む上では、もしかしたら『甘い』のかもしれない。
けども、”上手く”生きることが良いことだとは思わない。
でも、少しでも”生きづらさ”が軽減されればと思うから。
6月6日(木)
いつから『向き合う』ことができなくなっていたのか。
自分が求める自己像がいつのまに現実の自分と
かけ離れてしまっていたのか。
目標が高すぎて、一足飛びには上れなくて、、
背伸びをしてると足が攣りそうだったのかな。
でも、手が届かない自分を認めることはできなかったね。
”努力すれば乗り越えられるもの”から
”努力しても乗り越えられないもの”に変わってしまったことに
気付いていただろうか?
乗り越えられないような気がすればするほど
いつのまにか背をむけてしまっていたんだろうね。
あるとき、向き合いきれずに逃げている自分に気付いて
どれだけの落胆があっただろう。
全てを諦めてしまいたくなったこともあったんじゃない?
それでも少しずつ、自分なりの向き合い方取り戻せたね。
本当の意味で”自身を認める”ことの大切さに気付くことができたよね。
上手くやれない自分を”許し”たり、
結果が出なくても”頑張った”自分を認めてあげられること。
それが大切だったってことに気付いた時に
やっと肩の力が少し抜けたかな。
そこに辿りつくまでに支えられた人達や物への感謝と共に、
頑張ってきた自分を誇りに思っていいよ、ね☆
6月12日(水)
”自分の気付いていなかった自分”との出会いは、
時に受入れがたいようで。
直視できない場合には無意識の中に押し込んでしまうことも。
”無意識”なだけに、まるで自分のことではないよう、、で。
向きあって、自分の姿を認めること
楽な作業ではないけれども、いつかは必要になってくると思うよ。
そしていつか自分が捕らわれていた価値観を転換できた時、
その価値観から解き放たれた時に新たな一歩が
踏み出せるんだと思う。
そこに辿りつくまでは長い道のりかもしれない。
けれども、きっかけはきっとほんの些細なこと。
模索しつづけた人だけがそれまでとは違う視点を持てるのかな?
6月24日(月)
”〜すべき”とか、”〜してはいけないとか、”
求めているのはそんな言葉ではなく。
気付いてほしいのは
”どんなことをどのように感じるのか”ということ。
”ありのまま”を受け入れるということ
できそうで、なかなか、、
無意識のうちに捕らわれてしまっている、ね。
ちょっと視点を変えてみよう。
”どうしてそう思う(感じる)の?”
こころに耳を傾けることで
少しだけ身近な存在になるよ。
6月28日(金)
”聞いたことはあるけれど”というところ。
まるでどこかの国での出来事のように。
それまではきっと身近な存在ではなかったのかも、、
何が良くて、何が悪かったとか、
そんなことではなく。
”どれだけ向き合ってきたか”だと
改めて心からそう思ったよ。
どれだけ向き合おうとしてくれてるか、
無意識に確かめてるよ、ね。
いくら”その人のため”といったところで
捕らわれていることはすぐに伝わってしまうよ。
それに気付くのがもっとも難しいのは
捕らわれている本人自身なのかな、、
 
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