お経から学ぶ



お経の意味を理解出来なくて、現世利益は有る。
と言いつつ”お経から学ぶには、お経を理解する必要があるのでは?”と思われるでしょう。
そうですね。座禅は誰にでも出来る。と言いつつ作法が有るのも確かです。

座禅で悟りを得るも良し、農作業の中で悟るも良し…。

六祖慧能は出家前、街で薪を売っていたそうですが、
たまたま耳にしたお経で悟りを得たそうです。
悟りとは何か?それがお経と関係有るのか?
なんて、少なくとも私は悟りを開けていない”凡人”なので、一緒に考えたいですね。^^;


1.お経から学べるとしたら…。

何度も言うように、お経は元々釈迦の説法を書物にまとめたものです。
釈迦は”苦の真理”以外のことを説かなかったそうなので、
(それ以外の質問には、何も答えなかったそうです。)
お経を本当に理解出来たら、”苦からの脱却”が可能なのかも知れません。

もしも今、釈迦が教えを説くのなら、もう少し易しい表現で説明するのでは?
という意見が有るくらい、お経の文言とは難しいのものです。
生きていくこと、老いること、病気になること、死ぬこと。
愛する人と別れる、嫌な人と会う、欲しい物が得られない、健康であるが故に落ち着かない。
このような事象を苦しいことだと感じられたら、それが普通の人間なのだと思います。
”本当は苦なんて無いのです。あなたの自我が勝手に苦を作っているだけなのです。”
凡人がそのような真実を理解出来るように、という意図で、釈迦は教えを説いたそうです。


実のところ私は、お経がそのような意図で書かれた書物だとは知りませんでした。
お経から学べるものが有るとしたら、苦の本質や苦からの解脱方法なのですが、
それを学んでも実践が伴わないと、苦からの解脱は出来ないようです。

”私は患者に対して処方箋を出しますが、それを飲むかどうかは患者次第。”
これは寿量品偈の一節です。
学ぶということの意味を、もう少し整理したいものですね。



2.お経から学んだこと。

実のところ私は、お経が何かを教えてくれるのでは…と思っていないのです。
ただ無心にお経を読誦するだけで、苦が和らぐ”現世利益”を体験をしているだけです。
(車のエンジンで、何故連続燃焼が起るのか?を知らなくても、車の運転はしています。)
だからお経から学んだのは、”お経を読誦すると苦が和らぐ”ことだけなのです。
お経が”苦の本質”と”苦からの解脱”を説いていることは、最近、知ったことです。
いくつか例をあげるなら、

【般若心経】照見五蘊皆空。度一切苦厄。
       五蘊は全て空だと知って、あらゆる苦しみから人々を救った。

【普門品偈】観音妙智力。能救世間苦。
       観音様の不思議な智慧の力が、世間の苦しみから救ってくれる。

【寿量品偈】我亦為世父。救諸苦患者。
       私もまたこの世の父として、あらゆる苦しみにある人を救う。

【修証義 】苦にありというとも楽にありというとも、
       早く自未得度先度佗の心を発すべし。

【仏遺教経】若し諸々の苦悩を脱せんと欲せば、
       当に知足を観ずべし。

これらの言葉を無意識にでも毎日のように唱えていれば、
不思議な安らぎや安心感を得らるのは、当たり前なのかも知れません。



3.お経が教えてくれる言葉。

苦の本質や苦からの解脱方法だけでは無く、お経には沢山の”智慧”が書かれています。
勿論これは、”処方箋”なので、実践を行なってこそ…なのですが、
知っているだけでも、多くの会話を楽しくする言葉が有ります。
修証義と仏遺教経に書かれている”言葉”の中から、あれれ^^;が好きな言葉を紹介します。

【 修証義より 】

【最勝の善身を徒(いたず)らにして露命を無常の風に任すること勿(なか)れ。】
  尊く素晴らしい御身をお持ちなのだから、日々を虚しく過ごして、
  露のようにはかない命を無常の風にゆだねてしまいませんように。

【悪を造りながら悪に非(あら)ずと思い、
 悪の報(ほう)あるべからずと邪思(じゃし)惟(ゆい)するに寄りて
          悪の報(ほう)を感得(かんとく)せざるには非ず。】
  過ちをつくりながら、過ちではないと思い上がり、
  過ちの影響力を否定し、よこしまな考え方にこだわって、
  過ちの影響力に染まるべきではありません。

【一者(ひとつには)布施(ふせ)、二者(ふたつには)愛語(あいご)
     三者(みつには)利行(りぎょう)、四者(よつには)同時。】
  布施とは、貪らないこと。
  愛語とは、心を満たす言葉で接すること。
  利行とは、助けあう喜びを持つこと。
  同時とは、逆らわないこと。

【光陰は矢よりも迅(すみや)かなり、身命は露よりも脆(もろ)し、
                ……過ぎにし一日を復び還し得たる。】
  時間の流れは矢よりも速く、人の命は露よりももろいのです。
  ……過ぎてしまった一日を取り戻すことは出来ません。


【 仏遺教経より 】

【諸(もろもろ)の飲食(おんじき)を受けては、当に薬を服するが如くすべし。
 ……蜂の華を採(と)るに、但(た)だ其(そ)の味(あじわ)いのみを取て、
                          色香を損せざるが如し。】
  いろいろな飲食をいただくときは、薬を服用するように頂きなさい。
  ……蜜蜂が花から蜜をとるときに、ただその蜜の味だけをとって、
  花の色や香りを損なわないようなものです。

【多欲の人は利を求むること多きが故に苦悩も亦(また)多し。
 ……小欲(しょうよく)ある者は則(すなわ)ち涅槃(ねはん)あり。】
  欲望が多い人は利益を求める気持ちが多いので、苦悩も多いのです。
  ……欲望が少ない者には静けさがあります。

【寂静(じゃくじょう)無為の安楽を求めんと欲せば、
 当(まさ)に憒閙(かいにょう)を離れて独処(どくしょ)に閑居(げんご)すべし。】
  損得を忘れた静かな世界の安らぎを求めたいと思うなら、
  騒々しく無秩序なところから離れて一人住まいで静かに暮らすべきです。

【若(も)し諸(もろもろ)の苦悩を脱せんと欲せば、
        当(まさ)に知足(ちそく)を観ずべし。】
  もしも色々な苦悩から抜け出したいと思うならば、
  まさに足るを知ることを観察すべきです。

【若(も)し勤めて精進(しょうじん)すれば、
   則(すなわ)ち事として難(かた)き者なし。】
  努め励んで心をこめて進む努力をすれば、
  物事として困難ということは無いでしょう。

【善(ぜん)知識を求め善(ぜん)護助(ごじょ)を求むることは、
              不妄念(ふもうねん)に如(し)くは無し。】
  よき導き手を求め、よき道の友を求めたいと思うならば、
  心の方向を忘れないことです。



4.お経から学んだのは”実践?”。

書店には色々なお経の解説本が有りますし、
般若心経や観音経は、単行本での解説書まで有ります。
”宗教・仏教”という書棚に置いてあるので、私も最初は少し躊躇したのですが、
最近は書店の入り口付近に別枠のコーナーを設けている書店も有るようです。
確かに解説本を読めば、お経に何が書かれているかは分ります。
しかし”お経には何でこんな事が書かれているのか?”を考えると、本当に難しいです。

作家の五木寛之さんは、50歳になってから大学で仏教の勉強をしたそうですが、
それくらいに”釈迦の教え”は難しい言葉で伝えられています。
お経の参考書を読んだくらいのことで、それを理解しよう…なんてのは虫が良すぎる話。
”お経の意味を調べれば、釈迦の説いた智慧を学べるのでは?”
私も当初はそんなことを考えていたので、すぐに挫折しました。

元々、釈迦の教えは全て、”口伝え”だったらしいのです。
文字にすると伝わらないもの…って有りますよね。
(例えば新聞だって、記事を書く人の主観が必ず入っていますから…。)
お経の意味を調べることは、”あの月を見よ!”と指差す、”指”を観察するようなもの。
それなら難しいことは考えずに、読誦するだけで得られる”現世利益”に感謝する。
難しいことばかり考えていて何もしないよりは、例え無意味でも”実践”の方が健康的です。



実は最近になって五木さんが出演したNHKのドキュメンタリー番組を観ました。
はっきり言って、”ショック”を受けました。
釈迦の人柄や行いも知らずに、何が悟りだ功徳だ…と。
そんな思い上がりに気付いてから、私はあまり”お経の意味”を深く考えなくなりました。
それで良いのかどうかは分らないですが、このHPを作るにあたり、
”お経の意味を知らなくても、お経読誦の良さは紹介出来る。”
と思えるようになったのも確かなのです。
(”どうやって説明しようか?”と考えているうちは、HPなんて作れませんから。)
まだまだ”悟りの世界”には辿り着けませんが、これからも日々精進です。^^;


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