運営担当の独り言


モルデハイ・バヌヌさんに会えました!

− 2005年8月、ヒロシマ訪問に向けて −


 しばらくの間、このHPを更新することができず申し訳ありません。表紙に書きましたように、4月16日から24日までイスラエルに滞在していました。詳しくはまた、報告会などがあれば、撮ってきたビデオを交えながら詳しくお伝えすることができるかと存じますが、ここではできるだけ手短に述べます。

 4月21日、モルデハイ・バヌヌ氏に直接、会うことができました。ただし当日、午前11時過ぎにアシュケロンのシクマ刑務所から釈放された時、彼は車に乗っていたのでものすごい人ごみの中、支援者の位置からはとても彼の姿を見ることさえできませんでした。しかし、支援者の間で交わされていたかねての約束の通り、秘密の場所でついにその夜、彼に会うことができました。(イスラエルのメディアにはばれてしまったようですが…)

 写真でしか見ていなかった彼が確かにそこにいました。想像したよりも小柄でしたが、自らの信念を貫き通してきた強靭さがうかがえました。多くの支援者が彼と抱擁し、言葉を交わしました。私などよりずっと長く10数年も彼を支援してきた人々もそこにいました。溢れる思いがどっと流れ出て、バヌヌさんにそれをぶちまけているような人も居ました。私のようにたかだか5年ぐらいしか支援してこなかった人間がここにいてもいいのか、という気さえしてしまいました。彼を取材したサンデー・タイムズの元記者、ピーター・ホーナム氏もそこに居ました。彼は泣いていました。無理もありません。彼はバヌヌ氏を取材した後、バヌヌ氏をきちんと保護できなかった会社を批判して辞め、フリーランスを続けてきた人物であり、バヌヌ氏の事件によって自らの人生を大きく変えた1人だからです。

 私とバヌヌ氏とは抱擁して、自己紹介を含め、少し言葉を交わしただけでした。彼は「広島へ行く、と日本の人々に伝えてくれ」と言いました。その後、近くにいた弟のメイヤー・バヌヌ氏に「この機会を与えてくれて有難う」と言うと、彼も涙ぐんでいました。彼は家族と共にいました。モルデハイの甥もいます。モルデハイが投獄されている間、この家族たちに降りかかってきたことを想像すると、本当に言葉に尽くせません。

 バヌヌ氏は祝賀会でのスピーチで、核廃絶とイスラエルによるパレスチナ占領の終結を訴えました。しかし現在、彼に課されている制限措置が解除されて、更に多くの人々が彼の声を聴けるようになるにはまだまだ多くの障害があります。海外渡航禁止は1年間だけ、という報道もありますが、今、一番懸念されているのは彼の身の安全です。刑務所前で私が経験した右翼たちの憎悪のすさまじさは何とも形容しがたいものでした。私や他の支援者もあおりを食らい、生卵の洗礼を受けました。

 別のページにも書きましたが、私への手紙の中で、彼は2005年8月、被爆60周年に広島を訪問することを希望しています。海外の支援者たちも、その訪問によってバヌヌさんが自由になった証として活動のフィナーレを迎えることを期待しているようですし、その後、バヌヌ氏に会った支援者も彼が大いに乗り気であることを伝えてきています。今の所、具体的な招聘プランは立っていませんが、御協力いただける方はどうか末尾のアドレスまでメールしていただければ幸いです。

 「中東でヒロシマを繰り返さないために」彼は危険を冒して行動し、11年半の独房生活を含む18年の懲役刑を耐え抜きました。ならば、ヒロシマ・ナガサキを世界に訴えてきた日本の人々は彼に対して一体、何ができるのでしょう?


前号「イスラエルにとっての厄介者」はこちら





ここで述べられたことは、アムネスティの方針や目標を必ずしも反映したものではありません



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