鋼騒妖異譚 第五話『移動』




 一方、かなめを手に乗せたまま疾走していた<シャーマン>の眼前で、光の門が開いた。
 そこから現れたのは――
「よぉ、ソースケ。やられちまったい」
 少し焦げ気味のクルツだった。
 個人用の転移符で脱出したのはいいのだが――傷は、深い。
 意識を保っていること自体が不思議なほどの衝撃だ。そしてそれは身体だけではなく、心にまで浸透している。
 恐怖という名の、衝撃が。
「ソースケ。確かに奴はやばいわ。何せ――」
 微かに震え、クルツは呟く様に――
 信じられなかった光景を、告げた。
「マオ姐の爆殺界が効かなかった」
「何?」
 まさか。
 その言葉を宗介は飲み込んだ。
 クルツが、今、この様な姿で目の前にいる。
 それがクルツの言葉が真実である証明だ。
 マオの持つ、最大規模の術式――神炎・爆殺界。
 それは聖なる炎を呼び出し、異形の者を全て焼き尽くす炎の結界だ。そしてその炎はザードさえも焼き尽くし、灰も残さない。
 ――その筈だった。
 しかし、その爆殺界が効かないなど――
 不安がよぎる。
「エルブンボウもなーんも効きゃぁしねぇ。そのくせ奴の妙な武器はこっちの結界陣を切り裂いてくれるんだから――嫌になったぜ」
 そして――その不安は、実体となった。
「ああ、確かに嫌になる・・・」
 レーダーサイトに浮かぶ光点が凄まじい速度でこっちに向かっている。
 ステルスなど容易いことだろうに、敢えて姿を見せている。
 このやり口――狩りの相手に、恐怖を、ただひたすら恐怖を与えるためのこのやり口。
「何を使ったかはわからん。式では無いのは確かだが、奴が――」
 宗介は、その男の名を口にした。
「ガウルンが、近付いている」
「んなアホな?」
 しかし、それは現実だ。
 今もなお、光点は近付いている。――自らの姿を消すことなく。
「・・・仕掛けられたんだろうな。多分」
「・・・すまねぇ」
「謝っている暇はないぞ。クルツ、千鳥を連れて逃げろ。俺が時間を稼ぐ」
 宗介は<シャーマン>の操守槽を開き、外に出た。
「!何バカ言ってんのよ!」
 かなめはいきり立つが、宗介は無視。
「クルツ、俺たちの任務は何だ?」
「千鳥かなめの――護衛」
 宗介は頷き、<シャーマン>を指さした。
「クルツ、<シャーマン>を使え。俺は自分で何とかする」
 嘘だ。
 とクルツの唇が動いた。
 逃げられるはずがない。
 あんな化け物から、逃げられるはずがない。
 一緒に逃げるべきだ。
 そう言いたくなる。
 しかし――任務は遂行しなければならない。
 二律背反。
 クルツは顔を歪ませた。
「ぐずぐずするな。早く行け」
 しかし宗介はそう言って駆け出した。
 止めることも出来ないまま、駆け出した宗介を――
「待ちなさいよ!」
 かなめのドロップキックが吹き飛ばし、さらにげしげし踏みつけて、クルツをびしっと指さした。
「あんたら、当の本人放ったらかして二人して納得してんじゃないわよ!」
 宗介とクルツは一瞬気の抜けた様な顔をし――笑いかけたが、現実はそれを赦さない。
 ガウルンが近付いている。
 その現実はあまりにも重く、絶望的だ。
 宗介は唇を噛み締めると、グロック=Sorcery Custumをかなめに向け、額をポイント。
「何をするつもりなの・・・?」
「ソースケ、何をする!」
 かなめとクルツの問いに答える様に、宗介はトリガーに指をかけた。
「ここで俺に殺されるか、それとも逃げるか。
 前者なら苦しむことなく殺してやろう
 後者なら<シャーマン>とクルツを護衛に付けよう。
 さぁ、決めろ」
「ねぇ・・・嘘でしょ?冗談でしょ、相良くん?」
 しかしかなめは――薄い笑いを浮かべたまま動こうとしない。
 だから宗介はトリガーを引いた。
 放たれた銃弾はかなめの髪を掠め、後ろの樹を砕いた。
 かなめの目が見開かれ、宗介を見つめ――
 宗介はトリガーに指をかけたまま、鋭く叫んだ。
「迷っている暇は無いんだ、千鳥!」


「迷っている時間は無いんです、マデューカスさん!」
 テッサの鋭い声が響いた。
 先ほどようやく連絡が付いたマオの、切迫した声。
 とぎれとぎれの通信の中で聞こえた、『アルソフォカスの異界』『爆殺界を無効化する異形の盾』等のキーワード。
 それらからテッサはある結論を導き出していた。
 その、謎のウィザードの機能を。
「しかし!」
「あなたは通信を聞いていなかったのですか!サガラさん達が相手をしているウィザードには、多分あのシステムが――搭載されています」
 言いつのるマデューカスを一喝し――
「あのシステムを積んでいるウィザードの相手を出来るのは、同様のウィザードだけ」
 対抗手段を、口にする。
「だから、あの機体を――出します」
「あの機体――まさか?あれはまだ、試作段階で起動実験さえしていないのですよ!?」
 マデューカスの言うとおり、その機体を出すには不確定要素が多すぎた。
 しかし――
「何度言わせるんですか!迷っている暇はないんです!」
 そう、迷っている暇は無いのだ。
 さもないと――『ミスリル』は優秀な兵士を3人と、『巫女』であり、『囁かれた者』であるウィスパードを一人失う。
 それは――彼らにとって、敗北への一歩だ。
 だから、マデューカスも折れた。 
「・・・分かりました」



「追随型魔法陣、急げ!解呪対象は『アルソフォカスの異界』!間違えるなよ!」
 その『機体』を魔法陣の上に移動させ、整備班長は檄を飛ばした。
「我らが艦長はな、『無茶なお願いかも知れませんが、整備部の皆さんなら出来ると信じてますから』って言ってくれたんだぞ!整備魂、見せてみろ!」
 そしていきなり燃えている。
「・・・そりゃぁ、なんとかしなきゃ!」
 整備員全員が燃えている。
「よっしゃやるぞ野郎ども!」
「応!」
 彼らは一斉にキーボードの上に指を滑らせた。
 機体自体の整備は完璧だ。もしそうでないならこの様な作戦には断固として反対していたであろう。
 残った問題は――術式の付与。
 しかしこれこそが難題であった。
 起動実験すらしていない機体。
 果たしてそんな機体に術式を――しかも、追随型のそれを付与出来るだろうか?
 しかし、やるしかない。
 自分たちが何とかしないと、やたらと酒飲みの女伍長、やたらと陽気な軍曹其の壱、やたらと無口な、しかし信頼出来る軍曹其の弐がこの艦に戻れなくなる。
 それだけは避けたかった。
 何より、無口な軍曹は艦長に気に入られている様子で――正直、それが気に入らない輩もいるが――、もし彼が帰ってこなかったら艦長は泣いちゃうんだろう。
 女神の、涙。
 それは避けなければならない。
 彼らは無言で術式を調製し、付与していく。
 一つ。
 二つ。
 三つ四つ五つ六つ七つ八つ・・・・・・
 機体の周囲に幾つもの紅い文字が浮かんでいく。
「術式圧縮、成功」
 付与には問題はないらしい。
 あとは――次元解凍を仕掛けるだけ。
「時限展開術式、常駐、と」
 そう呟き、エンターキーを叩いて――息を吐き出す。
「おっけ、出来ましたっ!」
 整備士のその言葉が司令室に届くや、テッサの命令が響いた。
「トゥアハー・デ・ダナン、浮上準備!
 浮上後、転移魔法陣を展開、アーバレストを射出します」
 そう言い残し、司令室を出ようとしたが――
「ウィザードを転移ですか?」
 カリーニンの問いが足を止めた。
「普通に射出してたんじゃ間に合いませんし。それに詠唱は私が行います。それなら文句ないですよね?」
「・・・は。しかし、何故そこまで?」
 怪訝そうなカリーニンに、テッサは悪戯っぽい笑みで答えた。
「あら。私、負けず嫌いなんですよ?だって悔しいじゃないですか、私のウィザードがあんなのにやられっぱなしなんて」


 トゥアハー・デ・ダナンの艦首。
 そこにテッサは立っていた。
 風は強く、ともすれば彼女の身体は飛ばされそうなはずなのだが――彼女はしっかりと立っていた。
 深呼吸一つ。
 杖――術式展開用の巨杖を眼前に構え、テッサは精神集中を始めた。
 心が澄んでいき、形作るべき術式の姿が見えてくる。
 意志力で術式の設計図を編み上げ、そこに言葉を乗せていく。
 開門の、言葉を。
「彼の地に潜むは邪なる者
 邪を打ち砕くは聖銀の剣
 剣を振るうは機械の巨神
 巨神が進むは虚空の回廊
 虚空の回廊翔るため
 今開くべきは異界の門!」
 燦。
 と、テッサの持つ巨杖が鳴った。
 燦。
 燦。
 燦。
 音のたびに文字は流れ出て、巨大な魔法陣を展開する。
 トゥアハー・デ・ダナンの船首の前方に描かれた魔法陣はその時を待っている。
 そして――その時が来る。
 甲板が開き、現れたのはカタパルト。
 そこに乗っているのは、紅い文字を従えた、黒と蒼の衣を纏った純白の機体。
 カタパルトは、不意に加速。
 加速した機体は重力の鎖から解き放たれ、テッサの頭上を駆け抜けて魔法陣に飛び込んでいった。
 刹那、銀色の光が周囲を支配し――消えた時、純白の機体の姿はどこにもなく。
「急いで――あのひとの、ために」
 船首に佇むテッサの呟きを聞いた者はどこにもいなかった。





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