<Enbrace/Edge>
僕は疑念に囚われていた。
僕の、優夜に対する想い。
これは、好きだとかそんなのじゃなくて、<護法刃>という僕の立場から生じる使命感じゃないのか、と。
優夜を護りたい。
これに嘘はない。
優夜に惹かれている。
これも事実だ。
でも、これは本当に僕の、僕自身の心から生じたものなのだろうか?
疑念に囚われたまま、西に向かって一週間ほど。
幾度と無く<血界>に閉ざされ、幾度と無く<禍魂>と戦った。
そして、今も――優夜は僕の首に唇を這わせる。
微かな、痛み。
そして高揚感。
それらに促され、否応なく力が起動する。
そして、その度に少しづつ僕は――ほんの僅か、本当に僅かだけど人間から離れていく。
目の前の<禍魂>を見据え、機械的に左の腕に力を込める。
内蔵術式が起動。
血脈が活性化する。
それを確認してから指先を噛み切り、空間にその指先を走らせる。
指先から流れる血が描くのは、魔法円。
まるで透明な壁に描いているかの様に、真紅の紋様が形作られていく。
――<紅流魔術>。
自らの内に流れる血に魔力を込め、自らの血を魔法陣と為して発動する能力。
選んだ魔術は<華炎陣>。
その名の通り、魔法円が生んだのは華の様に紅く綺麗な炎。
紅の炎は緋色を浸食し、喰らって――まるで花が枯れる様に萎れた。
後に残っているのは、緋色の蟠り――<詛流>のみ。
「ごめんなさい・・・」
優夜は哀しそうな顔で僕に謝り、そして<詛流>を取り込んで――
また、人ならぬ力を強めてしまった、その帰り道。
疑念。
未だ疑念は消えないまま、僕は優夜と共にいた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
無言のまま、ただ歩く。
手掛かりを探して。
重苦しい沈黙だけがそこにあったのだが――
不意に周囲が、朱く染まった。
――<血界>
己の血に魔力を込め、周囲から隔絶する魔術。
拙い。
先ほどの<禍魂>は僕を消耗させるためのもの。
今、ここにいるのが――本命。
そのことに気付くと同時に無音の衝撃が僕を襲った。
それで死ななかったのは、運が良かったのか。
あるいは、<護法刃>であるためか。
「優夜!」
僕は背中を血で染めながら立ち上がり、優夜に促した。
優夜は一瞬躊躇し、しかし――
震えた声で、囁いた。
「・・・お願い」
僕の首筋に唇を這わせ――
灼熱感。
「――護って・・・」
傷が、塞がっていくのが分かる。
それと同時に、心が騒いでいる。
タオセ。
ホロボセ。
ホフレ。
血を失っていたこともあるのだろう。
僕の意識が奪われていく。
――<護法刃>に。
ああ、でもそっちの方が楽なんだろう。
何も考えず、ただ戦うだけの存在となるのだから。
でも、深淵に沈みそうになる意識を繋ぎ止める。
その引き金となったのは、優夜。
意志もなく、戦うだけの<護法刃>となっていく僕を見つめ、泣いている。
「だから、嫌だったのに・・・
わたしは希望を持っちゃいけなかったのに・・・
護法刃として、縛っちゃうから。
和那の、心も体も・・・!」
優夜は――自分を責めていた。
もしかしたら僕がこのまま<護法刃>になってしまうと――
優夜は僕の前から消えてしまうんじゃないか?
恐怖。
僕は、失いたくない。
僕は、喪いたくない。
僕は、僕のままでないといけない。
そうでないと、きっと優夜は――
胸が、痛い。
心が、痛い。
これは、僕が護法刃だからなのか?
この痛みも、使命感からなのか?
――そんな筈はない。
これは・・・僕の、僕自身の感情だ――!
ねじ伏せる。
僕の中で荒れ狂うただ一つの命令をねじ伏せる。
その命令は、『汝の主の敵を屠る機械となれ』
冗談じゃない。
こんな命令なんかによるものじゃなく、
僕は優夜を護りたい。
だから、奪う。
<護法刃>の力と記憶を――!
どくん、と大きな鼓動一つ。
知識が、流れ込んできた。
力の使い方。
そして、今更ながらに自覚する。
――ああ。今の僕は人間じゃないんだな。
と。
――感傷。
湧き上がってそれに、僕は苦笑を浮かべた。
しかしそれも一瞬。
何故なら感傷に浸っている場合ではないから。
彼女を狙う者が居るのだから。
だから僕は――
「優夜」
優夜に振り返り、微笑んだ。
「大丈夫だから。
俺は、自分を失いはしない。
俺は優夜を哀しませはしない。
優夜の、心も体も護るから。
だから、安心していいから」
優夜は少し驚いた様な顔。
泣きながら、でも頷いた。
「・・・うん」
僕は安堵し、<禍魂>に目を向け。
「護法刃。その名の意味を教えてやるよ」
宣言し、自分の手首を噛み切る。
鮮血が散って、僕の周囲の空間を紅く染めた。
流れ出る血はしかし地面を濡らすことはなく、刃となる。
片刃の、長大な紅の刃。
それが僕の手首から生えている。
――閃紅刃。
血を媒体にした魔術の一つ。
今、僕が抱いた刃は、優夜を護るためのもの。
そのためだけのもの。
「疲れてるんだ。
すぐに終わらせて貰うよ」
言って、
駆ける。
紅い風を伴って。
刃は<禍魂>を容赦なく切り刻み、存在を消し去った。
跡に残ったのは、朱の流れ。
優夜は躊躇し、哀しそうな表情を一瞬見せて――
それを、取り込んだ。
そうして僕たちは、
また、
少し、
人間から遠ざかった。
そのことが、解る。
解ってしまう。
優夜は泣いていた。
自分が人間から遠ざかったことが一つ。
そして、僕を人間から遠ざけてしまったのが一つ。
その、涙か哀しくて。
でも、嬉しくて。
とても、愛しくて。
「優夜。
僕はもう迷わない。
君を、必ず人間に戻す。
必ず――」
蒼い月明かりの下、
僕は――
優夜を初めて抱き締めた。
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