<Ulterior/Univerce>





<詛流>が消え去り、血界も晴れた。
 ・・・もうすぐ、人がここにも来るだろう。
 僕が流した血が、残っていたら・・・
 拙い。
 しかし、それは杞憂に過ぎた。
 あの雷の代償なのだろう、地面を濡らしていた血は一滴も残っていない。
 その事に安心して、僕は無理矢理立ち上がった。
 ――ふらつく。
 僕は壁に背中を預けた。
 身体が、軋んでいる。
 傷は塞がっているとはいえ、出血が多すぎた。
 身体が、だるい。
 これは多分、力の代償。
 そして掠れそうな世界が、紅く染まっていた。
 その原因は眼から流れる真紅。
 これも多分、力の代償。
「無理・・・させちゃったね」
 心配そうに呟く君に笑いかける。
「大丈夫だよ」
 と。
 紅を滴らせたままで。
 君は僕の目にくちづけて――
 僕の紅でその唇を装い、そして涙を流した。
「今、元に戻しちゃったら・・・
 和那、死んじゃうかも知れないから。
 だから・・・もうちょっとだけ、そのままでいて。
 少しだけ、人間じゃ無くなっちゃうけど・・・
 でも、死んで欲しくないから。
 和那に、死んで欲しくないから」
 泣きながら。
「ごめんね・・・ごめんね・・・」
 呟く。
「人間に戻して貰おうとしてるわたしが、和那を人間じゃなくしちゃうね・・・
 和那を、こっち側にさせちゃうね・・・」
 何で泣くんだろうか。
 優夜のせいじゃない。
 僕が、決めたことなのに。
 全て、納得しているのに。
 確かに怖くない、といったら嘘になるけど・・・
 でも、僕は・・・
 今の、僕から見たら向こう側の世界に行っても構わない、と――
 それを伝えたくて、僕は優夜を抱きしめようとした。
 でも。
 その優夜は、僕を突き飛ばした。
 僕を突き飛ばしてうずくまり、苦しそうに息を荒げている。
「どうしたの?」
 身体を引きずる様にして優夜に近付く。
 そして抱え起こそうとした僕の腕を振り払い、掠れた声で告げた。
「なんでも・・・ない・・・よ」
「いや、でも・・・」
 それでも近付こうとした僕に、叫んだ。
「来ないで!」
 その瞳の色は、血よりも鮮やかな紅。
 僕はその眼に縛られて、動くことを奪われた。
 動けない。
 動けないまま、数秒。
「もう・・・大丈夫」
 優夜は立ち上がった。 
 側に寄ろうとした僕を遮って、
「大丈夫。一人で、歩けるから・・・」
 よとよろと、動き出す。
「でも・・・」
「大丈夫だから!」
 その鋭い口調に、僕は何も出来ず――
 それでも、優夜が足を向けたのが僕の部屋だったことに僕は安堵した。
 ――安堵?
 そう、安堵だ。
 僕は安堵していた。
 優夜が、僕から離れなかったことに。
 ――そして、その夜。
 僕は眠れないでいた。
 優夜がすぐ側にいるから緊張してる?
 それは一つの理由。
 戦いの後で心が高揚している?
 それも一つの理由。
 でも、最大の理由は・・・優夜が、心配だから。
 僕は寝ころんだまま目を開けた。
 月の蒼い光が、部屋を照らしていた。
 その蒼の向こう、全てを紅く染めて優夜は呟いていた。
 何かを、小さく。
 蒼が照らし出したのは、紅く染まった優夜。
 彼女は、自分の手首に咬み付いていた。
 滴る真紅を啜りながら、優夜は呪文の様に唱えていた。
「もうちょっと、我慢しなきゃ・・・
 もう少しだけ、我慢しなきゃ・・・」
 熱病に浮かされた様に。
 その、姿に――
「な!?」
 つい、声が出た。
 そんな僕をはっとした様に見た優夜の瞳の色は、真紅。
 そして、その表情に込められていたのは――
 紛れもなく、恐怖で。
「見ちゃったんだね・・・」
 哀しそうに、怯えた様に呟いた。
 そして、言葉を紡いでいく。
 諦めた様に。
「わたしはね・・・
 正気を保つために、人の血が要るの。
 輸血用の血液とかじゃ駄目で、人から直接血を吸わなきゃいけないの」
 自嘲。
「自分の血でもね、少しは保つんだ」
 自分が咬みついた手首の傷を見ながら。
「だから、身体が痛くなっちゃうまではそれで我慢してるんだけど・・・
 でも・・・そろそろ限界で。
 嫌なところ、見られちゃったな」
 そして優夜は少し笑った。
 その、なんて哀しい笑顔。
 僕は何も言えず、優夜の言葉を聞くことしか出来なかった。
「血を吸わないでいたら<禍魂>になっちゃうんだって<緋ノ皇>が言ってて。
 嘘だって思ってたけど、本当みたいだった」
 優夜は、震えていた。
 静かに、でも確かに。
「ずっと、我慢したんだ。
 そうしたらね、変わっていくのが分かった。
 だんだん、考えが人間じゃなくなっていくのが自分でも分かって・・・
 いいや、どうせ人間だし、なんて考えが浮かんで・・・
 眼も紅くなって。
 怖かった。
 でももう、その時には遅くて・・・」
 そして優夜が浮かべたのは――
 確かに笑顔。
 でも、歪んでいた。
 優夜は歪んだ笑顔のまま、言葉を続けていった。
「どうしようもなくなった時に、血を吸って――
 自分のやったことに気付いて、愕然として。
 でもそれで、解った。
 人の血を吸っていれば、わたしは人の心を保ち続けられるんだって。
 でも、同時に・・・力も、強くなってくの。
人の血を吸うのは、嫌。
 でも吸わずにいて、<禍魂>になって・・・
 たくさんの人を殺しちゃうのは、もっと嫌・・・」
 歪んだ笑顔の、瞳から一滴。
 ――涙。
 優夜は震えた声で、泣くのを我慢している。
「ねぇ、どうしてだろうね?
 人としての心を保ちたかったら、人とはかけ離れた、化け物みたいなことしなきゃいけないなんて・・・・
 なんで・・・だろうね?」
 泣き笑いの優夜に、僕は一歩近付いた。
 優夜は少しだけ怯えた様な表情。
 でも、僕は気にせずにもう一歩。
 口を、開いた。
「俺は言ったはずだよね?
 全部、納得しているからって。
 血が、いるんだろ?俺なら構わないから」
 僕は優夜に微笑いかけた。
 少しも迷わず。
 優夜は一瞬驚いた様な目で僕を見て――
「ごめんね、ごめんね・・・」
 泣きながら。
 僕の首筋に唇を這わせて。
 紅を、
 命を、
 取り込んでいく。
 それこそは呪い。
 彼女を蝕む呪いは彼女に血を啜らせる。
 嫌悪しながらも、しかし人間としての意識を保つために彼女は血を求める。
 でも、僕は後悔してなかった。
 一欠片も、後悔してなかった。
 僕は、優夜を大事に思っていたから。
 でも――不意に、不安が生まれた。
 僕の、この想いは本当に僕のものだろうか?
 もしかしたら、<護法刃>だからじゃないだろうか?
 つまり、<護法刃>であることから生ずる、優夜を護るという使命感を僕は勘違いしているだけなんじゃないだろうか?
 早すぎる。
 優夜に気を許すのも、優夜を大事に思うのも。
 たった、三日。
 それだけでこんなに思えるものだろうか?
 不安は加速し、疑念になる。
 そう。
 僕は、疑念という呪いに取り憑かれた。





<Lunatic/Lightning>

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