<Lunatic/Lightning>





 優夜と出会って、二日目。
 蒼く照らす月の下、<緋ノ皇>の手掛かりを探し、僕たちは街を彷徨っていた。
「手掛かり、無いね。
 どうする?そろそろ部屋に帰る?」
 と、訊いてみた。
 正直手掛かりはなく、僕たちは旅立とうにも旅立てずにいた。
「・・・うん」
 優夜が頷いた瞬間。
 世界が、緋色に染まった。
 ――血界。
<禍魂>が狩りを行う時、獲物を逃さないために張る異空間。
「やっと手掛かりが来た、か」
 僕の呟きに誘われる様に、それは姿を現した。
 緋色を纏った、異形。
 異形の名は<禍魂>。
 或いは魔導に堕ちた、
 或いは呪いに染まった、
 或いはそれらの放つ気に汚染された人間だったモノ達。
 今や異形と成り果て、生物の概念を侮辱する存在。
 優夜は言っていた。
<禍魂>は自分を狙っている、と。
<禍魂>の王たる<緋ノ皇>に従うモノたちは優夜を<緋ノ皇>の花嫁としてふさわしい存在にするために。
<緋ノ皇>を敵視するモノたちは<緋ノ皇>に対抗する力を得るために。
 優夜を狙っていた。
 優夜は危険にさらされ、そして生き延びる度にその力を増していく。
 故に<緋ノ皇>に従うモノ――<緋要>達は優夜を狙う。
 そしてその優夜を喰らえばその<禍魂>は絶大な力を得る。
 故に<緋ノ王>を敵視するモノ――<緋獄>は優夜を狙う。
 今、近付いている<禍魂>はどちらだろうか?
 と疑問が生じたが――
 不意に生じた疑問を、砕く。
 どちらでもいい、と。
 そう、どちらでもいい。
 優夜の敵。
 その事実だけで充分だ。
 その事実だけで――
 僕は目の前の存在を滅ぼすことが出来る。
 だから。
『嬉しいことだ。
 我が<緋ノ皇>様より賜った地で花嫁殿に出逢えるとは。
 その力、試させて頂く。
 貴女が、<緋ノ皇>の花嫁に相応しいかどうかを』
 その、異形――虎の四肢と蝙蝠の羽根、蠍の尾を持つ<禍魂>に、言い放つ。
「黙れ。
 優夜を花嫁なんて呼ぶな」
 短く鋭い刃を投げかける。
 言葉に秘めたのは殺意。
 僕の殺意に、<禍魂>は不愉快そうな声。
『・・・人間。
 いや・・・護法刃か。
 いくら花嫁を護る<護法刃>とは言えその物言い、気にいらんな』
「それで?どうする?」
 それでも僕は調子を崩さない。
 本当は恐ろしい。
 逃げたいほどに。
 でも、僕は逃げるわけにはいかない。
『教えてやろう。人間は、あくまでも我らの餌という存在なのだと、な。
 ああ、花嫁殿、安心するがいい。
 ちょっとお仕置きするだ・・・殺しはせぬ』
 何故なら――
「それじゃ、俺は教えてやろう。
 俺は、<花嫁>を護る存在じゃない。
 優夜を、護る存在だと、ね。
 優夜の、心と体を守り抜く存在だと・・・」
 そう。
 僕は、誓った。
 優夜を護る、と。
 優夜を人間に戻す、と。
 だから恐怖を抑え込み、僕は優夜に呼びかけた。
 ただ、短く。
「・・・優夜」
 優夜は軽く頷き、しかし少しだけ哀しそうな眼を見せて。
 それでも。
「――護って」
 呟き、首筋に唇を這わせた。
 僕が感じたのは微かな痛み。
 そして――流れ込む真紅。
 身体が、造り替えられる感覚。
 高揚感を、抑え込む。
 ともすれば狂気に向かいそうな程の高揚感。
 それを、制御する。
 僕は優夜と同じ紅い双眸を異形に向けた。
 溢れる、真紅。
 負けない。
 それは絶対の事実。
 先ほどまで確かにあった恐怖は、真紅に喰われた。
 だから、目の前の異形に対する恐怖はない。
 そして――僕は紅を従えて、雷光の早さで駆けた。
 まず、一撃。
 浅い。
 飛び退く。
 爪が目の前を駆け抜けていく。
 かわす。
 かわしたはず。
 だが。
「ぐ!」
 蠍の針が、背を穿った。
『甘いぞ護法刃!』
「うる・・・さ・・・!」
 更に、一撃。
 流れる血を嫌でも意識する。
『どうした?
 それでは面白くないぞ?』
 一薙ぎ。
 もう一薙ぎ。
 避けることさえ出来ず、爪と針は僕を切り裂いた。
 崩れ落ちる。
 足が、何か暖かい、ぬるりとした液体に濡れた。
 ――血だ。
 僕が流した血だ。
<禍魂>は、尚も爪で僕を切り裂いている。
 ああ、何も解らない。
 解らないけど・・・誰かが、呼んでいる?
 ああ。優夜。 
 何で、泣いているの・・・?
 ああ、そうか。
 僕が死にそうだからだ。
 僕がこいつに殺されそうだからだ。
 僕がこいつより弱いからだ。
 僕に力がないからだ。
 僕にこいつを滅ぼす力がないからだ!
 腹立たしかった。
 自分の弱さが。
 弱いくせに、護るなんて言った自分の間抜けさが。
 終わる?
 終わるのか?
 終われるのか?
 僕が終わったら、優夜はどうなる?
 また、泣き続けるのか?
 赦せるのか?
 そうなったら、自分を赦せるのか?
 ――赦せない。
 赦せないならどうすればいい?
 ――目の前の存在を滅ぼす。
 如何にして?
 ――血ヲ、用イヨ
 何故に?
 ――護ルベキモノヲ傷付ケル存在デアルガ故ニ
 護るべき存在は?
 ――継グ者。
 違うだろ?
 そうじゃないだろ?
 ――否。我ハ、彼ノ者ヲ護ルタメニアル
 思考が、喰われていく。
 ――我ハ、継グ者ニ徒為スモノヲ屠ル存在ナリ
 視界は歪み、虚ろな思考に囚われて。
 そんな中、確かにあるのは――殲滅の意志。
 殲滅の意志を受けて、僕が流した血が、大地に描いた。
 円と、幾何学模様と、見知らぬ文字で織り上げられた魔法陣を。
 そして、真紅の雷光が、駆け上がった。
<禍魂>が気付いた時にはもう遅く――
 狂った様に雷光は踊り、<禍魂>を砕いていく。
 滅していく。
 灼いていく。
 それがどれくらい続いたろうか。
 不意に雷は止み、それと同時に僕を喰らっていた意識が弱くなったのを感じた。
 何故だ、と自問し――すぐに、理解する。
 ああ、そうか。
 もう、優夜を害しようとする存在がないから・・・か?
 でも・・・なんだ?今のは?
 僕を喰らおうとしたのは・・・?
 僕の中に形成された<護法刃>としての僕の意識、なのか?
 その問いも、消える意識に掠れていく。
 何とか意識を繋ぎ止め、優夜を捜して。
 近付いて、笑いかけようとして――
『詰めが甘いな・・・護法刃』
 その言葉に振り向こうとして、僕は倒れた。
『とはいえ・・・どうやら見くびっていたようだな』
 半身を焼き砕かれ、再生も赦されない状態で、しかし<禍魂>は笑っていた。
 もうすぐその存在は詛流となるだろう。
 僕は倒れ伏したまま、問い質した。
「消える前に・・・一つ、教えろ」
 途切れがちに、問いを口にする。
『それもまた勝者の権利だ。
 言ってみるがいい』
 ・・・妙に物わかりが良い。
 そのことに不安を覚えつつ、僕は問いを口にした。
 今なお僕を心配そうに見ている優夜の代わりに。
「<緋ノ皇>は何処にいる?」
『・・・ここより西の地に封印されていた。
 我が知っているのは、それだけだ。
 もっとも所詮は人間の封印だ。もう9割以上は解けているだろうがな』
 その瞳にほの蒼い狂気を宿らせ、<禍魂>は嗤った。
『貴方様の復活なさるその時のために・・・
 貴方様が花嫁を娶るその時のために・・・
 我が身を捧げましょうぞ・・・<緋ノ皇>よ!』
「な!」
<禍魂>が、緋色の闇に姿を変えて行っていた。
 ・・・自分から、自分の存在を散らしている?
 何のために――?
『ではさらばだ。
 貴女は我を喰らって、更に強くなる。
<緋ノ皇>の花嫁に相応しくなる。
 その礎となるのなら、本望!
 く・・・ふふふふふ・・・
 はははははははははははははははははははははは!』
 笑い声が消えると同時に、緋色が蟠った。
 呪いそのものが。
 ――そういうことか。
 僕は倒れ伏したまま、動くことが出来ないまま。
 優夜は立ち尽くしたまま、緋色を見つめている。
 でも、選択肢は一つしか無い。
 優夜は震えながら、緋の蟠りに近付いた。
 本当は、嫌なんだろう。
 その行為は自分を人間から遠ざけていくから。
 でも、<禍魂>が増えるのはもっと嫌なんだろう。
 だから、優夜は――緋色に手を伸ばして。
 自らの内に、取り込んでいった。
 そして全ての緋を消し去った後、優夜は振り向いて――寂しそうに微笑った。
 僕は、そんな優夜が哀しくて――
 少しだけ、泣いた。





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