『奇跡円舞曲』movement 03





 部屋には二人の男子生徒がいた。
 一人は腰掛け、一人は立っている。
 座っている方は祐一と同じくらいの体格だろう。立っている方は――巨漢といえるだろう。しかもその腕は不自然に大きい。近接義体師なのだろう。
 唐突に、座っている生徒が口を開いた。
 威圧されている。
「相沢・祐一君・・・だね?」
「ああ。あんたは?」
 ――祐一・心理技能・発動・威圧反射・成功。
「久瀬・正登。華音圏総長だよ」
「同じく第二特務隊長斉藤・一馬」
 総長――久瀬・正登に続く様に巨漢は口を開いた。
「あんたにゃ聞いてない」
 瞬間。
 祐一の頭があった空間を、斉藤の義椀が薙いだ。
 ――祐一・回避技能・発動・回避・成功。
「いきなり何するんだ。危ないな」
 更に鼻先を掠める義腕を危なげなく避ける。
 ――祐一・回避技能・発動・回避・成功。
「避けるな!」
「避けるわ!」
「大人げないな」
 その祐一の言葉が引き金になったのか。
 斉藤は殺気を身に纏わせた。
 そして、呟く。

<斉藤:神域・展開/双牙・起動/典詞・詠唱開始>

 斉藤の両足から壮、という音色が奏でられた。
 神曲だ。
「血圧高いなぁ」
 身構える祐一に、斉藤は冷たく呟いた。
「相沢・祐一。とりあえずお前は殴る」
「やだ」
 殺気は一瞬にして拡散。
「ち、力が抜ける奴だな」
「ふっ。照れるな」
「褒めてねぇ!」
 拡散したが、再び凝縮した。
 そして詠唱する。
 典詞を。

[天地鳴動、風雷慟哭
    我求是力、駆如・・・

 力が斉藤に集まっている。
 遺伝詞を書き換えるための力が。
 しかし。
「斉藤君。やめるんだ」
 久瀬が、止めた。
 何時の間に動いたのか。祐一と斉藤の間に立っている。
「しかし・・・」
「僕の言うことが聞けないのかい?」
 不満そうな斉藤だったが、久瀬の一言。
 ただ一言だけで、不満そうな表情は恐怖のそれに変わった。
 久瀬はどんな表情をしているのか。
 祐一からは見えない。
 見えないがしかし、斉藤が恐怖に囚われているのは事実だった。
 しかし。
 恐らく久瀬は、笑みを浮かべているのだろう。
 冷たい笑み。
 触れるもの全てを塵と化す、冷たい笑みを。
 斉藤は大人しく従うことしか許されなかった。
「わ、解りました・・・」
 展開されていた神域が霧消する。
「しばらく出ていっててくれ」
 久瀬が冷たく、告げる。
 斉藤は久瀬のその言葉に抗うことが出来ないまま――部屋の外に出ていった。
「・・・・・・」
 祐一は沈黙。
 気付かなかった。
 何時の間に動いたのか、見切ることが出来なかった。
 久瀬という男の持つ力に、祐一は微かな焦りを感じていた。
 その久瀬が振り向いた。
 優しげな笑顔を浮かべて。
「相沢君。君はこの街をどう思う?」
 優しげな声で。
 唐突に、訊く。
 ――祐一・心理技能・発動・感情制御・成功。
「どう思うって・・・変わった街だなと思うな。なんせ技能も神器もない。あるのは神典って言う、奇跡だかなんだかわからん力だけだしな」
 祐一は平静になれたことに嘆息。言葉を続けた。
「でも祝福されてるってことだし。まぁ、あまり問題ないんじゃないか?」
「神に祝福された都市――神授都市か。笑わせてくれる」
 祐一のその答に、久瀬は自嘲めいた笑みを浮かべ。
「神授都市なんかじゃない。深く、密かに、しかし確実に呪われた街――深呪都市なんだよ。この街はね」
 さも可笑しそうに――微かに狂気を含ませて笑った後、祐一に向き直った。
「君は知らないんだな。閉鎖動乱を」
「なんだ、そりゃ?」
 祐一の問いに答える様に、久瀬は語り出した。
「起きたのは7年前」
 思い出す様に。
「神典以外の力が消えたんだ。誰がどの様にやったのか、何故やったのか、等々は全く分かっていない」
 懐かしむ様に。
「解っているのはただ一つの事実だけだ。この街には絶望の遺伝詞が打ち込まれた、というね」
 自分の手を見つめて。
「それが神典以外の力の喪失にどの様に関わっているかは解らない。だけど、関係があるはずだ」
 語った。
「しかし、絶望の遺伝詞は僕たちには作用しなかった。どんな理由かは解らない。でも、もし絶望の遺伝詞が強く作用していたらこの街から人は消えていたはずだ」
 微かな熱と。
「技能も神器も消えた街。他の都市にとっては格好の標的となったんだろうね」
 微かな傷と。
「・・・動乱が起こった。この街の総長連合・・・いや、この街の住人と、それ以外とでね。結果は――この街の勝利だ。当然だろう。この街ではどんな奇跡でも起きる――いや、起こせる」
 微かな希望を込めて。
「皮肉な話だろう?この街を縛り付ける神典がこの街を勝利に導いたんだ」
 そして、自嘲の笑み。
 情けない。
 哀しい。
 止まらない。
 そんな感情が見え隠れする声で。
 祐一も久瀬に触発される様に。
 記憶が、甦る。



「ごめんね」

「なんでだよぉぉぉぉぉぉっ!」

「あはは・・・体、動かないや・・・」

「誰か、助けてよぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

「・・・・・・聞こえて・・・」

「ごめんね、ごめんね・・・」

「あたしが・・・」

「待ってるから」



 ――祐一・心理技能・自動発動・記憶制御・成功!
 汗を拭う。
 また、記憶の断片が甦ってきた。
 後悔。
 傷。
 痛み。
 紅い世界。
「くっ・・・!」
 ――祐一・心理技能・発動・感情抑制・成功。
 久瀬は――祐一の状態に気付いていないかの様に語り続けている。
 微かな昏さを瞳に宿して。
 祐一は愕然としていた。
 同じ眼だ、と。
 あの日の自分と同じ眼だ、と。
 そして――問う。
 あの日の自分はいつの自分のことを言っているのか、と。
 解らない。
 思い出せない。
 思い出せないまま、祐一は久瀬の話に聞き入っていた。
「・・・その結果、華音は総長連合にとっても大人達――企業体にとっても不可侵の地になった」
 語り終え、溜息をつく久瀬に祐一は問いかけた。
 単純に。
 一言。
「で・・・どうしたいんだ?」
「この街から呪いを消す」
 久世の口調は淀みない。
「絶望の遺伝詞はまだ根付いている。それを消し去るために戦いを起こす」
「戦いだと・・・?」
「君は気付いているかい?この街の住人は少しばかり喧嘩っ早くなっている」
 祐一は北川達を思い浮かべながら答えた。
「ああ。どうもそうらしいな」
「何故だと思う?」
 人の悪い笑いを浮かべながら更に問う久瀬に、祐一は溜息混じりに答えた。
「血の気が多いんだろ。献血に行くことを勧める」
 久瀬は祐一の軽口には応えずに、素っ気なく――あまりにも素っ気なく応えた。
「闘争の遺伝詞のせいさ」
「闘争の・・・遺伝詞、だと・・・?」
「この街では今、闘争の遺伝詞が強化されている」
「何のために?」
「闘争は不安を呼ぶ。あるいは、自己保存本能を。この遺伝詞を華音の地脈に未だ存在する絶望の遺伝詞をぶつける」
 それは決定されたことだと言わんばかりの久瀬の口調に、祐一は苛立ちを感じていた。
「冗談じゃ・・・ねぇぞ・・・」
「自己保存本能と絶望。どちらが強いかは解らない。だが、やらなきゃこの街はこのままだ」
 久瀬は窓まで歩き、振り向いた。
「相沢君。君の力が必要だ。神典を破壊し、この街から喪われた力――技能と神器を操る君の力が」
 久瀬の口調に熱が籠もった。
「・・・気に入らないな」
「どうしたんだい、相沢君?」
「気に入らないって言ったんだ。解放のために闘争を起こす?」
 苛立ちの原因は、利用されることを予想してではなかった。
 ただ単純に、そのために闘う術を持たない者達を巻き込むのが気に入らなかった。
「この街のためさ」
 しかし久瀬は揺るがない。
 信念を持っているために。
「それが気に入らないんだよ!何が大義だ!他人を不幸にしてまでやるべき事なのか?」
「少なくとも僕はそう信じている」
 久瀬は、揺るぎはしなかった。
 この街を思うが故に。
 しかし、祐一には赦せなかった。
 この街のためと言いながら、弱者を斬り捨てることになりかねない久瀬の計画が。
 しかし、久瀬の言うことに衝撃を受けたのも事実だった。
 少なくとも久瀬はこの街を解放するために動いている。
 しかし、自分はどうだろうか。
 動いていない。
 動けていない。
 多分、久瀬はある意味正しいのだろう。
 しかし、それでも――
「俺は、赦せない。この街全てを巻き込むお前の考え方が」
 答えはどこにあるかは解らない。
 質問さえも解らない。
 しかし、是と為すわけには行かない。
「・・・・・・」
 祐一は無言でドアに向かった。
 ノブに手を掛け――回す。
 その背中に、久瀬の呟きが届いた。
 痛みを感じた様な、裏切られたかの様な、しかし変わらない強い意志を感じさせる声で。
「僕に賛同しているのは華音圏の学生だけじゃない。大人もだ。君はそれでも敵に回るのか?」
 恫喝ではない。
 只の事実だ。
 只の事実を述べているに過ぎない。
 だから祐一も只の事実で答えるに止めた。
「勘違いするな。俺はこの街を敵に回すんじゃない」
 何故迷っているのか。
 何故後悔を心に刻んでいるのか。
 それが解らないからだ。
 あるのは只、事実のみ。
 祐一はドアを閉めながら、事実のみを言葉にした。
「お前のやり方の敵に回るだけだ」





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