『奇跡円舞曲』movement 06





「祐一っ放課後だよっ!」
「何ぃっ!そうだったのかっ!?」
 授業終了のチャイムが鳴るや、繰り広げられる会話に北川はしみじみ呟いた。
「やはり妙なテンションだよなぁ、美坂?」
「・・・そうね」
 答えた香里の表情は少し硬い。
 昼の授業前の祐一の言葉がまだ後を引いているのだろうか。
 北川は何か言いかけたが――止めた。
「で、祐一?」
「なんだ?」
 そんな北川と香里には関係なく、欠伸をしている祐一と嬉しそうな名雪だ。
 しかし。
「今日、一緒に商店街行こう!」
 名雪のその言葉と同時に。
 業。
 そんな音とともに女生徒が現れた。
「部長・・・今日は部活です」
 よく冷えた声。
「で、でも佐弓ちゃん、祐一とお出かけなんだよ!イチゴサンデーなんだよ!」
 と、名雪は反論するが効かない。
 効きはしない。
「・・・で?」
 という、冷たい言葉が返るだけだ。
 その言葉の冷たさに、名雪は沈黙。
「う〜」
 と唸ることしかできない。
 それを哀れに思ったのか。
 佐弓と呼ばれた少女は凍てつく視線を放つその目を少しだけ緩めた。
「部長・・・」
「な、なに?」
 その呼びかけにも、名雪はただ怯えるだけ。
 しかし、その次の言葉が名雪を動かした。
「部活に出たら・・・猫を触らせてあげますよ?」
「ねこっ!?」
 猫。
 その言葉がどのような効果を名雪にもたらすか。
 それを知っているが故の提案だった。
「ええ。猫です」
 また強く肯く。
 もはや名雪は抗えない。
「では、失礼いたします」
 一礼し、佐弓は立ち去った。
「猫と遊びに行くんだお〜」
 と、半ば酔った様な名雪を従えて。
「・・・って、あいつ猫アレルギーじゃなかったっけか?」
 呆れた様な感心した様な祐一に、北川は問うた。
「なあ相沢。だお〜ってなんだ?」
「俺が知るか」
 短く答え、祐一は教室から出ていた。
「なあ美坂。だお〜ってなんだ?」
「知らないわよ」
 繰り返される、同じような会話。
「何だかなぁ」
 祐一は苦笑を漏らし、屋上へと向かった。
 そして空を見上げる。
「あ〜とりあえず平和だな〜」


 祐一が空を見上げていた頃。
 華音圏総長久瀬・正登と副長の美坂・香里は対峙していた。
 その部屋を支配しているのは沈黙。
「・・・・・・」
「どうしたんだい、美坂さん?」
 呼び出されたのは香里。
 呼び出したのは久瀬。
 香里はどこか予想していた様な表情だ。
 その内容こそまだ解らないが――
 いや。まだ予想の範囲を出ていないが、香里は疑問を口にした。
「総長としての久瀬くんに聞くわ。なぜ相沢くんだったの?」
「――彼が力を持っているからさ」
「それだけ?」
「突っかかるね。それだけだよ」
 久瀬の答えに香里は溜息一つ。
 言葉を紡いでいく。
「――何をしたいのかは大体解っているつもりよ。でも、何のために?」
 その疑問に、久瀬は香里の目を見据えた。
 真意を測る様に。
 そして、紡いでいく。
 意志を。
 戦う理由を。
「僕はこの街を正常に戻したい」
「どういうこと?」
 香里の疑問に軽く頷き、久瀬は祐一に話したのと同じ事を話し出した。
「解っているだろ?この街は狂っている。
 神授都市?
 違う。
 深呪都市だ。
 神器も技能もなく、神典のみ。
 人は自ら鍛え上がることなく、神典に――奇跡に頼り切っている。
 奇跡が起こるのが当たり前?
 奇跡は起こるものじゃない。起こすものだ。
 この街は呪われているんだ。
 神典に・・・」
 久瀬の口調には熱はない。
 醒めている。
 ただ、事実を述べている。
 温度がないが故に、虚構が感じられない。
 香里はいつしか久瀬の話に聞き入っていた。
「僕はこの街をその呪いを解き放ちたい。
 呪い――絶望から。
 絶望は7年という年月を得て、巨大になってしまった。
 でも、それと同じだけの遺伝詞をぶつければ――
 倒せる。
 消せるんだ。
 そのために――
 戦いを起こす。
 そしてこの街を有るべき姿に戻す。
 ・・・この街が元に戻れば・・・」
 医療の技術も何とかなるかも知れない
 例えば、神典だけでは治療不能の病気があっても――
 理論的には神典、神器、技能。それらを平行励起した医療技術が可能になる」
 重度の遺伝詞疾患でも、治療可能になるだろうね」
「!」
 その久瀬の言葉に香里は呼吸を失った。
 重度の遺伝子疾患。
 治療可能。
 そのキーワードに。
 すなわち、香里の妹――栞が抱えている病気。
 それが治療可能になる?
 香里は呻く様に言葉を紡いだ。
 暗くなる視界に耐えて。
「何を・・・知っているの?」
 久瀬の答えは、素っ気ない。
 しかし、全てを見透かす様な目で香里を見ている。
「僕は事実を並べているだけだ。医療とか、そんなのを出したのは一例に過ぎない」
 そして浮かべられる笑み。
 香里にはその表情が泣き出す寸前の様に見えたが――頭を振り、その考えを追い出す。
 その代わりに問う。 
「・・・本当なの?」
「何がだい?」
 香里は久瀬の目を見据え、先ほどの久瀬の言葉の真偽を問うた。
 即ち、治療方法の前提条件を。
「・・・この街が正常になれば神典、神器、技能が全て存在できるようになるっていうのは?」
 対する久瀬は肯定。
「・・・ああ。理論的には証明されているが――それらを複合させることではじめて為し得る医療方法も可能になる」
 その答えを聞いた時、香里は確かに安堵していた。
 栞が治療可能になる。
 ならば。
 無理矢理抑え込んでいた感情を解放しても良くなる。
 こんなに苦しいなら、最初から妹なんか居ない方が良かった。
 そう思っていた。
 そして栞を無視していたが――その必要が無くなる。
 そう。
 姉妹に戻れるのだ――
「・・・・・・」
 そして。
 久瀬は香里の思考を呼んでいるかの様に問いただした。
 笑みを浮かべて。
「美坂さん。その質問は華音圏の副長の美坂・香里としてかい?」
 久瀬の言葉の真意を測りかね、香里は逡巡。
 だが、久瀬は言葉を続けていく。
「全方位武術師『紅刃』としてかい?それとも・・・」
 瞬間。
 香里は久瀬が何を言いたいのかを理解した。
 感情が沸騰する。
 香里は久瀬に殺意を叩き付けた。
「それ以上は言わない方がいいわよ・・・」
 しかし久瀬は逡巡しない。
「美坂・栞の姉の、美坂・香里として・・・かな?」
 その久瀬の一言が引き金となった。
「――!」
 香里が氷雨を一振りすると――
 氷雨はトンファ状にその姿を変えた。
 刃で形成されたトンファに。
 そして斬撃。
 先ほどまで久瀬がいた空間を凪いだ。
 そこには祐一とやり合った時の様な遠慮はない。
『試す』ためではなく、『殺す』ための斬撃。
 だが、久瀬は何事も無かったかの様にそこにいる。
 そして浮かべている表情は苦笑。
「危ないな。あまり振り回すものじゃないよ、こういうものは」
 香里は久瀬との間合いを空け、更に氷雨を一振り。
 氷雨は弓の形状となる。
 そしてすぐさま神典を発動。

<香里:神域・展開/氷雨・祈導/典詞・詠唱開始>

[Fortes fortuna juva,calamitas virtutis occasio est
      nunquam periculum sine periculo vincemus.
  omnia eunt more modoque fluentis aquae,
        novo mundo reserat,cedant tristia
    vive hodie,et per aspera ad astra.
          jucunda memoria est praeteritorum malorum]

<香里:魔神・降神>

 神典で作られた矢を放った。
 矢は中空で無数に分かたれ、雨の様に久瀬に降り注ぐ。
 避ける術は無い。
 その筈だった。
 しかし――
「・・・なるほど。これが『紅刃』の氷雨か」
 面白そうに久瀬は呟き、事も無げに避ける。
 それどころか放ったはずの矢が――
 返されている。
「くっ!」
 香里は吸血系鬼族としての力を解放し――
 感覚を加速させた。
「北川くんだったら通用しなかったかも知れないけどね・・・」
 あくまで無表情のまま、一瞬で間合いを詰める。
 そして大鎌に戻した氷雨で一閃。
 その一閃――吸血系鬼族の膂力と反応速度から繰り出される一撃は不可避であり、絶対。
 そして一撃で敵を屠ってきたが故の『紅刃』の称号だった。
 だが。
「なるほど・・・敵との距離で自在に姿を変える奏神具。そしてそれ故の全方位武術師というわけか・・・」
 久瀬は難なく氷雨を受け止めていた。
 その瞬間。
 香里は理解した。
 理解してしまった。
 ――自分は久瀬には勝てない、と。
 そして、久瀬が為そうとしていること。
 それは香里がかつて願い、諦めたことにつながる道だ。
 受け入れるしかない。
 しかし、何をしたのか。
 答えが返ってくることを期待していたわけではないが、香里は敢えて疑問を口にした。
「何を・・・したの?」
「さてね?」
 久瀬の答えは、笑顔。
 しかしその笑顔はどこか空虚だ。
 何かを置き忘れてきた様な、そんな笑顔だ。
 その笑顔が消える。
 一瞬で。
「一緒に戦うことを強制はしないよ。
 勝とうが負けようが、それはどうでもいいことだ。
 第一――
 この戦い――動乱、と言うべきかな。
 戦いのための戦いと他の人には見えるだろうね。
 でも――
 美坂さん。
 君には知って置いて欲しい。
 意味のない戦いなんかじゃない。
 原因の分からない動乱なんかじゃない。
 意味はあるんだ。少なくとも僕にとっては」
 久瀬はそこで言葉を切った。
 その間隙に滑り込む様に、香里の問い。
「相沢くんはそのことを・・・」
「知っている。
 怒られたよ。
 そのやり方が気に入らない、って。
 でも――
 彼が彼の大事な者を守りたいと願う以上、彼は闘わざるを得なくなる。
 どうでも良かったんだよ。本当は。
 彼が味方になろうが、敵になろうが。
 いや。
 むしろ敵になってくれて良かった、と言うべきかもね」
 そして、苦笑を浮かべる。
 懐かしむ様な、苦笑。
 香里は目を閉じた。
 戦いの結果、もたらされるだろう事象を。
 そして肯く。
 心を決めて。
「・・・解ったわ」
 その答えに、久瀬は少なからず驚いていた。
 だから、素直な気持ちを言葉にする。
「ありがとう」
 と。
 その反応は予想外だったのか。
 香里は苦笑を浮かべた。
「何で・・・礼を言うの?」
「・・・僕にも大切なものがある。それだけだよ」
 それは香里も同じだ。
 だから。
「――そう。あたしにも守りたいものがある。なんとかしたいことがある。だから――」
 久瀬を見据え、宣言した。
「美坂・香里は貴方の味方になるわ」





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