『奇跡円舞曲』movement 08
「天野・・・?」
その祐一の声に、美汐は訝しげに応えた。
「・・・どうなさったのですか?」
祐一の声は、そこまで弱り切っていた。
いつもの飄々とした声ではない。
追いつめられて、傷ついた者の声。
「祐一?」
「祐一さん?」
心配そうに問い掛ける舞と佐祐理の声はもはや弱い。
――出血が、多すぎる。
そしてそれ以上に、妖気に浸食されているのだ。
たとえ守護役といえども、一度浸食した妖気に抗う術はない。
つまり――死は、確実に舞と佐祐理を浸食していると言うことだ。
東京圏で守護役であった祐一には解っていた。
もう、手の打ちようがないことが。
「まただ!
また護れなかった!
護る力はあったのに!」
哭きながら、その拳を大地に叩き付ける。
大地は砕けるが、しかし――祐一の拳には血は滲まない。
掠り傷すら付いていない。
「俺は――また、喪うのか?」
その言葉を呟いた瞬間祐一の脳裏をよぎったのは――記憶。
失った記憶の欠片が刃となる。
「また?
俺はまたと言った?」
何を喪ったのか。
記憶にない。
いや、記憶がない。
思い出せないのではない。記憶そのものが封印されている?
「は・・・はは・・・こんな・・・
こんなときまで!
こんな時まで俺は!
過去に囚われている!」
目の前で大切な存在を喪おうとしているのに過去に囚われているという怒り。
そして、大切な存在を救えないという事実。
それを認識した瞬間――
破壊が開いていく。
7年前と同じように。
それは完全な破壊。
遺伝詞の残滓すら残さない破壊だ。
しかし。
「仕方・・・無いですね・・・」
諦めた様な、美汐の声。
「相沢さん。約束して下さい」
その声が、破壊の開花を止めた。
「私の神典を口外しないと。
いえ――あなたは、これから起こることを、何も見ない。
何も聞かない。
いいですね――?」
祐一の答を待たず、美汐は――
彼女の奏神具を手にとって。
詠いだした。
<美汐:神域・展開/夜天光・起動/典詞詠唱・開始>
[恐れていたこと 怖かったこと
傷つくこと 傷つけられること
深く深く刻まれた 心の傷を抱いたまま
癒えるその時を ただ待っていた]
<美汐:癒神・交神>
癒える。
癒えていく。
舞と佐祐理の傷が、癒えていく。
祐一は神典の存在を再認識していた。
闘うための力。
それは神典の一つの形態だ。
奇跡もて敵を滅する力。
それもまた神典。
便利な力。
それもまた神典の一つの形だ。
奇跡もて生活の術となす。
それもまた神典。
しかし、今美汐が見せた神典――癒神。
これは、闘う力ではない。
便利な力でもない。
護るための力。
傷ついた存在を癒すための力だ。
これこそが――神典が存在する意味ではないのか?
祐一はそんな思いに囚われ、美汐に声をかけた。
「天野・・・」
しかし、その次に出すべき言葉が浮かばない。
なんと言えばいい?
凄いな。
違うだろう。
彼女はそんなことを望んでいない。
そんな気がする。
ありがとう。
彼女は多分これも望んではいない。
彼女が望んでいるのは忘却だ。
何も見なかったという忘却。
それでも祐一は言葉に出さずにはいられなかった。
美汐が望もうと望むまいと、美汐が舞と佐祐理を救ったことは事実なのだから。
「ありがとう・・・天野」
その言葉。
不意打ちにも似たその言葉に、美汐は思わず顔を上げた。
その顔に浮かんでいるのは――
無表情。
しかし――こんな無表情があるだろうか?
今にも泣き出しそうな、それが解っているからこそ表情を殺そうとしている。
しかしそれは成功したわけではない。
こんなにも、泣いた様に見えるから。
「天野?」
その表情に祐一は思わず声をかけたのだが――
美汐は1度目を伏せた後、冷たい言葉を口にした。
「相沢、さん」
今にも泣き出しそうな無表情のまま。
「これ以上、私を巻き込まないで下さい」
祐一はしかし、その言葉に――
「でもな、天野!」
と。
「お前が舞や佐祐理さんを助けてくれたことは事実だ!
だからな、天野!
俺はお前が困ってそうな時は迷わずに声をかけるぞ!
――絶対だ!」
反論した。
その言葉を聞いた美汐は俯いて――
少しだけ我慢した後、立ち去った。
「天野――」
祐一は美汐を見送った後、舞と佐祐理に向き直り――
「で、だ。
俺は学校に帰ってみるけど――舞と佐祐理さんはどうする?」
そう訊いたのは、祐一が美汐の神典を信頼したからだろう。
ごく当たり前の様に、聞いたなら。
「――当然、行く」
と、舞。
「佐祐理も行きますよ」
と、佐祐理。
2人とも迷いはない。
「じゃぁ、行くぞ!」
そして――疾走開始。
――祐一・脚術技能・発動・疾走・成功!
「俺は先に行っている!」
言葉だけを残し。
――祐一・体術/脚術技能・重複発動・疾駆・成功!
更に加速。
――祐一・体術/腕術/脚術技能・重複発動・神速・成功!
そして、学校へ――
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