『奇跡円舞曲』movement 09
「・・・なに?」
祐一は校門の前で呟いた。
目の前の光景を疑い――
――祐一・視覚/心理技能・重複発動・幻視対抗・成功。
それでも目の前の光景は変わらない。
「な・・・んだと・・・?」
呻き、拳を握る。
「幻視じゃないなら――神典か!?」
祐一は呟き、力の名を呼ぼうとして――
神典を――否、遺伝詞すら破壊する牙の名を呼ぼうとして――
躊躇した。
遺伝詞すら破壊する牙。
目の前の光景が幻影だったならいい。しかし、事実だったなら?
間違いなく、破壊してしまうだろう――この、現実を。
それよりも、本当に自分はこの力を制御しうるのか?
恐怖が渦巻いた。
恐怖は力を食らいつくし、残滓すら残さなかった。
――祐一・精神技能・発動・衝動抑制・成功。
わき上がる恐怖を意志の力で抑えつけ――深呼吸。
「・・・くそ」
短く、呟く。
「情けない、な」
その呟きと同時に――追いついてきた舞と佐祐理の声。
「祐一?」
「祐一さん?」
その声に含まれているのは、祐一への気遣い。
祐一は極力平穏を装って問い掛けた。
「舞・・・これは、現実か?それとも、神典が見せる幻影か?」
舞は目を細め、呆れた様な顔。
「祐一、寝ぼけちゃ駄目」
「祐一さん、疲れちゃったんですか?」
つまり――目の前の光景は現実。
その答に、祐一が感じたのは――
一つは、目の前の光景が現実であったことに対する安堵。
もう一つは、この現実破壊していたかも知れないという恐怖。
祐一が眼にしたもの――それは。
「あ、祐一どうしたの?」
のほほんと手を振る、部活中の名雪だった。
当然、校舎にもどこにも破壊の跡はない。
祐一は軽く肩をすくめて、
「見てのとおりだ。
なにもない――どうやら心配しすぎたらしいな」
苦笑。
そう、苦笑するしかなかった。
これはあり得ない光景なのだ。
あれほどの妖物が出たならば――何らかの反応があってしかるべきだろう。
なのに、無い。
生徒は普段通りに放課後を過ごしていた。まるで、あの妖物達との戦いは別の世界の事であったかの様に。
その異常さに祐一は黙り込んだ。
そして――
「祐一、どうかした?」
「びっくりしましたよ、いきなり走り出すなんて」
舞と、佐祐理の言葉に。
「・・・何バカ言ってんだ?妖物があれほど出たの、憶えていないのか?」
その祐一の問いに――
「ふえ?なんのことですか?」
「祐一、悪い冗談はよす」
舞も、佐祐理も――祐一にとってはまともな答を返さなかった。
「・・・え?」
短く、呟く。
さっきのが夢?
そんなバカな。
しかし、舞や佐祐理が――守護役や、その補佐がこの街の守護に関わることで嘘を付くだろうか?
答は、否。
何が起こったのか――考え込みだした祐一を余所に、
「?」
3人はただ不思議そうな顔をしていた。
「あれだけの妖物を相手に無傷、か」
生徒会室から外を見ながら、久瀬は楽しそうに呟いた。
「さすが、と言うべきか――
いや、100を下らない数がいた言えたかが妖物。その程度で怪我でもしてもらったら僕が困るんだけどね」
そして苦笑。
「もっと走り回って貰わないとね・・・僕の、願いと――」
久瀬は鋭く祐一を見据えた。
その視線は鋭いが、込められているのは――決して悪意ではない。
悔恨。
回顧。
懐旧。
そんなものを込めて、ただ強く見据える。
と。
――祐一・視覚技能・発動・視線察知・成功。
祐一が顔を上げ、刹那、視線が交錯した。
その祐一の様子にただならぬものを感じたのか、舞。
「祐一、どうかした?」
「いや・・・何でもない」
その問いに祐一は顔を戻し、呟いた。
確かに何も無かったことに対する不安はある。
あの妖物との戦いを舞も佐祐理も憶えていないのも不安の一つ。
先ほどの視線も不安の一要素だ。
しかし、それ以上の不安があった。
――自分自身の力。
神典どころか遺伝詞すら破壊する、祐一自身の神典。
そのことについて質さなければならない。
だから、帰る必要がある。
――仮に妖物が出ても、舞がいる。佐祐理がいる。名雪は――まぁ、どれだけ戦力になるか分からないが。
どうやったのかは分からないが、あの妖物を『破壊』した瞬間、違和感を感じていた。
精神的な遺伝詞の介入――つまり、あの妖物は『操られていた』。
そして、舞や佐祐理の記憶――それさえも、この校舎に入った瞬間に『操られた』。
その様な力を持ちうるのは――一人しかいないだろう。
この華音圏の総長。
闘争の遺伝詞を切望する男。
この街の深呪からの解放を願う男。
――久瀬・正登。
しかし、今日は手出しをする気はないらしく、校舎の周囲には遺伝詞の異常な揺らぎはない。
つまり――今はまだ『そのとき』ではなく、久瀬は祐一を試しただけなのだろう。
だから、もう今日は何事も起こらないだろう。
ならば――いつまでも此処に留まるべき理由はない。
故に。
「名雪。悪いけど、先に帰るな」
軽く声をかける。
「え?待ってくれないんだ」
名雪は怪訝そうな表情のままだが、引き留める気配はない。
「・・・ちょっと、な」
その様子に何かを感じたわけではないだろうが、名雪はあっさりと笑った。
「仕方ないね。今日は諦めるよ」
「そうしてくれると助かる」
そうして祐一は僅かに苦笑。
帰宅の足を進めた。
「祐一、どうかした?」
「祐一さん?」
心配そうな舞と佐祐理に呼び止められて、振り返って微笑。
「ちょっと気になることがあるだけだ。だから、気にしなくていい」
笑顔の陰に不安を抱きつつ、疾走開始した。
「お帰りなさい」
扉を開ければ、変わらない笑顔。
数年前と変わらない笑顔で、秋子がいた。
「秋子さん――」
秋子は扉を開けた途端に問い掛けようとした祐一に笑いかけ、注意。
「祐一さん、家に帰ったら『ただいま』ですよ?」
「・・・ただいま」
「はい、お帰りなさい」
意気は殺がれたが、しかし疑問まで殺がれたわけではない。
祐一は秋子の目を見つめ、口を開いた。
「秋子さん。どういうことですか?」
そして口にしたのは――自分の力の事実。
「俺の神典――破神は妖物のとはいえ遺伝詞を破壊しました」
その祐一の言葉に、秋子は疲れた様な溜息一つ。
「・・・破神が祈導してしまったんですね」
その、苦笑とも微笑とも取れる笑顔に、祐一は思わず強い口調で問い掛けて。
「秋子さん・・・あなた、知ってたんですね?」
「ええ。でも、嘘をついていたわけじゃないですよ。破神の起動効果は――確かに神典の破壊なのですから」
祐一の機先を制して、秋子は告げた。
「そして祈導効果は――遺伝詞の破壊。恐らく最も忌み嫌われる効果でしょう。
何しろ――ありとあらゆる全てが祐一さんの前ではその意味を失います。あなたは遺伝詞の破壊者なのですから」
そして淡々と。
「しかし、それ以前に祐一さんは破神を祈導しても、完全に制御することが出来るのはごく短い間だけ。それを越えると破神は――暴走するでしょう」
淡々と、恐怖の種を播いていく。
「暴走した祐一さんの力は、この街くらいなら軽く破壊してしまうでしょうね。命を持つ者ものと持たないものの隔てなどなく」
祐一の心に。
「制御して下さい。感情のままに神典を暴走させたりすることのない様に・・・」
不安の種子が播かれていく。
自分の力に対する恐怖の種子が。
しかし、秋子は同時に――
「破壊の力は――決して不幸のみをもたらすわけではありません。振るうべき場所によっては、幸福を生み出すことも出来るはずです」
希望の種子も播いていた。
「つまり――破壊を、破壊のままで済ませるのか。創造への道標とするかは祐一さん、あなた次第なんです」
自分の力は知らされた。
あと、その力の方向を決めるのは――他でもない祐一自身だ。
今はまだ、恐怖が勝っている。
しかし、その恐怖に克たなければ――破壊は破壊のままだ。
未来を紡ぐ力とはなり得ない。
祐一は自分の拳をただ眺めた。
祐一は感じていた。
心のどこかで、何かの鎖が一つ解けたことに。
そしてそのことに、何かが――心の中に棲まう何かが、歓喜の咆吼をあげていた。
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