『奇跡幻想曲』movement 01
眠りの中、見えた。
鎖に封じられた、何か。
意識から封じられた記憶だ。
祐一は鎖に手を伸ばした。
衝撃。
鎖は引きちぎられ、不気味な静けさをもって浮き上がってきたのは7年前の記憶。
祐一は一瞬躊躇したが、その記憶を取り込み――自分の記憶ではないことを理解。
その記憶の持ち主は祐一を見下ろし、空を見上げ、華音の街を展望している。
その事に微かに驚きつつ、祐一はその記憶に精神を集中させた。
その場所にいたのは4人。
匪天と、樹精。
自分がいる。
そして、もう一人。
4人はいつも一緒にいた。
ある日。
4人はいつものように神樹の元に来ていた。
神樹――それは神授都市と呼ばれる華音の象徴にして守護者たる存在。
その頂の横、まだ力弱き翼で風を打ち、空を舞っている匪天――月宮・あゆ。
大地からそれを見守る樹精。
その傍らで空を見上げる自分たち。
「あゆの奴気持ちよさそうだよなぁ・・・
なぁ、正登、樹。俺たちもいつか飛べるかな?」
目を輝かせ、そう言ったのは――相沢・祐一。
「そうだね。飛べると良いね」
そう言って微笑んだのは、樹精の少女――神谷・樹。
「・・・夢だね。でも、悪くないよね」
苦笑しながらも、憧れるような目で空を見上げたその少年は――
久瀬・正登だった。
現在のシニカルな笑みはなく、楽しそうな笑みを浮かべている。
「あゆ、そろそろ降りてこいよ!」
空に向かって呼びかけた祐一の声を追いかけるように――
何かが、空を切り裂いた。
放たれたのは、矢。
「・・・あ」
微かに届いたのは、吐息のような声。
撃ち抜かれたのは翼。
だが、バランスを崩しただけだ。
危なげではあるが、まだ空にある。
――しかし、更に矢が翼を貫いた。
制御は失われた。
あゆの身体は重力に従い落下して――白い大地に、打ち付けられた。
「あ・・・」
目の前。白が紅に染まっていく。
目の前で起きた事態を理解出来ず、祐一たちは呆然としていた。
その耳にどこか遠くから届いたのは声。
二人連れの少年が、話していた。
その手にあるのは、ボウガン。
あゆを射たのも、たぶんそれだったのだろう。
祐一達は虚ろな目で、それを見ていた。
何も理解出来ず――いや、目の前の現実を理解したくなくて。
「何やッてんだよお前。匪天くらい一発で落とせよ。まぁおかげで俺も撃てたんだけどな?」
「け、感謝しやがれ」
どこか遠くに聞こえる、その声。
「でも本当、うざったいんだよなぁ奴ら。
匪天にせよ獣人にせよ。この世界は俺たちのだってのに大きい面しやがって」
忌々しそうに呟いた少年の目が、祐一達を向いた。
「おい、あれ」
唖然としたままの祐一達を。
そして浮かべたのは――愉しそうな笑み。
「お、良い的がいるじゃん。樹精も一度撃ってみたかったんだよなぁ」
嗤い、二人の少年はボウガンを樹に向けて――放った。
放たれた矢は樹の右胸を貫き、脇腹を貫き――血が雪を赤く染めた。
その瞬間。
力が、暴走した。
「あ・・・」
紅い空。
「ああ・・・」
紅い雪。
「ああああああああああああああっ!」
紅く染まる少女。
それを目が認めた瞬間。
消えた。
消えていった。
全ての奇跡が。
「あああああああああああああああああっ!」
この街を支える力。
奇跡が、消えた。
暴走した神典は、少年達の神典を喰らった。
奇跡だけではない。
神器。
技能。
全てだ。
少年達は、奇跡だけではなく、全ての加護を喪った。
結果――無意識に自らを護る壁は無くなり、二人は暴虐の力に晒された。
絶望が空間を満たし、そこにあるのは抑制されることなく解き放たれた神典。
一人は精神を微塵に砕かれ、身体を構成する物質を塩に造り替えられた。
一人は唐突に創造された水晶の中に封じられ、遺伝詞ごと破壊された。
――二人に害を及ぼした者は、消滅した。
だが。
それでもなお、力は荒れ狂い続けた。
破壊と創造。
物質と精神。
暴走。
それは全てを浸蝕していく。
ゆっくり。
ゆっくり。
しかし、確実に。
その根本にあるのは、絶望。
だが。
「駄目だよ・・・」
「わたし達は、大丈夫だから・・・」
今にも息絶えそうな匪天と樹精の言葉に、我を取り戻す。
しかし、一度解き放たれた力は鎮まることはない。それでも。
「あああああああっ!」
「おおおおおおおっ!」
咆吼し、意志を振り絞り、力の方向性を定めた。
一瞬。
ほんの、一瞬。
破壊の力は矢と、矢が撒き散らす死の遺伝詞を破壊し、
物質の力は傷を癒した。
創造の力は荒れ狂う力から彼女たちを護る空間を紡ぎ出し、
精神の力は意識を取り戻させた。
しかし、足りない。
荒れ狂う力を封ずる術は、無い。
だから。
「させねぇ!」
叫んで、祐一は絶望と対峙して――力を放った。
破壊。
しかし解き放たれた破壊の力は絶望に届かない。
創造。
しかし創造された障壁を絶望は容易く喰らった。
「――なら!」
祐一は思考した。
あれは、自分たちが生み出したモノだ。
なら、自分をその内に取り込んだら?
弱くなるのではないか。
消えるのではないか。
「正登」
「祐一!」
止める間はなかった。
祐一は短く、
「後は頼んだ」
呟き、絶望に身を躍らせた。
――と。
自らを生み出した祐一をその内に取り込んだからか、絶望はその動きを止めた。
「祐一!」
反射的に絶望の中に両の腕を突っ込む。
探す。
探す。
探す。
――見つからない。
それでも残された遺伝詞を頼りに、細い糸を手繰るように引き寄せ掴んだ。
その行為に、絶望は反応した。
「!」
反射的に腕を引き抜く。
掴んだ祐一ごと。
直後、正登が感じたのは激痛。
左腕が、喰われていた。
それでも助けられたのだから、と右手を見て正登は愕然。
掴んでいたのは、祐一の右腕だけだった。
絶望が、溢れた。
また。
強く。
正登。あゆ。樹。
3人分の絶望だ。
動きを止めていた絶望が蠢動を開始。
その事に気付くも、動くことが出来ない。
のろのろと正登は顔を上げて――見た。
「ごめんね・・・」
微かな声。
樹だ。
透明な笑みを浮かべ、絶望に背を向けている。
「今のうちになんとかしないと、祐一君怒っちゃうよ。
それに、今あれを何とか出来るのは多分わたしだけだから」
「待・・・」
しかし少女は言葉を待つことはない。
「力を、貸して・・・」
神樹――自分を生み出した存在に軽く手を当て、呟く。
と。
地面を貫き、幾つもの槍が生まれた。
根だ。
根は絶望を絡みとり、封じ、地中に引きずり込んだ。
後に残されたのは何の変哲もない大地。
何かあったのか。
何があったのか。
最早知る術はない。
それを満足そうに見やり、樹は正登に何かを差し出した。
球形の、何か。
光と闇をその内に持つ結晶だ。
「これは・・・」
「祐一君の、精神。
身体は奥深くに封じられちゃったから間に合わなかったよ」
弱々しい声。
倒れそうな。
何かを察したのか。
息を呑んだ正登の前。
樹精の少女は、ゆっくりと倒れた。
――抱き留める。
「・・・あ」
嬉しそうに、樹は正登に微笑みかけた。
「あのね。お願いがあるの。
多分、この街は変わっちゃった。
わたし達の、せいで。
だから、元に戻して上げてね」
言葉で答えることが出来ず、ただ頷く。
「あはは、疲れちゃった。
眠るね・・・」
そして樹精の少女の精神は――絶望の封印となった。
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