『奇跡幻想曲』movement 02





「なんで・・・ボク達が何をしたの?
 ボク達、何か悪いことしたの?」
 あゆは泣いていた。
 叫ぶほどに。
 しかし、悲しみの深さ故に叫ぶことも出来ず、ただ、泣いていた。
 正登は神樹の下、ただ呆然としていた。
 己の手の中にある掬い上げた右腕と、救い出された精神を見つめて呆然としていた。
 その二人に耳に、哀しみに溢れた声が届いた。
「遅かった・・・・ようですね」
 秋子だ。
 周囲に残る遺伝詞の記憶から何があったのかを読みとり、悲痛な声で言った。
「祐一さんと樹さんが――封じているのですね。
 あの、絶望を。
 この街を食らいつくすほどの絶望を」
 正登はええ、と呟き、神樹に目を向けたままで秋子に答えた。
「祐一はその身体をもって。
 樹はその精神をもって。
 絶望を封じています。
 僕たちが生み出した、絶望を」
 正登は項垂れたまま呟き、秋子にそれを差し出した。
「祐一の右腕と、精神です。
 貴女なら何とか出来るでしょう・・・
 祐一を、助けてやって下さい」
「あなたも・・・左腕を・・・」
「・・・持ってかれました。風水も多分効かないでしょうね。
 遺伝詞ごと、みたいですから」
 自嘲めいた笑み。
 泣き笑いの表情で、正登は秋子に向き直った。
「何も――」
 地面を、殴る。
「僕は何も出来なかった!
 何も!何も!
 ただ、見ていただけだ!」
 何度も。
 何度も。
 拳から血が流れても、なお。
 血に染まった拳を嗤いながら見つめ、震える声で正登は叫ぶ様に宣言した。
「僕は、必ず取り戻します!
 祐一を、樹を取り戻します!
 そうしないと、僕は僕を赦せない――!」
 それは覚悟。
 それは決意。
 己の精神と肉体を砕いても成し遂げるという意思の顕れだった。
「僕の神典は、その力を持っている。
 そう、信じます。
 精神と、物質を操る神典なのだから・・・
 でも僕にはまだ力が足りません。
 祐一を救い出し、樹の心を絶望から切り離すだけの力が足りません」
 呟き、自らの血に濡れた拳を見据え、そして秋子の目を見据えて。
 告げた。
「だから僕は強くならないといけないんです。
 祐一と樹を助けるだけの力を手に入れないといけないんです。
 何があろうとも、何をしようとも」
 正登の意志に触発されたのか、泣いているだけだったあゆも顔を上げた。
 同じように秋子を見据え、訊いた。
「ボクの神典は・・・
 正登くんのと違って、そういうのは無理。
 でも、ボクが凄い風水師になればきっと絶望から祐一くんや樹ちゃんを取り戻せますよね?
 そうですよね?」
 その瞳の色に秋子は一瞬の躊躇。
 悩んだ後、告げた。
「可能性は、あります」
 悲痛な詞色。
 その声に滲むのは後悔の遺伝詞だ。
 だが、正登とあゆは躊躇せず、同じ音を紡いだ。
「どんなに罵られようと、どんなに忌まれようと、
 どんなに蔑まれようと、どんなに嗤われようと、
 ボクたちは、彼らを取り戻します。
 絶対に取り戻します。
 僕たちの、全存在をかけて。
 この地に封じられた、ボクたちが生んだ絶望を滅ぼします。
 それまで僕たちは――ただの、殺括者にでもなります。
 だから・・・だから、お願いです」
 ボクたちに、力を下さい」
 躊躇。
 秋子から漏れた詞色は明らかに躊躇していた。
 今から告げようとしていることを、本当に告げても良いのかどうか。
 だが、正登とあゆの目に決心し――告げた。
 後悔と共に。
「正登さん。あなたの喪われた左腕となり、そして力を与える奏神具はあることはあります。
 喪失技巧で作られた奏神具――無尽。
 尽きること無く、力を与える奏神具です。
 でも、その代償は・・・大きいでしょう。
 そしてあゆさん。風水で絶望に取り込まれた者たちを救い出す――
 口で言うのは簡単ですが、現実的には無茶と言っていいでしょう。
 少しずつ、少しずつ――
 長い年月を掛けて風水する必要があるでしょう。
 しかも尋常ではない詞階制御能力が必要です。
 それでも、あなたたちはやりますか?
 あなた達の将来を――それで全てを費やすことになっても」
 その問いに対する返答は、一瞬の躊躇もなく返された。
「構いません」
 ただ一言を以て。
 生きていながら、生きていない。
 その力を絶望の封印に向けている神樹の元。
 秋子は空間からそれを取りだした。
 勾玉のように見える、それ。
「これが、無尽です。
 使い方は――無尽が教えるでしょう。
 ただし、気を付けて下さい。
 無尽は大きな力を与える反面、危険な奏神具です。
 あなたが迷えば、無尽はすぐにあなたを喰らい尽くすでしょう。
 最後にもう一度訊きます。
 後悔はしませんね?」
 差し出された無尽を右手で受け取りつつ、正登は答えた。
「後悔なんか・・・一度で充分です」
 と。
 心に、何かが浸蝕してきた。 
 それは意志だ。
 奏神具に潜む、何かの意志。
 いや。奏神具は正登の意志を具現化しただけだ。
 世界を恨み、自分を恨む、どす黒い感情。
 それを、抑える。
 幽鬼のような表情で、その年齢にはそぐわぬ意志と声で。
「僕は、僕の、為すべき事を・・・為すと決めたことを為す。
 誰にも止められない。誰にも止めさせない。誰にも、誰にも、誰にも・・・」
 小さく、呟き――叫ぶ。
「邪魔はさせない!」
 屈服したように無尽が正登の右手を離れ、宙に浮き、形取っていく。
 ――左腕を。
 見た目には生身と何ら変わらない、左腕。
 それはつまり、正登が無尽を制御している証だ。
 秋子は安堵の吐息と共に、正登に警告した。 
「とりあえずは――制御に成功したようですね。
 でも、忘れないで下さい。
 無尽は、正登さん次第で正登さん自身に牙を剥くということを」
 正登は己の左腕となった無尽を眺めた後、大樹を見上げた。
 樹を生み出し、華音の守護者たる神樹を。
「ええ・・・分かっています」
 時を凍らせた神樹から一枚、葉が落ち、砕けた。





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