『奇跡幻想曲』movement 03





 己の左腕を見、あゆを見、正登は告げた。
「僕を止めることが出来、僕を止める権利があるのは――
 祐一と、樹。そしてあゆ・・・君だけだ」
 そして秋子を見上げ、言葉を、言葉に込められた決意を紡ぐ。
「秋子さん、僕は・・・あなたにも、僕を止めさせはしません。
 力を貰っておきながら申し訳ないとは思いますけど・・・これだけは譲れないんです」
 秋子の返答は短い言葉。
「いえ・・・」
 悔いるように、祐一の右腕と精神を抱きつつ。
 哀しみに、涙を零すことも出来ず。
 ただ、悔いていた。
 その悔いを払ったのはあゆの問いだ。
「秋子さん。祐一くんはどうなるの?
 助かるの?どうやって助けるの?」
 そうだ。
 悔いている時間はない。
 秋子はあゆと正登の目を見据え、告げた。
「精神をこのままにしておくのは危険です。
 しかし、義体は意味を成さないでしょう。
 だから・・・正登さん、あなたの左腕と同じように、祐一さんの身体を奏神具で補います」
 腕を一閃。
 槍を、そして勾玉のような奏神具を呼び出す。
 その奏神具は無尽――正登の左腕となった奏神具――と、同じ形をしていた。
 ただ、色だけが違う。
「天輪。無尽と対を為す、喪失技巧で創られた奏神具。
 正登さんの無尽と同様に危険な奏神具です。
 これしか、祐一さんを――封じられた祐一さんを救う術はありません」
 天輪と、祐一の右腕と、祐一の精神を浮かべ、槍を構える。
 燎。
 槍が鳴き始めた。
 高らかに、哀しそうに、決意を秘めた歌を歌い始める。
「腕に刻まれた遺伝詞と、精神が持つ記憶。これらを元に、天輪で祐一さんの身体を構成させます。
 あくまでも偽りの身体で、義体ですら無いのですが――これしか、手段は無いでしょう・・・。
 恨まれるかもしれません。
 でも、私には他に出来ることがないんです」
 祐一の右腕と、精神と、天輪と呼ばれた奏神具。
 それらに秋子は槍を打ち付けた。
 強く、高らかに。
 響。
 と。
 音が、駆け抜けた。
 正登とあゆは見た。
 祐一の精神が天輪と結びあい、天輪がその形を霧の様に変え、祐一の身体を形作っていくのを。
 微かに透き通った祐一の身体。
 右腕は、無い。
 しかし、その身体が本当の祐一の右腕と結びついた瞬間。
 強い、光と闇は渦を巻き、それがやがて収まった時――
 祐一は、仮初めの身体を得て再生していた。
 その右腕と、その心だけ本物のままで。
「とりあえず、これでいいでしょう。
 でも、偽りの身体はいつまでも保つものではありません。
 本来奏神具として、人の道具となるべきものが人の身体の形状をとっているのですから・・・」
 吐息。
 それに対する正登の表情は、笑顔。
「それまでには何とかしますよ。
 祐一だって、きっと力を貸してくれるでしょうし」
「正登くん。ボクも、力を貸すよ。
 ボクがここにこうしているのは、多分その為だから。
 3人で、本当の祐一くんと、樹ちゃんを取り戻そう!」
 あゆもことさらに明るく言ったが、秋子の表情は暗い。
 つまり。
「いえ・・・祐一さんはこの街から暫く離れてもらいます。
 祐一さんは正登さんと違い、身体全体――右腕以外を奏神具で補っている状態です。
 それに、祐一さんの身体が絶望と共にある以上、共鳴の危険もあります。
 何の準備も整っていない時に共鳴し、絶望が目覚めたら――この街は、崩壊するでしょう。
 ・・・分かって下さい」
 苦しげな声で告げられて、正登とあゆは溜息。
「・・・そう、ですね・・・少し、浮かれていました・・・。
 なら・・・記憶も封じた方が良いでしょうね。
 祐一のことだから、きっと自分を責めて、後悔するでしょうから」
 その年には似合わない自嘲を浮かべ、正登は眠っている祐一を見下ろした。
「全く、腹が立つな。
 気持ち良さそうに寝ているし」
「本当。よく寝てるね」
 少しだけ悔しそうに、そして哀しそうに正登とあゆ。
「正登さん。
 祐一さんの記憶を――今日一日の記憶を、封じて頂けますか?」
 言葉にし、秋子は目を伏せた。
「すみません・・・
 私には、お願いすることしかできないんですね・・・」
 それに対する正登の返答は微かな苦笑。
「・・・仕方ないですよ。
 僕も僕自身の準備が整う前にこの街に壊れてもらったら困りますしね――」
 答え、喪った左腕の代わりであり、己の奏神具である無尽に意識を集中した。
 ――違和感は、無い。

<正登:神域・展開/無尽・祈導/典詞詠唱・開始>


 正登は無尽を起動。
 だが。
 本来神典の発動のために不可欠であるはずの典詞を詠った刹那――

[月は静かに 密やかに
   人を見守りそして見下ろす
  心を狂わせ 心を惑わせ

「正登さん!いけません!」

    心を鎮め 心を癒す
   見上げた夜空の月の光は
     やがて来たるべき世界へ誘う]

<正登:月神・降神>

 無尽は、牙を剥いた。
「な!」
 轟。
 月神は歓喜の声を上げた。
 神典の流れは祐一を掠め、渦を巻いている。
 再び祐一にその牙を剥こうとして――
「ああああぁぁぁぁあああぁぁぁ!」
 正登の血を吐くような絶叫に、その動きを止める。
「!」
 あゆはとっさに秋子が携えていた槍を奪い、荒れ狂う月神に立ち塞がった。
「心を護る壁、拒絶の意志、20万詞階の遺伝詞よ!
 聞こえているかな?ボクの声が!」
 構え、見据え、そして振るう。
 祐一を――祐一の心を護るために。
「――ラ!」
 一閃。
 晶!
 涼やかな音は響き、月神は遮られた。
 しかし、その壁をじわじわと月神が浸蝕していく。
「正登くん、今の内に早く!」
 槍を月神に向けたまま、あゆ。
「・・・!」
 正登は瞬時に理解した。
 暴走している月神は、もはや正登の神典ではない。
 あの、絶望と同じ存在だ。
「こいつに好き勝手させたら・・・祐一と樹に会わせる顔がない!」
 叫ぶ。
 神典の名前だけ。
「月神!」
 制御された月神は正登の左腕に絡みつく。
「砕け!」
 突き出した左の拳の勢いそのまま、より強い意志の元に放たれた神典は、狂った月神を打ち砕いた。
 呆然としている正登とあゆの耳に、悔恨と涙に彩られた秋子の声が届いた。
「・・・天輪と、無尽は・・・強力すぎる奏神具なんです。
 典詞を詠えば、神典は意志を外れ、暴走しかねない・・・
 私がもっと早く言っていれば・・・」
 唇を噛み、一呼吸。
 告げる。
 先ほどの神典の暴走の結果を。
「祐一さんの記憶は・・・今日だけじゃなくて。
 どれだけの範囲かは分かりませんが、封じられてしまいました・・・」
 喜から悲に変わった空気の中、祐一と樹だけが変わらない表情で眠っていた。





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