『奇跡幻想曲』movement 04





「はは・・・なんてことだ。
 僕はまた――!」
 崩れ落ちた正登に、あゆの声が届いた。
「正登くんのせいじゃないよ。
 これは――ボク達、みんなの罪・・・」
 吐息。
 一気に言う。
「大きな絶望が生まれた。
 この街から神典以外の力が消えた。
 祐一くんの記憶が欠けた。
 祐一くんと樹ちゃんを犠牲にした。
 全部、全部ボク達の罪・・・
 だから、ボク達は――
 祐一くんを取り戻さなきゃいけない。
 樹ちゃんを助けなきゃいけない。
 絶望を打ち払わなきゃいけない。
 ボク達には、後悔している時間はないんだよ・・・」
 疲れた声だ。
 しかし、迷いはない。
 正登は俯いた顔を無理矢理上げた。
 そしてあゆに同意。
「ああ・・・そうだね。
 僕にも、悩んだり後悔している時間はない。
 後悔なら――全て終わった後でいい」
「それにね。
 祐一くんの心が砕けたわけじゃないよ。
 記憶だって、永遠に喪われたわけじゃない。
 封じられただけなんだから。
 きっと、戻るよ。きっと・・・
 だから、ボク達はボク達に出来ることをしようよ。
 ううん、しなきゃいけないんだよ」
 正登を元気付けるように、或いは自分に言い聞かせるように、あゆは透明な表情で言葉を続けた。
「だからボクは、祐一くんと樹ちゃんを呼び戻すための力を求めるよ。
 祐一くんの身体を解放出来るだけの風水を成し遂げるための力を・・・」
 正登もそれに応え、左腕を見ながら言葉を紡いだ。
「なら僕は・・・絶望を打ち砕くための力を手に入れよう。
 二度とこんなことが起きないようにするための力を。
 同じようなことが起こった時、それを打ち砕き、誰も犠牲にしないで済ませることが出来るような、そんな力を・・・」
 その、決意。
 それに賛同するように正登の左腕――無尽が啼いた。
 無尽に併せ歌うように、あゆが持っている槍も歌を奏で始める。
 凛。
 透き通るような、哀しげな音だ。
 泣き出しそうなほど切なく、しかしその奥に暖かい何かを秘めた音。
 その音を聞き、秋子はあゆと、あゆが手にした槍に目を向けた。
「どうやら――気に入ったようですね。
 あゆさん、この奏神具はあなたの物です」
 秋子はあゆを見つめ、もう一度呟いた。
 この奏神具は、あなたのものです、と。
 あゆは目を見はった。
「でも・・・これは秋子さんの・・・」
 あゆの言葉を遮り、秋子。
「あゆさん。
 あなたはひと一人を風水するのでしょう?
 なら、この奏神具――久遠はきっとあなたの力になってくれます。
 久遠もそれを望んでいるでしょう」
 そうだ。
 何でも、力になるなら何でも『利用しなければならない』。
 だから、あゆは俯き――涙を、零した。
「ありがとう・・・ございます・・・」
 そんなあゆに、秋子は警告。
「でも、気を付けて下さい。
 この久遠も天輪や無尽ほどの力はありませんが、喪失技巧によるものです。
 あなたの行動次第では、久遠はあなたから離れていくでしょう」
 一瞬だけ、あゆの顔が恐怖に歪んだ。
 しかし、思い出す。
 決意を。
 あゆは頷き、久遠に語りかけた。
「これから、よろしく・・・
 ボクは、弱いから・・・だから、あなたの力が必要です。
 ボクに、力を貸してください・・・」
 真摯に、語りかけた。
 その言葉に秋子が頷き、そして――
 久遠が、啼いた。
 美しく、切なく。
 しかし、あゆの言葉に応えるように――啼いた。


 ――暗転。
 ここから先は祐一の記憶にある。
 虫食いだらけの記憶。
 しかし、その事を疑問に思うことも出来ないでいた。
 否。不思議に思えるほどの精神状態ではなかった。
 音や光に反応するだけの、人形のような祐一を連れ、祐一の両親はこの街を離れた。
 それは――祐一を護るためだった。
 この街にいる以上、祐一は絶望の遺伝詞を封じている本当の身体の影響を免れ得ない。
 だが、いつか戻らなければならないのも事実だ。
 だから、祐一は自分自身を護り、制御するだけの力を手に入れる必要があった。
 故に、祐一の両親は異常なまでに祐一の精神と身体を鍛え上げていくことになる。
 ――東京圏の守護役を務め、天狼と呼ばれ畏れられるほどに。

 天輪により精神を再構築されている祐一を乗せ、電車は華音の街を離れていった。
 その、電車を見送る秋子。それにもう二人の人影が加わった。
 正登とあゆだ。
「祐一・・・少しだけ、さよならだ」
「きっと・・・また、逢おうね・・・」
 直接逢いたかっただろう。
 直接言いたかっただろう。
 だが、それは出来なかった。
 二人に会うには祐一の精神は不安定すぎた。
 暴走が再び起こったら、華音を護る術はもう無い。
 その為の苦渋の選択だった。
「あゆさん、正登さん・・・すみません・・・」
「いえ・・・祐一くんのためですから」
「仕方・・・無いです・・・」
 秋子を恨むそうな素振りは微塵もなく、あゆと正登は祐一を見送った。
 そして、電車の最期の車両が見えなくなった頃――秋子は、口を開いた。
 穏やかに、しかしこれからこの華音を襲うであろう事態を。
「これからこの街は戦場となるでしょう。
 神器も、技能も消えたこの街は他の都市の格好の餌食です。
 でも、祐一さんと樹さんは神典だけは護り、残してくれました。
 奇跡を、成し遂げるための力を――
 どんな絶望の中でも、奇跡を求め、信じる心だけは喪われない・・・」
 深呼吸。
 一度手を振る。
 その軌跡に沿って光が疾り、巨杖を形作った。
 奏神具だ。
 3mの巨杖を軽々と携え、秋子は一度目を閉じ、開き、宣言する。
「だから私はこの街を護りましょう。
 他の都市から、祐一さんの身体と樹さんの心が眠るこの街を――
 いつか還ってくる彼らのために」
「ボクは――今は何も出来ない。
 だけど、いつかきっと、取り戻すよ・・・」
 その小柄な身体には不相応な大きさの槍――久遠――を携え、匪天の翼を空に突き立ててあゆ。
「僕は・・・なら、戦いの準備を。
 祐一と樹が還ってくる時はあの絶望と決着を付ける時だろうから」
 左腕に手甲を浮かび上がらせ、正登。
 彼らの声に応えるように、彼らの奏神具が歌い出した。
 切ないほどに美しく、炎のように激しく、氷のように冷徹に。
 そして、祐一が華音の街を離れたその二日後――閉鎖動乱は勃発した。


 最初は一方的だった。
 技能も神器も喪ったこの街の住人は、他の都市の者たちに打ち倒されていった。
 為す術もなく、華音は滅びていく。
 誰もがそれを覚悟した時――彼らは奇跡を思い出した。
 きっかけは歌だった。
 夜、その歌は響いた。
 どこからかは解らない。
 だが、その歌は奇跡を歌っていた。
 そして奇跡とは何かを問い掛けていた。
 奇跡とは何か。
 ――奇跡とは、あり得ないことも現実にしてしまう力だ。
 技能はない。神器もない。そんなこの街の住人が他の都市の者たちに勝つことは『あり得ないことだ』。
 だが、この街の住人には何がある?
 ――神典がある。
 神典とは何か?
 ――奇跡を自らの意志により起こす力だ。
 即ち、華音の住人は『奇跡を起こせる』し、『華音で奇跡が起こるのは必然である』。故に――『技能も神器も喪った自分たちが、他の都市の者たちに勝つことが奇跡というのなら、その奇跡は最早必然である』。
 華音の住人達が神典を思い出すのと入れ違いに、他都市の住人は力を封じられていった。 神器や技能が使えなくなるのだ。
 華音に入るまでは確かに使えた神器や技能が、街に入ると使えなくなる。だが、一歩街の外に出ると使えるようになる。
 つまり、華音の街では無防備になってしまうのだ。
 神典――奇跡を思うままに起こす華音の住人たちに敵うはずもない。他都市の者たちは撤退を余儀なくされ、そして華音と他都市を繋ぐ道は閉ざされた。
 この街は他の事象を拒絶し、自らを護る。即ち、閉鎖。
 故に、この動乱は閉鎖動乱と称されるようになった。


 それから7年が過ぎて――
 あの、大樹の下で正登はあゆと秋子を呼び出した。
 決意を、胸に。
「これから僕は戦いを起こします。
 絶望を打ち砕くほどの、闘争の遺伝詞を集めるために。
 あの、閉鎖動乱と同じくらい酷い戦いになるかも知れません。
 今度は――他の都市の住人じゃなく、この街の住人同士の戦いになります。
 しかも、戦う当人同士は何故戦うのか解らないままでしょう・・・。
 多分、僕は未来永劫罵られるでしょうね。
 ひょっとしたら祐一じゃなく、他の誰かに殺されるかも知れない。
 でも、僕は戦いを止めるわけにはいかない。
 この街に、奇跡だけじゃなく、現実を呼び覚ますために。
 祐一と樹を取り戻すために」
 自嘲めいた笑みを浮かべ正登に、秋子は敢えて微笑った。
「正登さん。
 私は祐一さんをこの街に呼び戻そうと思います。
 私に出来るのは、そこまでです。
 それ以上の干渉は出来ませんから・・・
 ですが、祐一さんがあの時のことを思い出した時――
 その時、祐一さんがどう動くかは私にも分かりません。
 逃げ出すかもしれない。
 あなたの味方となるかもしれない。
 でも、あなたの敵となるかもしれない。
 あなたはそのとき祐一さんと戦えますか?」
 それに対する正登の返答は苦笑。
「・・・愚問です。僕は、僕の為すべき事をするだけです。
 僕を止めようとするのと、僕を止められるのとは違います。
 僕が止められたのなら――それはそれです。
 それは祐一が絶望を破壊してくれるということでしょうから」
 そして、笑う。
「どっちだっていいんですよ、結局は。
 絶望を打ち砕き、この街を開放して――樹と、本当の祐一が帰って来さえすれば。
 僕はそれで、いいんですから」
 その笑みにどこか不安を感じ、あゆは叫んだ。
「でも、それじゃ正登くんが!」
 だが、正登は笑みを崩さない。
「あゆ。僕たちは約束しただろう?
 僕たちは、祐一と樹を取り戻すために、自分の為すべき事、出来ることをするって」
 そして、冗談めかして、あの、子供の頃のように笑った。
「それにさ。僕が死にそうになっても、君が風水してくれるんだろ?」
 ――正登の意志は固い。
 なら――自分に、出来ることを。
 あゆは頷いて、儚げに笑った。
「うん、勿論だよ・・・!」
 その笑顔を心に刻み、祐一の精神は覚醒へと向かっていった。
 夢神の眠りから解き放たれ、そして――
 祐一は、大樹を見上げた。
 自分の身体と、樹の精神。そして、絶望が封じられた大樹を。





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