Locus 02-02 "catena fortuna involvere"





「昼・・・どこで食べようか?」





 授業をこなしつつ、休憩時間に寄ってくるクラスの生徒達の相手をしていれば午前はすぐに終わった。
「・・・昼飯買って来なきゃだな」
 うん、とのびをした祐一に一人の男子生徒が近付いてきていた。明るく手をしゅた、と上げつつ、にこにこと笑っている。
「よう!」
「誰だ?」
 祐一は半眼で男子生徒を見ていたが、男子生徒はやや呆れた調子で自己紹介をした。
「・・・もう忘れたのか?お前の斜め前の滝元和樹だ」
「相沢祐一だ」
 しかし男子生徒――滝元は祐一の言葉に驚愕した。そして、
「・・・中川正一じゃなかったのか?」
 なんてこったいと頭を抱えたり、神よ、何を信じればいいのですかと空を仰いだりとやけにオーバーアクションをかます滝元に、祐一は思わず苦笑を浮かべつつ、
「前で挨拶したろうが前で!」
 と手首のスナップを効かせた突っ込みを入れた。しかし、滝元はふっと遠くを見つめ、妙に優しい眼を見せた。
「俺は数時間で人の名前を間違える特技があるんだ」
 祐一はやれやれと肩をすくめ、にやりと笑った。
「傍迷惑な特技だな。俺は数時間で人の名前を忘れる特技があるが」
「ふっ。傍迷惑なのはお互い様だな」
 妙にニヒルな笑いを浮かべる滝元だったが、
「全くだ・・・んで、滝元だったか」
 祐一の言葉にふと哀しそうな笑みを浮かべた。そして、
「嫌だなぁ、和樹と呼んでおくれよマイフレンド」
 歯をきらりと光らせたのだが、
「却下だ!」
 祐一は一秒と掛けず結論を下した。
「む、それは仕方がない。じゃぁ俺もお前を相沢と呼ぼう」
 妙に納得した表情でうむうむと頷いている滝元に、祐一は思わず苦笑を浮かべていた。
「とにかく、これから宜しくだ相沢」
「ああ、滝元」
 祐一の言葉にふと哀しそうな笑みを浮かべた。そして、
「嫌だなぁ、和樹と呼んでおくれよマイフレンド」
「却下だ!」
 祐一は一秒と掛けず結論を下した。
「む、それは仕方がない。じゃぁ俺もお前を相沢と呼ぼう。これから宜しく、相沢」
「ああ、滝元」
「嫌だなぁ、和樹と呼んでおくれよマイフ」
 3回目のループに入りかけたそのとき、
「・・・滝元、くどい!」
 痛烈な突っ込みが滝元に入った。
 悲鳴をあげる事さえも赦されず倒れ伏す滝元。
 冷や汗を垂らす祐一が見たのは、
「・・・千早。容赦ないなぁ」
 拳を振り抜いた体勢のままの千早だった。
 祐一は痙攣している滝元をぼんやりと見ながら、
「こいつ・・大丈夫か?痙攣してるけど」
 僅かに心配そうな声で訊いた。しかし、
「大丈夫大丈夫。多分痙攣してるふりだから。・・・あ、静希、待たせてごめん!」
 千早は別段気にした風もなく、廊下で待っている静希に駆け寄り、そして、
「あ。祐一。あたしたちが帰ってくるまで教室から出たら駄目だよ!?約束!」
 笑顔を残して去っていった。
「・・・・・・」
 ふぅ、と溜息をついた祐一の足下で、
「・・・見透かされてるし。御巫はきついなぁ」
 苦笑しながら滝元が復活した。
「大丈夫・・・のようだな」
 半ば呆れた祐一に笑いかけ、滝元は起きあがった。
「ん、平気平気。いつもの事だし。しかしあの二人が居ない今が好都合・・・」
 言いながら、滝元は指を一本立てるとひそひそ話す様な素振りで話し始めた。
「相沢。お前に忠告しておくべき事がある」
 もっとも、声は普段通りの大きさであったが。
「気を付けろ。お前はヒットマンに狙われるかも知れない。否、狙われるに違いない!」
 しかも妙に明るい声で。
「ヒットマンって・・・あのなぁ」
 祐一はげんなりした顔だ。
 しかし滝元は気にせずに話を続けた。
「ヒットマンってのは冗談だけどな。狙われるかもってのは本当だ。なんせ転校初日にして御巫と斎笹を懐かせてるからな。まぁ、このクラスの奴らはお前をある程度は認めた様だけどな」
 そもそも、と滝元はしたり顔で話を続けた。
「この学校にはな。10人の不可侵の女生徒がいる」
「ふぅん」
 祐一は興味なさそうに聞いていたのだが、
「3年の川澄舞。倉田佐祐理。2年の御巫千早。斎笹静希。水瀬名雪。水瀬あゆ。美坂香里。1年の美坂栞。天野美汐。水瀬真琴。この10人だ」
「ふ〜ん・・・え?」
 10人の名前を聞いて思わず意識を集中させた。
「とにかくこの10人には手を出すなってのが不文律だ。抜け駆け禁止って奴だな」
「そ、そうか・・・」
 冷や汗を垂らす
「まぁ、向こうから懐いてきた分には仕方ないかもしれんが・・・それでも覚悟はして置いた方がいいぞ」
 まぁそんな事は起こらないだろうがな、と滝元は笑い、更に説明を続けた。
「ただ例外があってな。斎笹と御巫以外の8人だが、ある男だけは側にいる事を赦されている。倉田一弥――倉田先輩の弟だ」
 そのときの祐一の表情は――
「――――」
 驚愕ではない。
 強いて言えば納得だった。
「まぁ、こいつはお目付役だな。こいつの目に敵わないといかんって事になってるんだけどな」
 はぁ、と滝元は溜息をついた。
「容姿端麗、文武両道。どこの誰がこいつの目に敵うんだろうかと思うと何だか泣きたくなる」
 なんでも約束したかららしいけどな、と滝元は呟き、その呟きに祐一は、
(お・・・俺のせいか?)
 と責任を感じていた。しかし滝元は祐一の様子には全く気付かないままだ。
「まぁ、そのため8人に対しては手出ししようにも出来ない。遠くから眺めてる様な状態な訳だが、アプローチする奴は後を絶たない。もっとも全部断られてるみたいだがな。――全く彼女らの心を奪うのはどんな奴なんだろな?」
 そして、言いながら滝元は千早と静希の席に眼を走らせた。
「斎笹と御巫に対するアプローチも同様にかなり多い。まぁ、二人には倉田って言うお目付役が居ない分直接的なアプローチも数多いが、全部断ってるみたいだ」
 けけけ、ざまぁみろと悪魔の様な笑みを浮かべる滝元。
「そんな矢先にお前の転校だ。しかも昔からの知り合い。その上仲が良い・・・となると、だ」
「俺、かなりやばい状況にあるわけだな。でも・・・」
 祐一はにや、と人の悪い笑みを浮かべた。
「気にしなきゃいいさ。襲いかかってくる奴は返り討ちにすればいいんだから」
「お、強気だね。まぁ、気を付けろよ」
やれやれ、と言った風情で滝元が話を終え、
「ああ・・・でもお前はどうなんだ?千早とか静希とか、あまり興味ないのか?」
 何故わざわざ忠告してくれるのか、と言う素朴な疑問。その疑問に従い祐一は滝元に問いかけたのだが、
「俺――興味ないから」
 滝元はそう言いつつ、祐一を妙に悩ましげな眼で見つめた。
 思わず椅子ごと飛びずさった祐一だったが、
「・・・誤解するな。彼女が居るから興味が無いって意味だよ。お前を見たのは面白そうな事になるな、と思ったからだ」
 滝元が浮かべた人の良い笑みに安心し、溜息をつき、苦笑。そして、
「面白そうって・・・好き勝手言いやがって。でも」
 気を付ける、と言いかけた矢先。
「祐一!お昼ご飯だよ!」
「一緒に食べましょう!」
 にこにこと笑いながら千早と静希が寄ってきた。
 その手には学食で買ったらしいパンが数個。
「今日は出来なかったけどね。いつもは弁当なんだ」
 照れながら千早がえへへと笑い、
「今度祐一さんの分も作ってきますね」
 幸せそうに静希も微笑んだ。
「ん。期待しとく」
 苦笑しながら祐一は急かされる様に千早と静希に付いていった。
「ほんっとに気を付けるんだぞ〜」
 という滝元の生暖かい声援に送られて。



 そして、屋上に続く階段の前。
「・・・屋上に行くのか?」
 祐一は躊躇した。
 屋上には――恐らく、彼女たちがいる。
「うん。そだよ」
「この時期の屋上、本当に気持ちいいんですよ。冬はさすがに寒いですけどね」
 千早も静希ももう屋上に行く気になっている。
「はぁ・・・解ったよ」
 溜息をつき、二人と一緒に階段を上がっていく。
 一段。
 二段。
 脚が重い。
「・・・・・・」
 歯を噛み締める。
 と、不意に脳裏を支配した危機感に顔を上げれば――
 つい先ほど階段を駆け上り、祐一を追い越した少女が足を踏み外していた。
 落下。
 かなりの速度で。
 どこか、過去を思い出させる光景。
 祐一は迷わず階段を駆け上った。そして。
「うぐぅ〜!」
 悲鳴を上げながら倒れていく少女――あゆを抱き留めた。そして、
「大丈夫か?」
 努めて平静に。
 過去の事を言ってはいけない。
 そんな脅迫めいた思考に支配されながら。
 あゆはきょとんとした顔だ。
 見ず知らずの人が助けてくれた。
 そんな顔。
 眼をぱちくりとさせた後、慌てて離れた。
 顔が紅い。
「あの、えっと、えっと・・・!」
 わたわたと慌てている。
(変わって・・・無いんだな・・・)
 祐一は言葉になるのを自制。
 ただ、あゆを見つめていた。
「祐一!」
「祐一さん!」
 千早と静希が駆け上がってくる。
 のと同時に。
「あの、助かったよ!」
 あゆは走り去った。
「ありがとうね!」
 それだけ言い残して。
「やはり、か・・・」
 あゆを見送りながら祐一は呟いた。
 この世界は別の場所だ、と言い聞かせる。
 彼女たちが笑える代わりに、自分が関わったという記憶がない世界。
 それでもひょっとしたら、と思っていた自分に気付き、祐一は苦笑した。
「未練、だな・・・」
 哀しくないと言えば嘘になるだろう。
 悔しくないと言っても嘘になる。
 しかし、この世界の彼女たちを見て嬉しかったのは事実だ。
 みんな元気で、仲が良くなっていた彼女たち。
 それが、嬉しかった。
「祐一・・・」
「祐一さん・・・」
 千早と静希が心配そうな顔で祐一の顔をのぞき込んでいる。
 その心配そうな顔に、祐一は胸を突かれた。そして。
「そうだな――嬉しくない、なんて言ったらお前らに申し訳ないよな」
 俯き、呟き――
「あいつ等が元気でいる。それだけでいいさ・・・」
 何とか笑う。そして。
「悪い。ちょっとだけ一人にしてくれ」
 祐一は踵を返し、立ち去ろうとしたが――
「あ、まだいた!」
 呼び止められ、
「?」
 振り返る。そこには――
「さっきは助けてくれてありがと!」
 あゆの笑顔があった。
「だから・・・一緒にお昼ご飯食べよう!」
 そしてあゆは。
「早く早く!」
 祐一の手を掴み、引っ張っていく――屋上に向かって。
「おい、俺は――」
 祐一は力無く腕を振り払おうとするが――
「ん?」
 あゆは笑顔のまま、振り返った。
「いや・・・何でもない」
 その表情を見ているうち、振り払い逃げ出す事も出来ず――
 祐一は屋上への扉の前に立っていた。
 その扉の向こうには彼女たちがいる。
 かつて同じ時を過ごし。
 思いを重ね合わせて。
 しかし、喪った彼女たち。
 その運命故に絶望し。
 自らも全てを喪った。
 そして。
 その運命を変えるため。
『彼』らに導かれ、時を遡り。
 世界を変えた。
 引き合わせて
 約束を交わし。
 癒して。
 また失った、彼女たち。
 その彼女たちがいる。
 すぐそこに。
 そして後ろには、『彼』に従っていた聖なる存在と魔なる存在だった少女たち。
 祐一を導き。
 祐一に力を与え。
 消え去るはずだった祐一を救い。
 そのため自らも消えかけた少女たち。
 そして。
 人として生まれ。
 人として育ち。
 人として祐一と再会した少女たちがいる。
 すぐそこに。
「覚悟を・・・決めろってことか・・・」
 祐一は扉に手を伸ばした。
 重い音とともに扉は開かれた。
 秋の光。
 秋の風。
 秋の空。
 秋の匂い。
 それらが支配する空間に、祐一は足を踏み出した。
 祐一にとっては再会のために。
 八人にとっては邂逅のために。
 二人にとっては――再会か。それとも邂逅か。
 かくして運命の鎖は絡み合い、更なる模様を描き始める。





「逃げられない・・・わけだな・・・」





―continuitus―

solvo Locus 02-03 "venetus relaxatio,ventus refocillo"

moveo Locus 02-01 "illa decurrunto atque urgeo"