Locus 03-08 "et nascoto illae promissus"





「なんだか・・・どっと疲れたな・・・」





 教室に帰ると同時に祐一は机に突っ伏した。
「祐一、お疲れさま・・・」
「祐一さん・・・」
 千早と静希が祐一の苦労を労って。
「さんきゅ」
 祐一は短くそう言って笑うと千早と静希に笑いかけた。
 その表情が明るかったのが嬉しかったのだろう。
 そして、その笑顔は2人が願った笑顔そのもので――
「・・・あ。う、うん」
「・・・い、いえ・・・」
 千早と静希は赤面した。

 ちなみに。
 その笑顔を直視した他の生徒たちはと言うと。
「・・・諦めろ!諦めるんだ!」
「俺たちはあの笑顔には勝てん!」
「俺たちに出来るのは幸せを願うことだけ!」
「応!」
 男子生徒は号泣。
「・・・やっぱりいいなぁ」
 違うものも居たが。
「・・・ふゥ」
「わっ、血を吹いて気絶しちゃった!」
「いいなぁ・・・いいなぁ・・・」
 女子生徒たちは嵌っていた。
「じゅる・・・」
「・・・欲しいな、アレ」
 一部危ない雰囲気を醸し出している者達も居たが――
 概ね祐一は好意的な目で見られていた。
 好意的、と言うよりは信頼されていると言った方が適切かも知れない。
『こいつならば信じられる』
 そんな感情を祐一は皆に抱かせていた。
 それは、祐一が持っている雰囲気――
 見捨てない、と言う決意。
 自分に出来る限りのことはする、という意志。
 信じてくれるから応える。
 裏切られても信じ続ける。
 そんな心故に。
 それらのためだろう。
 確かにこの世界は今、祐一を受け入れていた。
 高校という世界は。


 放課後。
 祐一はひとまず伸びをした。
 そんな祐一に滝元は近付き、肩を叩いてこう言った。
「ま、取り敢えずお疲れさまと言っておこう」 
「取り敢えずって・・・なんだ?」
 何となく聞き返しただけだった。
 聞き返した瞬間、滝元の目が光った。
「問題が解決したと言うことはだ。あの8人とおまえの距離が近付いたことを意味する」
「まぁ、そう言えなくもないが」
 祐一は頬杖をついたまま頷く。と、
「要するに、だ。相沢、おまえ・・・」
 滝元は肩を叩いて、
「また筋肉達磨どもに拉致監禁されるぞ、多分」
 悲愴な顔でそう言った。
「冗談じゃねぇっ!」
 祐一は立ち上がり、駆け出そうとした所を・・・
「相沢祐一はいるか?」
 捕まった。


 30分後。
 服は乱れ、虚ろな目になった祐一が帰ってきた。
「祐一・・・」
「祐一さん・・・」
「パトラッシュ・・・僕、もう疲れたよ・・・」
 千早や静希の呼び掛けにも反応が鈍い。
「あーもう!せっかく明るくなったのに!」
「また、行きますか?」
 そして祐一は2人に引きずられ――
「で、結局ここか・・・」
 呟きながらドアを開ける。
 百花屋。
 それがその店の名前だった。
 そして店に入ると同時に、
「あ、相沢だ!」
 真琴の声が飛んできた。
 見れば真琴だけではない。8人全員が揃っている。
「・・・俺、帰っちゃ駄目か?」
 と思わず腰が引けた祐一の足が止まった。
 否、止まらされた。
 苦笑が漏れる。
「千早、静希。そんな顔しなくても帰らないって」
「絶対だよ?」
「本当ですね?」
 それなら、と2人は手を放した。
 そして祐一は溜息一つ。
「あゆ。何故掴む?」
「うぐぅ・・・」
「栞、おまえもだ」
「えう、そんなこと言う人、嫌いです・・・」
「・・・舞。離せ」
「ケチ」
 いつの間にか祐一の服を掴んでいる3人。
 それぞれがそれぞれの表情で祐一を見ている。
 あゆは不安。
 栞は安堵。
 舞は楽しそうに。
 祐一はまた苦笑を漏らした。
「逃げないから離せっての」


 百花屋での話は――盛り上がったと言っても良いだろう。
 もっとも、祐一の話が殆どだったが。
 どんな所にいたのか。
 どんな学校だったのか。
 どんな友達が居たのか。
 そんな話。
 過去には誰も触れなかった。
 凄絶な過去。
 背負うにはあまりにも重かったから。
 今の彼女たちには重すぎた。
 だから、今の話とこれからの話をした。
 これから何をしていこう。
 一緒に遊べたら。
 そんな、話。
 そんな話が紡がれていた。
 しかし。
 どこか、曖昧な話だった。
 拭いきれない不安が漂っていた。
 誰も気付いていない。
 自分が不安を感じていることに気付いては居ない。
 しかし――
 不安の毒は確かに彼女たちを蝕んでいた。


「お、こんな時間か。じゃ、お開きだな」
 時計を見て祐一が呟いた。
「うー、まだ大丈夫だよー」
 と残念そうに名雪。
「仕方ないですよ。さすがに帰らないと・・・」
 時間は早いとも遅いとも言えない微妙な時間。
「うーん、でもなんか惜しいです・・・」
 と佐祐理。
 祐一は自覚した。
 自分が笑っていること――もしくは、笑えていることを。
 だから、提案。
「んじゃ、こうしよう、また明日一緒に行こう」
 その言葉。
 彼女たちが待っていた、その言葉。
 確かな、約束。
 だから彼女たちは帰ることに賛同した。
「・・・仕方ないわね」
「お姉ちゃん?」
 やや不機嫌そうな声もあったが。
「んじゃ、俺たちは・・・」
 帰るから、と言いかけた祐一の言葉を奪って、
「買い物に行きますから」
 と、静希。
「おお、そう言えば」
 と、今更の様に祐一が言えば、
「・・・忘れてましたね?」
 と静希が睨んだ。
「冗談だ」
 と真面目くさった顔で祐一は言うものの、
「その冗談最低」
 千早の突っ込みに無言になる。
 無言。
 無言がしばらく続いた。
 祐一は無言。
 静希も無言。
 千早も無言。
 名雪たちも無言。
 その沈黙に耐えかねて、
「え、えーと、静希。期待してるぞ」
 何とか言葉にする。
 と、時間は再び流れた。
「それじゃ、また明日ねー!」
 千早が笑って手を振って、
「それでは、また・・・」
 静希が頭を下げて、歩き出した。
 それを追うように祐一も走りかけて振り向き――
「じゃ、また明日な!約束だぞ!」
 走り去った。


「待たせたな」
 追いついた祐一を待っていたのは、
「・・・あ」
 という何かに気付いた千早の声だった。
「どうした千早?」
 と問いかけたら、
「あたし、お弁当の御褒美貰ってない」
 拗ねた表情で、千早。
「頭、撫でて」
 詰め寄ってくる。 
「撫でて」
 目を潤ませて。
「・・・ちょっとだけだぞ?」
 そう言いながら千早の頭を撫でる祐一の目は、しかし楽しそうだった。


 一方。
 頭を撫でられている千早を、8人は羨ましそうに見ていた。
「羨ましい・・・相沢の撫で撫で・・・」
 じっと3人を見つめる舞と、
「舞・・・きっと明日は佐祐理たちも・・・!」
 未来予想図を展開している佐祐理。
「・・・・・・えへへへへ〜」
「・・・・・・うふふふふ〜」
 途端に笑み崩れる。
 どうやらビジョンが一致したらしい。
 こく、と頷きあい、舞と佐祐理は歩き出した。
 栄光の明日のために。


「静希ちゃんと千早ちゃん・・・強敵だよ・・・」
 ぐっと拳を握る名雪。
「うぐぅ・・・でもボクも負けないもん!」
「真琴だって負けないわよう!」
 根拠もなく断言するあゆと真琴。
 不敵な笑みすら浮かべている。
 闘志が目に見えるほど――いや、物質化させているのは美汐。
「・・・私も退けません!」
 言葉はシンプルだが、しかしその決意は固く強い。
 それを見た近所の子供が慌てて逃げていったのは――当然のことだったろう。


「う・・・羨ましくなんか・・・」
 香里はそう言いながらもやはり羨ましそうに祐一たちを見送った。
 しかし、やはり。
「でも、やっぱりちょっとは羨ましいかも・・・」
 と本音を洩らした。
 栞は栞で、
「明日はもっとボリュームアップしたお弁当で勝負です!」
 と気合いを入れている。
 香里は冷や汗を垂らして一言。
「・・・これ以上増えたら相沢君、きっと泣くわよ?」
「そんなことありません!」
 どこから来るのかよく解らない自信に満ちた表情で栞は断言。
「適量に抑えておいた方が相沢くんは喜ぶわよ?」
 言っていることはあまり変わっていない。
 変わっていないのだが、
「えう・・・なら、我慢です・・・」
 栞は納得した。


 10人それぞれの想い。
 10人それぞれの願い。
 10人それぞれの祈り。
 それらは似ているようであり、しかし異質なものでもあった。
 しかし、ある要素だけは共通していた。
 すなわち。
 中心にある感情。
 それが祐一への恋心であることだけは――





―continuitus―

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